EP9:「試練の朝! 疑念の剣士と、帰らずの森への招待」[LOG_TRIAL]
# [LOG_RIN]
アストリア王国で迎えた最初の朝は、拍子抜けするほど静かだった。
窓の外、双子の月はいつの間にか空の彼方へ消え去り、代わりに金色の朝日が石造りの王宮を柔らかく照らしている。
遠くの山々の稜線が、淡い光の中で息をするように輝いていた。
(……綺麗ね)
その感想を、私は即座に打ち消した。
感傷に浸っている場合ではない。ここは私の世界ではない。美しい景色など、帰還の妨げにしかならないわ。
「凛様、朝の支度が整いました」
扉の外から、昨夜案内してくれた侍女の声が聞こえた。
私は姿見の前で、サファイアの髪留めをそっと確認する。
お兄様《凌雅》がくださったこの宝物だけが、今の私に「高円寺凛」であることを思い出させてくれる。
「……わかったわ」
背筋を鋼のように伸ばし、私は扉を開けた。
朝食の間は、昨夜の謁見の場とは打って変わって、こぢんまりとした温かみのある部屋だった。
石造りのアーチ窓から朝の光が差し込み、長テーブルの上に異世界の食材が並んでいる。
私が席に着くと、すでに音無海がテーブルの端で縮こまっていた。
眼鏡の奥の目が、テーブルに並んだ料理をきょろきょろと確認している。
「おはようございます、凛さん」
「……おはよう」
最低限の返事をして、私は目の前の料理を観察した。
見た目は中世ヨーロッパ風のパンとスープ。
色味は地球のものと大差ないが、香りがどこか違う。魔素が食材に影響しているのか、あるいは単に調理法の差なのか。
「凛さん、それ食べても大丈夫かな……僕、一応匂いは嗅いでみたんですけど」
海が恐る恐る呟く。
(分析している場合じゃないわね)
私は迷わずパンを一口かじった。
「……悪くないわ」
「そ、そうですか! よかった……」
海がほっとしたように自分のスープに手を伸ばした。
[LOG_KAI - INNER VOICE]
(凛さんが「悪くない」と言った。これは事実上の最高評価だ。仮面ライダー龍騎でいうと、城戸真司が秋山蓮に「お前、意外とやるな」と言った時のやつと同じレベルのレア褒め言葉……いや、そこまでじゃないか。でも凛さんにしては珍しい)
(それより)
(この料理、全部初めて見る素材だ。エンジニアとして言わせてもらえれば、異世界の食材というのはそれだけで膨大なデータの塊だ。カロリー換算も栄養素も未知数。デルタに解析させたいところだけど……)
(……まずは食べなきゃ、体が動かない)
海は静かにスープを口に運んだ。その味が予想より数倍おいしかったことは、彼は誰にも言わなかった。
朝食が半ばに差し掛かった頃、重厚な鎧の音が廊下から近づいてきた。
扉が開き、軍務大臣バルドウィン・フォン・アーレンスバッハが部屋へ入ってきた。
昨日の謁見で見せた厳粛な表情のまま、彼は私と海を等しく一瞥し、低く腹に響く声で告げた。
「食事中に失礼する。今日、貴殿らに同行していただきたい場所がある」
私はパンを置いた。
「朝食の途中に訪ねてくるとは、礼節を欠いた申し出ね」
「……失礼した。だが、急を要する」
バルドウィンは眉一つ動かさなかった。
その表情の奥に、昨夜から変わらない何かが宿っている。
疑念。試す意志。そしてもう一つ——計算の色だ。
[LOG_KAI - INNER VOICE]
(来た。このタイミングで朝食に乗り込んでくるということは、昨夜のうちに計画を立てていたということだ)
(バルドウィンさん、昨日から気になってた。謁見の場で凛さんに言い負かされた時、怒っているように見えて……内心では笑っていた。凛さんが言い返すことまで「想定内」として処理していた)
(これは完全に「マスターロゴスポジション」だ。表の顔を保ちながら、組織の深いところで全部を操るタイプ)
(凛さんを試したいんじゃない。凛さんの「限界値」を測りたいんだ……)
「どこへ行くつもり?」
私は冷静に問いかけた。
バルドウィンは一拍間を置いた後、静かに答えた。
「帰らずの森だ」
「帰らずの森?」。
その名前だけで、侍女たちの顔色が変わった。
部屋の隅で控えていた若い騎士が、かすかに息を呑むのが聞こえた。
それほどの場所なのか?と私は観察した。
名称から意図は読めるが、実態は不明。不明なものを恐れるのは愚かだ。
まず情報を集めることが先決ね。
「詳しく説明しなさい」
私がそう告げると、バルドウィンは初めてわずかに目を細めた。
