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EP13:王座の間の決断 [LOG_THRONE]

王座の間。


私は今日だけで何度目かわからない溜め息を、胸の奥に飲み込んだ。


隣に立つ音無海という男。


赤いボサボサ頭。牛乳瓶の底みたいな丸眼鏡。腰には例の——あの、見るたびに頭の奥が痛くなる、銀色の玩具のベルト。


普通だ。


見た目は完全に、どこにでもいる平凡な陰気な男だった。


「……なんですか。凛さん」


「別に」


「さっきからすごく見てる気がするんですけど」


「気のせいよ」


気のせいではなかった。


ただし、見ていたのは海ではなく——さっきの、あれの残滓を確認していたのだ。


広間での出来事が、脳裏に貼りついて離れない。


重臣の列がざわめいた一瞬。あの、あり得ないほど背筋が伸びた立ち姿。目から光が消えて、代わりに何か別の何かが宿った、あの瞬間。


「チャラッチャラッチャッチャッチャッチャッ……」


口ずさんでいた。


本人は大真剣な顔で。


私は、あれを隣で見ていた。


(……信じられないわ)


腰のベルトから取り外した携帯電話に「5・5・5・ENTER」と押して、「親愛なる仮面ライダーファイズ様、正義の御力お借りします」と宣言して、完璧な変身ポーズを決めて——そして最後に私に向かって「すっこんでろ真理」と言い放った。


真理。


誰よ、それ。


「……あなた、さっきの広間のこと、何か覚えてる?」


「広間?」


海は不思議そうに首を傾けた。


「はい。あのバルドウィン卿が僕の進路について話してくださってた、あの」


「……そう」


「何かありましたか?」


「ないわ」


私は前を向いた。


教えてやる義理はない。


というより——どう説明しろというのか。あの場にいた重臣全員が固まっていた光景を。王陛下の肩が小刻みに震えていたことを。バルドウィン卿が口を半開きにしたまま動けなくなっていたことを。


そして、アルフレッド宰相だけが——青ざめていたことを。


私は前を向いたまま、静かに整理した。


あれは確かに異様だった。そして、異様であるという事実は変わらない。


でも今は、それよりも先にやるべきことがある。


---


左右にはバルドウィン将軍、宰相アルフレッド、神官長セラフィム。


私と海は、その前に立つ。


広間での余韻は、まだ空気の中に漂っていた。


バルドウィンは私を見る目が、さっきとは完全に変わっていた。疑念が消えて、代わりに純粋な——何か、もっと率直なものが宿っている。


しかし、アルフレッドは違った。


隣の海を、一度だけ横目で見て——それきり、視線を王へ戻した。


その横顔の筋肉が、わずかに強張っている。


(……怖がっている)


私は内心でそう結論付けた。


あの宰相が、海を見て怖がっている。


理由は、聞くまでもない。


---


王がゆっくりと口を開いた。


「凛殿、お主は海の様にアーティファクトを身に着けておらぬが、異世界人でも選ばれし者しか身につけることが許されぬ、特別な神器か魔道具の類なのかな?」


王の顔は、至って真面目だった。


私は一瞬、何を言われたのか、処理に時間がかかった。


アーティファクト。


神器。


魔道具。


王の視線の先が——腰のファイズギアの方向であることに気づいた瞬間、私の中の何かが、音を立てて崩れ落ちた。


「冗談でしょ? 私はそんなものに興味はないし、そもそも子どものオモ——」


言いかけた言葉を、私は引っ込めた。


どうせここで説明しても無駄だわ。


プラスチック製の銀色の玩具が「神器」で、あの陰キャがその「選ばれし使い手」。


どういう論理でそこに辿り着いたのか、説明してもらいたいくらいだけれど——この場でその講義を始める気力は、今の私にはない。


それにしても。


やってくれたわね、音無海。


これじゃ、私たちが全員揃って陰キャ集団みたいじゃない。


本当に、心外だわ。


私の沈黙を肯定と受け取ったのか——王座の間が、ざわついた。


「おぉ、あれは異世界のアーティファクトとな……」


「あの小娘は持っておらぬぞ。それほど特別なものなのか」


「あの赤毛の青年が、実は救世主様だったとは……」


「しかも、あのお力をご覧になられたか? ただの神器ではあるまい」


聞こえてくる。


全部、聞こえてくる。


貴族たちの囁きが、じわじわと私の耳に届いている。


私は口を開かなかった。


開けば開くほど、ぬかるみにはまる。そういう状況だと、頭では理解している。


でも。


(……なんで私が弁明しなきゃいけないのよ)


