第353話 エルンスト、時の人となる
【ユニオン商人エルンスト・ヴァルツァー視点】
『アヴァロン帝国歴180年 8月25日 帝都ハーグ エルンスト不動産本店前 晴れ』
俺は、自社ビル――と言っても、元は小さな不動産屋の店舗だが――を出て、ぎらつく夏の日差しの下、空を見上げた。
「……ふん、今はまだ見上げているだけだがな」
俺の視線の先には、ハーグの商業中心地にそびえ立つ、威風堂々たる巨大ビルがあった。
『ビアンカ商会本店ビル』。
この国の富の象徴とも言えるその建物を、俺はねめつけた。
(いつか、あのビルを買ってやる! 俺の王城にするんだ!)
野望に燃える俺のもとに、信じられない知らせが舞い込んだのは、その直後だった。
『帝国副宰相、フェリクス・フォン・ハーグ殿下より、お呼び出しです』
「なっ……!?」
俺は耳を疑った。
副宰相といえば、あのライル皇帝の息子であり、実質的に帝国の政務を取り仕切るナンバーツーだ。
(おっ、大物中の大物じゃないかっ!? ついに俺の名もそこまで届いたか!)
俺は、急いで高級仕立て屋へ駆けこんだ。
商人風情と侮られてはならない。俺は奮発して、貴族が好むフリル付きのシャツに、体にフィットした乗馬ズボンというスタイルを特急で仕立ててもらった。
案内されたのは、帝国内務省の特別応接室だった。
豪華な絨毯、壁に飾られた名画。俺はカチカチに緊張しながら、高級な紅茶をすすっていた。
やがて、扉が開く。
入ってきたのは、サラリとした美しい銀髪をなびかせた、涼やかな青年だった。
その隣には、派手ではないが圧倒的な存在感を放つ、中年の女性が控えている。
「初めまして、エルンストさん。副宰相をしているフェリクスと申します」
「……よろしくお願いします。ビアンカ商会代表の、ビアンカと申します」
フェリクス殿下の、母親譲りの整った顔立ちと、どこか全てを見透かすような瞳。そして商業界の女帝ビアンカ。
俺は背筋を伸ばし、精一杯の愛想笑いを浮かべた。
(ははっ、これはチャンスが向こうから舞い込んできたな……。俺への出資話か? それとも表彰か?)
話の内容は、俺の予想とは少し違っていた。
彼らは、俺がどうやってたった一ヶ月ちょっとで不動産屋をここまで大きくしたのか、その資金の出所や手法について事細かに聞いてきた。
特にやましいことはない。俺は胸を張って答えた。
「簡単なことです。ユニオン政府の公的融資ですよ。あちらは今、超低金利で幾らでも貸してくれますからな。その金で、成長著しいハーグの不動産を買う。当然の商行為です」
俺が語り終えると、フェリクス殿下は手に持っていたティーカップをソーサーに置いた。
カチャリ。
その小さな音が、やけに部屋に響いた。
殿下がゆっくりと顔を上げる。その表情から笑みが消えていた。
心なしか、部屋の空気の温度が数度下がった気がした。
「……エルンストさん。僕も帝国の副宰相をしているから、経済の流れというのはなんとなくわかるのですが」
殿下の低い声が、俺の鼓膜を揺らす。
「悪いことは言いません。ここらへんで利益を確定させて、手仕舞いしませんか? 今なら、ハーグの不動産王として、十分な資産を残せるはずです」
「……と、申しますと?」
「私から説明するわ」
ビアンカさんが、冷ややかな視線を俺に向けた。
「簡単よ。ユニオンがばら撒いている原資、あの十億帝国マルク。あれも、無尽蔵じゃないわ。ユニオン中の商人が群がっているんだもの、そろそろ底を尽きるんじゃないかって話よ」
「は、はあ……」
俺は生返事をした。確かに減ってはいるだろうが、国家予算規模だぞ?
「そうなると」
フェリクス殿下が引き継ぐ。
「資金が枯渇すれば、ユニオンも金利を上げて引き締めに掛かると思うんだよね。変動金利で借りている君の場合、返済額が跳ね上がる。そうしたら、君のビジネスモデルはパーだ」
俺の中で、何かが弾けた。
忠告? いや、これは嫉妬だ。新参者の俺が、ハーグの市場を荒らしているのが気に入らないのだ。
「そっ、そんな脅しには屈しませんぞっ!」
俺はテーブルを叩いて立ち上がった。
「俺の読みは完璧だ! ユニオンの好景気はまだ続く! ……そんな事より、ビアンカ殿っ! あなたに商談がある!」
「あら、私に?」
「御社のビアンカ商会本店ビル! あれを購入したいですぞっ! 俺の成功の証として!」
これには、冷静なフェリクス殿下もビアンカさんも、一瞬ぽかんと口を開けた。
だが、すぐにビアンカさんは口元を吊り上げ、妖艶かつ冷酷な笑みを浮かべた。
「……高いわよ?」
「元より承知ッ! 言い値で買いましょう!」
「分かったわ。そこまで言うなら売ってあげる。……せいぜい、手元にある間にハーグの風景でも楽しんで頂戴」
彼女の言葉の裏にある棘に、俺は気づかなかった。
こうして、この会談は終わった。
『二週間後 9月8日 旧ビアンカ商会本店ビル 最上階』
俺は、真新しいプレートが掲げられた『エルンスト不動産本店ビル』の最上階から、ハーグの風景を眺めていた。
眼下に広がる街並み。行き交う人々が豆粒のようだ。
(いい、実に心地いい……。俺はついに頂点に立った。俺の商人人生に、一片の悔いも無し……)
俺は、執務机に置かれた最高級の赤ワインに手を伸ばした。
勝利の美酒を味わおうとした、その時だった。
バンッ!
扉が粗暴に開かれ、部下の一人が血相を変えて部屋へ駆けこんできた。
「たっ、大変ですエルンスト様!! ユニオン中央銀行から緊急の通達が!」
「なんだ騒々しい。祝いの席だぞ」
「き、金利が……ユニオンが政策金利を大幅に引き上げるとの事です! さらに、貸付金の即時回収を求めてきています!」
「なっ……! なに!?」
俺の手から、力が抜けた。
フェリクス殿下の言葉が、脳裏に雷鳴のように蘇る。
『君のビジネスモデルはパーだ』
重力に従い、高級ワインのボトルが床へと落下した。
ガシャーン!!
鋭い破砕音が、広い執務室に虚しく響き渡る。
白い絨毯の上に広がる赤黒いワインの染みは、まるで、俺の未来を暗示する血の色のようであった。
ハーグの秋風が外では吹き始めていたが、俺はその冷たさにまだ気が付いていなかった。
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