命令ではなく、「当然の権利として説明を求める」という私の口ぶりを、彼はどう受け取ったのか。
「あの森は、王国の東端に広がる魔素の溜まり場だ。強力な魔力を持つ者でなければ足を踏み入れることすら危険で、一般の兵士が入れば一刻と保たない。生きて帰った者がほとんどいないことから、いつからかそう呼ばれるようになった」
「……それで?」
「貴殿らが神威として本物であるならば、あの森でも生存できるはずだ。
逆に言えば——あの森を歩けないようであれば、この国の危機に立ち向かうことなど不可能だ」
沈黙が朝食の間を満たした。
「つまり、私たちを試したいというわけね」
「……端的に言えば、そうだ」
バルドウィンは視線を逸らさなかった。
正直な男だ、とは思った。しかしその正直さの裏に、どれだけの計算が潜んでいるかは——まだわからない。
私は視線だけで海を一瞥した。
海はといえば、パンを手にしたまま固まっていた。
馬車は王都の石畳を離れ、東の街道へと進んだ。
凛と海は並んで座っている。
正確に言えば、凛がシートの三分の二を堂々と占領し、海が残り三分の一に収まっている。
「少し詰めなさいよ」
「え、でも僕、これ以上端に行くと落ちそうで……」
「落ちみたら。異世界の路面がどれだけ硬いか、データが取れるでしょ」
「冷たい! 凛さん、冷たすぎる!」
[LOG_KAI - INNER VOICE]
(馬車が揺れるたびに凛さんと肩が当たりそうになる。これは仮面ライダーアマゾンズで言うところの、田村イカ焼き屋の軽トラの荷台で水澤悠と仲村学が並んで座るシーンに近い状況だ。あの場面、二人の距離感が絶妙で……)
(……いや、今はそういう話じゃない。落ち着け音無海)
(帰らずの森。バルドウィンさんの表情からして、あの場所は本当に危険だ。でも凛さんのステータスはレベル99、全パラメーター最大値。正直、凛さんが本気を出せば森ごと消し飛ぶんじゃないかという気もする)
(問題は僕だ。『闇属性の創造主』というスキルが何を意味するのか、まだわかっていない。このベルトが反応した時、何かが変わる予感はあるけれど……)
海はさりげなく腰のファイズギアに触れた。冷たく、重く、確かな感触。
窓の外では、整然とした農地が次第に荒野へと変わり始めていた。
木々の密度が増し、空の色が薄くなっていく。遠くに見えていた山の輪郭が、霧の中に滲み始めた。
「……雰囲気が変わってきたわね」
凛が窓の外を見ながら、静かに言った。
「うん。さっきまでとは全然違う。空気が……重い?」
「魔素が濃くなっているのよ。体感できるということは、この世界の理に私たちの感覚が馴染み始めている証拠ね」
[LOG_KAI - INNER VOICE]
(凛さん、さらっとすごいことを言った。「魔素を体感できる」って、この世界の住人でもそう簡単じゃないはずだ。やっぱり光属性の勇者というスキルは伊達じゃない)
(……でも、それより)
(凛さんが今、窓の外を見ている横顔。いつもの高飛車な空気とは少し違う。真剣に、この世界を「解析」している目だ)
(昔から、凛さんはこういう顔をしていた。わからないものに出会った時、怖がるんじゃなくて——まず
「理解しよう」とする目)
(憧れるな、そういうとこ)
(……いや待って。今、何を考えた?)
(落ち着け音無海。今は森に集中しろ)
馬車が止まった。
御者の緊張した声が外から届く。
「……着きました。帰らずの森、東の入り口です」
扉が開き、外の空気が流れ込んだ。
その瞬間、凛と海は同時に息を詰めた。
目の前に広がるのは、世界の終わりを思わせる光景だった。
森の入り口から先、濃密な白い霧が壁のように立ち込め、木々の輪郭さえ数歩先で溶けて消える。
音がない。
鳥の声も、風の音も、葉の揺れる気配も——何もない。
あるのはただ、肌を刺すような魔素の圧迫と、底のない静寂だけだ。
「これが……帰らずの森」
海の呟きが、霧の中に吸い込まれていった。
バルドウィンが馬から降り、二人の隣に立った。
その顔は平静を保っているが、鎧の下で僅かに息が変わっている。
「この森は、人間が足を踏み入れるべき場所ではない。生きて帰れる者はほとんどいない。だから『帰らずの森』と呼ばれている」
その言葉は説明ではなく——確認だった。
それでも行くか、と問いかけるように。
凛は霧の奥を真っ直ぐに見据え、サファイアの髪留めにそっと触れた。
「趣味が悪いったらありゃしない」
静かに呟いて、彼女は一歩、森の中へ踏み出した。