隣を一瞥した。


音無海は、周囲のざわつきに気づいていない。正確には——気づいているが、何が起きているのか把握できていない顔だ。


首を少し傾けて、耳を澄ませている。


(……本当に、わかっていないのね、この人)


自分が今、「救世主候補の異世界人」として誤認されている状況を、この男は一ミリも理解していない。


私は溜め息を、今度は胸ではなく口から出してしまいそうになるのを、奥歯で噛み締めて止めた。


周囲のざわつきを断ち切ったのは、王の一言だった。


「すまぬな海よ。ところで、お主はどうするつもりじゃ?」


---


海の肩が、小さく揺れた。


唇を噛んで、喉の奥にある何かを吐き出そうとしている。


「あの……僕、戦うことには向いていないと思うんです」


その声は震えていた。今にも消えそうだった。


それでも。


「でも、僕にもきっと何かできることがあると思うんです。せめてそれを……探したいんです……」


私は横目で海を見た。


一秒だけ。


(……情けない声ね)


そう思いながらも、その声の奥にある何かを、私は聞いていた。


弱さだけではない。


弱いと知っていながら、それでも前へ出ようとしている、小さな——決意の形。


(まあ、私には関係ないけれど)


私はすぐに正面へ視線を戻した。


---


バルドウィンが眉間に深い皺を刻み、海を見つめた。


「……つまり、お主は後方支援に徹したい、ということか?」


「はい。戦場で足手纏いになるくらいなら、せめて他の何かで役に立つことを見つけたいです」


バルドウィンは腕を組み、沈黙した。


しばらくの重い静寂の後、彼は静かに口を開いた。


「ならば、魔導騎士団はどうであろうか?」


海が目を丸くした。


「魔導騎士団……ですか?」


「あそこは我が国唯一の魔法研究の最前線にして、叡智の集結する場だ。異世界から来たお主の知識や技術が、意外な成果を生むかもしれん」


バルドウィンは海の肩に重々しく手を置き、その瞳に真摯な光を宿した。


「道を選ぶのはお主自身だ。覚悟があるなら、団長のシャルロットに会え」


その言葉が終わるより先に——


「な、何ッ! 魔導騎士団だと!? 気でも狂ったか、バルドウィン!」


アルフレッドの声が、王座の間に響き渡った。


一歩踏み出し、憤怒に満ちた表情でバルドウィンを睨みつける。


「得体の知れぬ異世界人に、我が国の国家機密の中枢を担う魔導士団への入団を許すなど、正気の沙汰とは思えん!」


——ここまでは、まだわかる。


しかしアルフレッドの目が、一瞬だけ海へ向いた。


その目に浮かんでいたのは、怒りではなかった。


恐怖だった。


それを、私は見逃さなかった。


双神流ソウシンリュウといい、魔導騎士団といい、貴殿は異世界の者への警戒が足りなさすぎる!」


「——ちょっと待って」


私は右の眉を上げて、アルフレッドの言葉を遮った。


冷たく、鋭く。


「今、双神流を一緒にして話したかしら」


アルフレッドが私を向いた。


「凛殿、あなたとてこの者と同じ召喚者。いつ——」


「いつ、何?」


一歩だけ前へ出た。


たったそれだけで、アルフレッドの言葉が途切れた。


「あなたは今、私と彼を同一視しようとしたわね」


「それは——」


「同じ召喚者だから、同じように怪しい、と言いたいのかしら?」


私はアルフレッドの目を、まっすぐに見た。


目を逸らさない。瞬きもしない。


「勘違いしないで」


声は静かだった。静かだが、空気が変わった。


「あれが普通だと思わないでちょうだい。同類と思われるのは、心外どころか、侮辱だわ」


場が、シンと静まり返った。


隣で海が何かを言いかけた気配がした。


私は聞かなかった。


(あなたのことを庇ったわけじゃない)


(ただ——私が、あれと同じだと思われるのは許せないだけよ)


---


アルフレッドはなおも食い下がった。


「王よ、恐れながら申し上げます。双神流の伝授も、魔導士団の入団も——いくら何でも、この提案は無謀でございます。しかも、あの者の先ほどの——ご覧になられましたでしょう。あの常軌を逸した振る舞いを」


