第394話 アウロラ、奔走する!
【アウロラ視点】
『アヴァロン帝国歴183年 5月21日 聖都アウグスタ 教皇庁 晴れ』
私は、アウロラ。
闇の教皇であるノクシア母さんと、アヴァロン帝国の皇帝代理であるライル父さんの間に生まれた娘だ。
アヴァロン帝国歴161年生まれの、二十代。
一応、この世界で一番偉大な両親の血を引いている……はずなのだが、私自身はただの普通の人間である。
ふと視線を上げると、目の前にはノクシア母さんの姿があった。
母さんは、いつまで経っても十代後半の可憐で美しい少女の姿のままだ。
だって、母さんの正体は――ううん、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「ピウスが死んだ。コンクラーベがある。教皇庁に行くぞえ」
母さんがそう言ったかと思うと、私は影の中を無理やり引きずり回され、あっという間に帝都ハーグから、ここ聖都アウグスタの教皇庁へと連れてこられたのだ。
そして今、目の前の廊下では、とても正視できないような痛ましい光景が広がっていた。
「離してください! わっ、私のせいです! たとえ地獄に落ちようとも、死んで償いますっ!」
若い修道女のセシリアさんが、大粒の涙を流して泣き叫んでいる。
彼女は鋭い果物ナイフを自らの首に突き立てようとしていたが、間一髪で、闇ギルドのジークさんが背後から羽交い絞めにして止めていた。
手から払い落とされたナイフが、チャリンと冷たい音を立てて大理石の床に転がる。
「落ち着くのじゃ! ピウスはそなたを守って死んだのじゃぞ? そなたが後を追って死んだら、ピウスが浮かばれんわ!」
ノクシア母さんの威厳に満ちた、けれどどこか慈愛を帯びた声が廊下に響き渡る。
その言葉を聞いたセシリアさんは、ヘナヘナと糸が切れたように床に座り込み、両手で顔を覆って号泣し始めた。
ジークが床に落ちていた果物ナイフを拾い上げると、彼の纏う闇の中へとスッとしまった。
「ジーク、しばらくセシリアについていてやるのじゃ。いま、ユーディルのやつが、ライルを呼びに行っておる」
「はっ、存じております。すでに列車にて、こちらへ向かっている模様です!」
「うむ。しばらく、この娘を頼むぞ」
「ははっ!」
ジークが恭しく頭を下げ、泣き崩れるセシリアさんの肩を不器用ながらも優しく支えた。
「アウロラよ、ピウスのやつの葬儀はどうなっておる?」
「はい、側近のクレメンテ枢機卿が進めています」
「うむ、それで良い。光と闇の女神たる妾が作った宗教じゃからな。ときどき、こうして面倒を見てやらねばの」
(……そうなのだ)
母、ノクシアは、光と闇の女神そのもの。
世界を二分する『女神教』と『闇の宗教』、相反する二つの宗教のご神体が、実は同一の存在であると知る者は少ない。
もちろん、私はそんな神の奇跡なんて使えない普通の人間だから、こうして母さんの手伝いで奔走しているわけだけど。
私とノクシア母さんは、足早に教皇の執務室へと向かった。
◇
執務室の重厚な扉は、乱暴に開け放たれていた。
中に入ると、枢機卿の赤い法衣を着た老人たちが、クレメンテ枢機卿を囲んで唾を飛ばすような激論を交わしていた。
「クレメンテ枢機卿! 盛大な葬儀を行うのは結構だが、その莫大な費用はどうするのだ!」
「そうですぞ! まさかピウス猊下がこれほど早く亡くなられるとは……事前の準備など全くできておりません!」
「このままでは、女神教の運営資金が底を尽きますぞ!」
世界中に信徒を持つ女神教の教皇の葬儀ともなれば、その規模と費用は国家の国家予算にも匹敵する。突然の悲劇に、教皇庁の財政は完全にパンク寸前らしい。
「小童ども、ピーチクパーチクさえずるでないわ!」
ノクシア母さんの一喝が、執務室の空気をビリッと震わせた。
「おおっ……! こ、これは闇の教皇、ノクシア様!」
クレメンテ枢機卿をはじめとする高位の聖職者たちが、一斉に青ざめて跪いた。
さすがに枢機卿クラスともなれば、全員が世界の裏側を支配する『闇の教皇』の存在を知っているのだ。
「費用なら、いま呼んでおる! しばし待つのじゃ」
「呼んである、とは? 一体どういうことでしょうか……?」
「すぐに分かるぞえ。アウロラ、この場は任せる」
「はい、母さん……じゃなくて、闇の教皇猊下!」
私は慌てて言い直し、深く頭を下げた。
◇
そして、その日の晩。
予想以上に早く『それ』は到着した。
相変わらず葬儀費用を捻出するための激論が続いていた教皇の執務室へ、どこか気の抜けたスーツ姿の中年男と、黒づくめで長身の年齢不詳の男が入ってきたのだ。
ライル父さんと、ユーディルである。
どうやら、特急列車を乗り継いで大急ぎで駆けつけてくれたらしい。
「あの~、ピウスさんの葬儀の費用ですよね? 良かったら、アヴァロン帝国からいくらか包みますけど……」
父さんのその気の抜けた一言で、執務室の空気は一瞬で凍りつき――次の瞬間、爆発した。
「おおおおおっ! アヴァロンの皇帝陛下代理が、資金を援助してくださると!?」
「神よ! ライル大帝よ! これでピウス猊下を温かく見送ることができますぞ!」
クレメンテ枢機卿を含めた老人たちが、文字通り狂喜乱舞して父さんの手を取り、涙を流して拝み始めた。
大国の皇帝のポケットマネー(という名の国家予算)により、女神教最大のピンチは、たったの三秒で全て解決してしまったのだ。
ふと見ると、いつの間にか、ライル父さんの体にノクシア母さんがベッタリとしなだれかかっていた。
「さすがライルじゃ。金払いの良い、実に頼りになる男よな。……どうじゃ? 今晩、一緒に……サービスするぞえ?」
母さんが、父さんの耳元で妖艶に囁く。
「えっ、えええええ!? うっ、嬉しいけど……ここ、教皇庁の神聖な場所だよ!? そんなことしていいの~っ!?」
父さんが顔を真っ赤にしてオロオロと周囲を見渡す。
「ほほっ、妾が『良い』と言っているのじゃ。だれも妾を、誰も止められんぞえ?」
「そ、それはそうかもしれないけど……!」
その日の夜。
厳粛であるはずの教皇庁の一角から、ノクシア母さんの艶やかな嬌声が響き渡っていたのは言うまでもない。
闇の教皇が良いと言っているのだから、教皇庁の人間は誰も文句を言えないのだ。
「……はぁ。お父さんもお母さんも、元気すぎるわ」
私は割り当てられた客室で一人、深く深いため息をついてから、冷たいベッドにもぐりこむのであった。
いろいろありすぎて疲れた。
すうっと、深い眠りに入るまで、時間はかからなかった。
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