EP12:帰還の広間、そして王の裁定 [LOG_RETURN]
アストリア城の大広間は、私たちの帰還を聞きつけた人々で溢れていた。
貴族、騎士、侍女——
その誰もが、一様に息を詰めて私を見ている。
(……うるさいわね、この視線)
私は正面を向いたまま、白銀の髪を一筋、指先で払った。
帰らずの森でグランゼルを退けた後も、私の心の奥には、まだあの感覚が残っていた。
右手を突き出した瞬間の、あの圧倒的な力の奔流。
あれは私が「使った」力ではない。
気づいたら「そこにあった」力だ。
(……私は本当に、あれを制御できているのかしら)
胸の奥に滲む不安を、私は高円寺の矜持で黙らせた。
弱みを見せる場所では、ない。
バルドウィンが玉座の前に膝をつき、重々しく頭を垂れた。
「王よ。ご報告申し上げます」
広間が、静まり返る。
「勇者高円寺凛殿の力は——まさに神々しいまでのものでございました」
彼の声には、欠片の誇張もなかった。
あの大男が、心の底から絞り出している言葉だ。
「帰らずの森にて、深淵の龍グランゼル・ヴァルドラグの禁断の奥義《深淵の顎》を素手で打ち砕き、一撃にて退けられました。あれほどの力を目の当たりにしながら疑念を抱く者がいれば、それは愚か者に他なりません」
どよめきが波のように広がった。
貴族たちがざわめき、騎士たちが互いに顔を見合わせる。
その中で一人、宰相アルフレッド・フォン・シュタインベルクだけが——冷ややかな
微笑を浮かべたまま、ぴくりとも動かなかった。
(……あなた、また計算しているのね)
私はちらりとアルフレッドを見た。
海が「悪党ポジション」と呼んでいた男。
あの表情の奥に何があるのか、私にはまだわからない。
わからないが——警戒すべき人間だということは、直感でわかる。
王が静かに右手を挙げた。
どよめきが、潮が引くように収まる。
「凛殿」
王の視線が、私を捉えた。
「そなたはどうお考えか」
私は一歩、前へ出た。
広間の全員の目が、私に集まる。
「あの力は、私自身でもまだ制御できていないわ」
正直に言った。
見栄を張る場面ではない。
「けれど——それを理由に逃げるつもりはゴメンだわ。高円寺凛として、そして勇者として、この力を必ず手にしてみせる」
王が目を細め、静かに頷いた。
「なるほど。確かに、勇者としてふさわしい覚悟よ」
その時だった。
バルドウィンが立ち上がり、一歩前へ進み出た。
「王よ、一つ進言がございます」
「申してみよ」
「勇者殿に——『双神流』の奥義を授けるべきかと存じます」
広間が、再びざわついた。
双神流!。
その名前を聞いた瞬間、私には意味がわからなかった。
しかし、周囲の貴族たちが息を呑む反応から、それが並大抵のものではないと理解した。
「この伝説の武術こそが、あの力を真に制御するための鍵になるでしょう」
バルドウィンの眼は、真剣だった。
帰らずの森での死闘を経て、この男は私への敬意を本物にした。
それは、見ていればわかる。
「……なるほど」
私は静かに答えた。
「挑戦する価値があるわ」
その瞬間だった。
「な、何ッ!」
広間の空気を、鋭い怒声が切り裂いた。
宰相アルフレッドが一歩踏み出し、バルドウィンを睨みつける。
整った顔に、怒りが滲み出ていた。
「双神流だと!? 気でも狂ったか、バルドウィン!」
「この国の秘奥たる伝説の武術を、得体の知れぬ異世界人に授けるなど——正気の沙汰とは思えん!」
アルフレッドの怒声が広間に反響する。
その激しい怒気に——
広間の端で控えていた若い侍女が、身を縮めた。
手に持っていた書類が、かすかに震える。
アルフレッドはそれに気づかなかった。
いや——気づいていても、どうでもよかったのだろう。
「異世界人などに、この国の命運を委ねるなど——!」
語気を強めながら腕を振った。
その腕が、侍女の肩を直撃した。
侍女が、よろけた。
書類が床に散らばる。
「っ……も、申し訳ございません……」
震える声が、広間に細く響いた。
侍女の目に——みるみると涙が溢れてきた。
私はその光景を見て、眉をひそめた。
(何をしているのよ、あなた)
アルフレッドに向けて、冷ややかな視線を送ろうとした——
その時。
海の様子が、変わった。
「……ん?」
私は横目で海を見た。
さっきまで私の斜め後ろで縮こまっていた、いつもの陰気な赤髪が——
背筋を、すうっと伸ばしていた。
猫背が消えた。
眼鏡の奥の目が、すうっと細くなった。
右手が、腰のファイズギアの上に静かに置かれた。
そして——
「チャラッチャラッチャッチャッチャッチャッ……」
海が、突如仮面ライダーファイズのオープニング曲を口ずさみ始めた。
広間が、凍りついた。
「…………」
「…………」
誰も、何も言えなかった。
荘厳な王宮の大広間に、21歳の青年が発する謎の旋律が、朗々と響き渡っていた。
貴族たちが互いに顔を見合わせる。
騎士たちが剣の柄に手をかけたまま、固まっている。
「チャラッチャラッチャッチャッ——チャラッチャラッ——」
(な、何をしているの、あなた……!)
