第354話 エルンスト救われる 助けたのは魚屋のおっちゃんたちだった件
【エルンスト・ヴァルツァー視点】
『アヴァロン帝国歴180年 9月1日 帝都ハーグ ビアンカ商会本店ビル(旧エルンスト不動産) 曇り』
夢の終わりは、呆気ないものだった。
俺は、つい二週間前に手に入れたばかりの城――ビアンカ商会本店ビルを、元の持ち主に売り渡す契約書にサインをした。
「あら、短い間でしたけど、高い賃料でしたわね。ありがと、エルンストさん」
ビアンカさんが、契約書をパタンと閉じ、妖艶に微笑む。
その笑顔は美しいが、商売敵としては悪魔のようだった。
「くっ……」
俺は何も言えなかった。
当然、買い取ってもらった価格は、俺が買った時より大幅に安く叩かれた。足元を見られたのだ。
だが、文句は言えない。ユニオンの金利引き上げと貸付金回収の波は、津波のように押し寄せている。今すぐに現金を作らなければ、俺は破産だ。
俺はビルを後にし、手元の資産台帳を睨んだ。
このビルを売った金だけでは足りない。俺が買い漁ったハーグ中の不動産を売りさばき、ユニオンへ資金を返済しなくてはならない。
計算上、すべての借金を返しても、不動産の半分――主に中小規模の住宅や店舗――は手元に残る。
一文無しになるわけではない。だが、これから値上がりすると信じていた宝の山を、二束三文で手放すのは身を切られるように辛かった。
「はぁ……。俺の天下は二週間か」
一人、ふらふらとハーグの街を歩く。
曇り空の下、どこからか軽快な音楽が聞こえてきた。
街角のラジオから流れる、あのスーパーの歌だ。
『♪ハ~ンスマート、ハ~ンスマート、主婦の味方だハ~ンスマート~』
その能天気なメロディを聞いた瞬間、俺の脳裏に電撃が走った。
(……これだ!)
俺は踵を返し、ハンスマート本店へと全速力で走った。
ハンスマート本店。
バックヤードに通された俺を、社長のハンスが出迎えてくれた。
「これはこれは、不動産王のエルンスト殿ではありませんか? こんなしがないスーパーに何の御用で?」
ハンス社長は、腰の低い姿勢を崩さない。俺が落ち目になったことなど知っているはずなのに、態度は変わらなかった。
「ははっ、実は私はハンスマートの歌が好きでして……頼みますっ!」
俺は深々と頭を下げた。
「スポンサー料を支払いますから、御社のラジオ番組で、私の不動産のCMを流させてはくれませんか!? 一般庶民に向けた、住宅の大セールを行いたいのです!」
俺の持っている物件は、庶民には手が届きにくいものもある。だが、今のハーグの勢いなら、宣伝次第で売れるはずだ。
ハンス社長は、じっと俺の目を見つめた後、ポンと俺の肩を叩いた。
「……いいでしょう。困った時はお互い様です」
彼は静かに頷いてくれた。
それから数日後。ハーグ中で『エルンスト不動産、涙の在庫一掃大セール!』のCMが流れた。
価格は市場価格より二割引き。俺にとっては大損だが、背に腹は代えられない。
そして、セール当日。
店舗の前には、長蛇の列ができていた。
並んでいる客層を見て、俺は驚いた。
日焼けした肌、がっしりした体格、そして微かに漂う潮の香り。
「おい、ここの物件、本当にこの値段でいいのか?」
「へっ、北の海で稼いできた金が唸ってるんだ。一番いい家を頼むぜ!」
彼らは、北洋漁業で一攫千金を掴んだ漁師や、水産加工業の関係者たちだった。
ノースグリーンの魚バブルで潤った彼らが、マイホームを求めて殺到したのだ。
(そうだったな……。今やハーグは海鮮も名物、だったっけか)
俺は、契約書にサインをする彼らの顔を見た。
「これで家族に楽をさせてやれる」
「広いキッチンがあれば、母ちゃんも喜ぶ」
誰もが満面の笑みを浮かべている。
その様子を見ていたら、なぜか、乾いた俺の心から涙が溢れてきた。
(そうだったな……。俺は、もともとは商売を通じて、皆が幸せになれると信じていたんだ。いつから数字だけを追いかけるようになった?)
俺は、涙を袖で拭った。
(よし、今は邪心を捨てて売ろう! 彼らの新しい生活のために!)
こうして、俺はどうにかユニオンへの借金を完済した。
手元には、まだそれなりの数の賃貸物件が残った。
大富豪とまではいかないが、一生遊んで暮らせるだけの資産はある。
「これからは、『プチ不動産王』として、賃貸で堅実に稼ぐとするか」
俺はハーグへの永住を決め、穏やかな日々を送ろうとしていた。
そんな折だった。
再び、フェリクス殿下からお声がかかったのは。
俺は急いで、以前仕立てた貴族服に着替えると、帝国内務省へ向かった。
通された客間には、フェリクス殿下が一人で待っていた。
「やあ、エルンストさん。ハーグへの永住申請見たよ。いまや君もハーグの『プチ不動産王』だからね。歓迎するよ」
銀髪の皇太子は、悪戯っぽく微笑んだ。
「ははっ、その称号は、今となっては微妙ですな。あの時、殿下の助言に従っておれば、もっと多くの土地を残せたでしょう。……未熟でした」
「うん、挨拶はこれくらいにしておこう。実はね、君に『財務大臣』の地位を引き継いでもらいたくてね。まあ、いわゆるスカウトというやつだよ」
「……は?」
俺はポカンと口を開けた。
「ど、どうして俺なんですか? 俺は一度、読みを外した敗北者ですよ?」
「あなたは一度失敗している。痛みを伴う失敗をね。だからこそ、もう同じ失敗はしないだろう。それに……」
「それに?」
「どうも、今の財務大臣のビアンカさんが、君のあくどい……いや、アグレッシブな商売っ気に当てられたらしくてね。『やっぱり商売は現場が一番! 役人なんてやってられないわ!』って、辞表を出してきちゃったんだ」
殿下は苦笑いした。
「彼女、しばらく商売に専念したいとのことだ。ポストが空いて困っていたんだよ。どうだい? 受けてくれるなら、永住権ではなくて、市民権をあげよう。悪い話じゃないと思うけど」
俺の心臓が高鳴った。
一度は国を揺るがすほどのバブルを作り、そして弾けさせ、最後は泥臭く再生した俺を買うというのか。
この国は、どこまで懐が深いんだ。
俺は居住まいを正し、深々と頭を下げた。
「……微力を、尽くさせていただきます。我が主君」
こうして、俺は、アヴァロン帝国の臣下となった。
省庁の外へ出ると、秋晴れの心地よい日差しが降り注いでいた。
その光は、一度破滅を見た俺を、柔らかく、そして温かく包んでくれるようだった。
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