第359話 アズトラン内戦! 北州国独立戦争 ハーグ式軍隊 対 ハーグ式軍隊
【新アズトラン共和国中央軍将軍エステバン・モラレス視点】
『アヴァロン帝国歴180年 12月1日 アズトラン中央州アズトラン・シティ(旧トナティウカン)』
アズトラン共和国の地図は、無残にも二色に塗り分けられてしまった。
広大なアズトランの大地は、五つの州によって構成されている。
中央、北部、東部、南部、西部。
このうち、現在の新アズトラン共和国大統領、リカルド・ヴァレンシアが確固たる支持基盤を持ち、選挙で勝利したのは、中央・南部・西部の三州だ。
対して、北部と東部は、旧皇帝シトラリへの敬愛を捨てきれず、共和国政府とは距離を置いていた。
特に東部の沿岸には、ヴィンターグリュン王国の海外領土であり、現在はアヴァロン帝国領となっている『アカツキ・シティ』が存在する。
東部は物理的にも経済的にも、アヴァロンの影響を強く受けざるを得ない地域なのだ。
これまでは、各州に総督を任命して統治させるという、中央集権的なシステムでなんとか国の形を保っていた。
だが、その均衡がついに崩れ去った。
事の発端は、北州総督ラモン・バルガスによる『独立宣言』だ。
彼らは改めて旧皇帝シトラリを主君と仰ぎ、アズトラン北州国としての独立を世界に公表した。
これに対し、アヴァロン帝国の首都ハーグにある議会は、即座に国家承認を行った。あまりにも手回しが良すぎる。裏で糸を引いているのが誰かは明白だった。
さらに、これに呼応するように東部州もまた、北部に従うと宣言したのだ。
ここで、アズトランは完全に二つに割れた。
「エステバン将軍閣下、リカルド大統領がお呼びです」
副官の硬い声が、執務室に響く。
「……ついに、来たか」
私は読みかけの本を、そっとマホガニーの机の上に置いた。
分厚い革表紙には、金文字で『ハーグ式軍学概論』と記されている。
これは、ハーグの士官学校で使用されている教本を、闇ルートを通じて密かに取り寄せたものだ。
今や世界最強と謳われるアヴァロン帝国軍。その根幹を成す軍事理論が詰め込まれた、いわば世界最高峰の軍学書である。
敵国の教本ではあるが、そこに記された理論は極めて合理的で先進的だ。学ぶべきことは多い。
だが、私には私の美学がある。ページを閉じる前、私は一番好きな一節を指でなぞった。
(『軍がいることによって戦いが抑止される。これが最上級の状態である』)
発言者は、ハーグの皇后にして元帥である、ヴァレリア様とされていた。
もっともな発言だと思う。
戦わずして勝つ、あるいは戦いを未然に防ぐことこそが、軍人の本懐だ。しかし、政治家というのはそうは考えないらしい。
「……北部・東部に勝てるか、か」
私は軍帽を被り、部屋を出た。
迎えに来たのは、黒塗りの高級車だ。
皮肉なことに、これもハーグの『レオ自動車』から購入した輸入品である。
エンジン音は静かで、乗り心地も滑らかだ。車窓の外を流れるアズトラン・シティの街並みを眺める。
かつてのシトラリ皇帝の居城は、今では観光地として一般公開され、多くの観光客で賑わう人気スポットとなっていた。
だが、この非常事態において、観光客の姿は消え失せ、街全体が息を潜めているように静まり返っている。
やがて車は、最近建てられたばかりの真新しい大統領府へと滑り込んだ。
「失礼します」
大統領執務室に入ると、私は直立不動で敬礼した。
リカルド大統領は、窓の方を向き、私に背中を見せたまま立っていた。窓の外に見える荒涼としたアズトランの風景を睨みつけているようだ。
「エステバン将軍、北部に勝てるかね?」
独り言のように、しかし重い問いが投げかけられる。
私は一瞬、言葉を選んだが、軍人としての誠実さを優先することにした。
「正直に申し上げてよろしいですか?」
「申してみよ」
「ハーグ式の軍学によると、現在の戦況における基本は、歩兵による塹壕戦となります」
私は冷静に分析を述べた。
北部の背後にはアヴァロンがいる。彼らもおそらく、我々と同じ教本を読み、同じ戦術を採用するだろう。
「お互いに広大な陣地を構築し、睨み合いが続くでしょう。おそらく、短期間での決着はつきません。泥沼の消耗戦になります」
「……しかし、それでは困るのだよ。政治的にな」
リカルド大統領が、ゆっくりと振り返った。その顔には焦燥の色が濃く滲んでいる。
独立を許し、長引かせれば、彼の大統領としての求心力は失墜する。
祖国の分裂を阻止し、強いリーダーシップを示すには、速やかな軍事的勝利が必要なのだ。
「戦術的困難は承知している。だが、国家の威信がかかっているのだ。……頼めるか?」
「……わかりました。微力を尽くします」
私は再び敬礼をし、踵を返して退出した。
心の中には、鉛のような重みが沈殿していた。
中央軍の駐屯地に戻ると、私は全軍の指揮官を招集し、静かに、しかし力強く告げた。
「全軍へ通達。総動員令を出せ……」
その号令と共に、アズトラン内戦の火蓋は切って落とされた。
ハーグの教えを学んだ者同士が、ハーグ製の武器を手に取り、殺し合う。
これほど愚かで、悲しい戦争があるだろうか。
駐屯地を吹き抜ける風が、頬を撫でた。
アズトランは冬でも温暖な気候の土地だ。
だが、この日の風は、骨の髄まで凍りつくほどに冷たいような気がした。
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