声が、熱を帯びている。


「あれは悪霊に取りつかれた者の所業にちがいませぬ。凛殿とて、いつああなるかも——」


「ない」


私はアルフレッドの言葉を遮るように、即座に言い切った。


「それは断じてありえないわ」


アルフレッドが口を閉じた。


私は彼の顔を見なかった。


王を、まっすぐ見た。


「私は高円寺凛。令嬢として、何十年という礼節の中で育っています。突然意識を失って意味不明な儀式を始めるような精神の瑕疵は、一切ございませんわ」


声は丁寧だった。しかし、一言一言に針を仕込んでいた。


「それと——」


私は一拍置いた。


「双神流の許可については、改めて御礼を申し上げます。陛下の御判断は、正しいものだと信じております」


王は目を細めた。


その口元が、かすかに動いた。何かをこらえているように。


---


王は静かに目を閉じ、数秒の沈黙の後、口を開いた。


「そうじゃな……。我が国は魔族の襲来に備え、異国の地より勇者を召喚した。それは、我らの都合である」


王の言葉には、深い悲哀と、それを受け止めきった者の責任が混じっていた。


「凛どのの力は既に証明され、我が国の力となるであろう。そして、海殿にも——わしはこの国の明暗が託されていると感じておる」


広間が静まり返った。


「国家が魔族の手に落ちれば、国家機密などどうでも良い話じゃ。そうは思わぬか、アルフレッドよ」


アルフレッドは歯を食いしばり、口を噤んだ。


反論の言葉は、出てこなかった。


「ところで、アルフレッドよ。確か魔導士団には主の息子がおったであろう? 名はエドガーと申したか?」


その一言に、アルフレッドの表情が変わった。


さっきまでの怒りが引いて、誇らしげに胸を張る。


「ははあ! 我が息子エドガーにございます。お見知りいただき光栄にございます!」


王は目を細め、わずかに口角を上げた。


「お主の有能な息子が、海殿の指南役として不足と申すか?」


一瞬の沈黙。


アルフレッドの顔が、音を立てるように固まった。


「……滅相もございません」


「ならば決まりじゃな」


その一言で、すべてが終わった。


---


バルドウィンが深く息をつき、安堵の表情を浮かべた。


「海殿よ。魔導騎士団でお主の力を存分に発揮できることを期待しておる」


海は一瞬、目を伏せた。


その間が、どれくらい続いたか。


「ありがとうございます……。僕、行きます」


その声には、さっきよりも少しだけ——確かな重さが込められていた。


私は横目で確認した。


背中が、少しだけ伸びていた。


さっきの情けない丸まり方とは、違う。


(……まあ)


私は前を向いた。


(使える人間は使う。それだけのことよ)


---


王が改めて姿勢を正し、声を発した。


「凛、そして海よ。汝らは異世界より召喚されし勇者。だが、その力は未だ完全ではない」


「魔族の脅威が日に日に増す今、お主たちにとって確かな力の象徴が必要じゃ。そこで、女神アルフィーネより『ギフト』を授ける儀式を執り行うことに決めた」


謁見の間にどよめきが広がった。


バルドウィンは頷いた。


アルフレッドは——また唇を噛んだ。


「創造の神殿アルクリエ・サンクタム。そこは女神が残した聖域にして、真に勇者たる者だけが足を踏み入れることを許される場所。その場所で、お主たちには己の魂に呼応する武器が授けられる」


私は静かに拳を握りしめた。


「女神から授けられた武器ウエポンは、己の才能、資質、願い——すべてが反映された唯一無二のものとなる。心して挑むがよい」


隣で、海が小さく唾を飲み込む気配がした。


私はそちらを見なかった。


(才能。資質。願い)


私の願いは、一つしかない。


この世界の理を解き明かして、元の場所へ帰ること。


それ以外に、何もない。


——そのはずだった。


ただ。


王座の間を出る瞬間、私は一度だけ振り返った。


王座に座るレオポルド三世が、私たちの背中を静かに見送っていた。


その眼差しには、権威でも試す意志でもなく——心配、のようなものが宿っていた。


(……余計なお世話ね)


私は前を向いて、歩き出した。


廊下の石床を踏む音が、二人分、並んで響いていた。

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