私は頭を抱えたかった。
しかし、高円寺家の令嬢として、そのような不作法はできない。
私は表情を微塵も変えずに、ただ正面を向いた。
聞こえていない。
私には何も聞こえていない。
海はゆっくりと、ベルトから携帯電話型のデバイスを引き抜いた。
片手でパチンと開く。
その動作が、異様に——様になっていた。
「……」
海の親指が、無言でボタンを押した。
「5」.「5」.「5」
一音一音、確かめるように。
まるで世界で最も神聖な儀式を執り行うかのように。
そして最後に——「ENTER」。
『STANDING BY……』
その無機質な電子音が、荘厳な王宮の広間に、重低音で響き渡った瞬間。
『ヒュイーン、ヒュイーン、ヒュイーン......』
「な、なんだ……この音は……」
騎士の誰かが、震える声で呟いた。
海は目を開いた。
眼鏡の奥の瞳から、光が消えている。
唇が、静かに動いた。
「……親愛なるファイズ様」
誰も聞いたことのない声だった。
低く、穏やかで、しかしどこか燃えるような声。
「正義の御力……お借りします」
次の瞬間、海は右手でファイズギアを高らかに掲げた。
右足を軸に、体を半回転させる。
左手を水平に伸ばし、指先まで静かに脱力させる。
右腕はやや下げ、自然に垂らす。
右足をわずかに前へ。
直立に近いが——その全身から、静かな「力」が満ちていた。
静の中に動が宿る、あの独特の佇まいが、王宮の広間に現れた。
『Complete』
広間の全員が、完全に沈黙した。
騎士たちは剣を抜くことも忘れ、ただ呆然とその青年を見つめていた。
王でさえも、玉座から身を乗り出した。
(……あとは、テレビカメラがないくらいだ)
海の脳内だけに、その確信があった。
そして海は——正面を見た。
視線が、右へ流れた。
誰もいない空中へ。
今度は左へ。
やはり誰もいない、石造りの柱の方向へ。
三点を、完璧なタイミングで。
まるでそこに、撮影クルーが実在するかのように。
「……あんた」
私は静かに口を開いた。
「どこ見てるのよ」
海は答えない。
私はもう一度、海が視線を向けた方向を確認した。
右。左。正面。
どこにも、何もない。
石造りの柱。タペストリー。騎士たちの呆然とした顔。
それだけだ。
「……私には何も見えないわよ」
私は平坦な声で言った。
「あんたには、カメラか何か見えてるわけ?」
広間が、完全に静止した。
王が口元に手を当てた。
バルドウィンが石像のように固まった。
アルフレッドが壁に張り付いたまま、もはや声も出なかった。
その時——
海の重心が、すうっと落ちた。
上半身がわずかに前傾する。
右膝が軽く曲がり、腰が落ちた。
両腕が体の前方へ、内側に絞るように構えられる。
獣が獲物を狙う直前のような——張り詰めた緊張感が、全身から滲み出た。
「すっこんでろ真理」
海は一切の躊躇なく言い放った。
「……真理って、誰よ」
私の眉が、ぴくりと動いた。
「オリャァァァ!!オルフェノクッ!」
海はアルフレッドに向かって駆け出した。
「な、なんだ貴様ァ!!」
アルフレッドが悲鳴を上げた。
騎士たちが一斉に動こうとした——その瞬間。
「お、おやめください!!」
床に散らばった書類の傍らで、侍女が海の足元に縋りついた。
両手で海の脚を必死に掴み、涙声で訴える。
「いつものことですから! 私は……大丈夫です! 大丈夫ですから!!」
その声が、空気に溶けた瞬間。
海の全身から、力が抜けた。
すとん、と。
まるで糸が切れたように。
「あれ……」
海は瞬きをした。
眼鏡の奥の目が、ぼんやりと周囲を見渡す。
騎士たちが剣を半分抜いて固まっている。
アルフレッドが壁際に張り付いて蒼白になっている。
王が玉座から身を乗り出している。
バルドウィンが口を開けたまま固まっている。
侍女が床に座り込んで泣いている。
「……みなさん、どうしたんですか?」
海は首を傾げた。
「なんか、皆さん変な顔してますけど」
完全な、沈黙。
その沈黙を破ったのは、私だった。
「……あなた」
「は、はい?」
「本気で、何も覚えていないの」
「え? 何をですか?」
私は目を細めた。
呆れ。
困惑。
そして——言葉にならない、何か。
「正直……引いたわよ。かなりのドン引きよ!」
その言葉が、静まり返った王宮広間に、静かに落ちた。
バルドウィンが震える声で呟いた。
「ま、まさか……これが神威の……力……?」
「違うと思う」
私は即答した。
「いいえ絶対に違う!断言できるわ」
アルフレッドは壁に張り付いたまま、がたがたと震えていた。
その顔には、これまでの傲慢さの欠片もなかった。
王だけが、静かに口元に手を当て、何かをこらえるように目を伏せた。
その肩が——かすかに、震えていた。




