第350話 ハーグ議会はノースグリーンの価値を査定する そして運命の入札
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴180年 5月27日 帝国議会議事堂 晴れ』
この日、ハーグ帝国議会は、いつになく熱気を帯びていた。
議題は、ウェスタン・トレード・ユニオンが売りに出した北方の地、『ノースグリーン』の入札に参加するか否かについてだ。
僕はいつものように、二階の皇帝専用観覧席から、眼下で繰り広げられる議論をぼうっと眺めていた。
皇帝が口を出すと議論にならないからね。見守るのも仕事のうちだ。
「絶対に買うべきです! これは千載一遇のチャンスなんですよ!」
バン! と机を叩いて立ち上がったのは、魚屋の娘にして、市民代表議員を務めるマリーナ議員だ。
「氷に閉ざされた大地かもしれませんが、海には魚がいます! 北の海は脂の乗ったサーモンやカニの宝庫なんです! きっと魚がいっぱいとれます! 国民に美味しい魚を届けるのが、私たちの務めでしょう!」
彼女の熱弁に、食いしん坊な議員たちが「おおーっ!」と賛同の声を上げる。
しかし、すぐに冷や水を浴びせる声が上がった。反対派の筆頭、保守派のカスパル議員だ。
「購入には断固反対です! だいたい、氷しかないような大地ですよ? 人は住めず、作物は育たず、ただ維持費ばかりかかるに決まっています! そんな不良債権を抱え込んで、我が国の財政を圧迫するおつもりですか!」
カスパル議員の指摘ももっともだ。
議場は「買うべきだ」「いや、無駄遣いだ」と真っ二つに割れ、収拾がつかなくなりかけた。
そこで、ゆっくりと手を挙げたのが、中道派の重鎮オットー議員だった。
「まあまあ、皆さん落ち着いて。感情論で決めてはいけませんな。本当の価値は、ここにいるわたくしどもには分かりません。ここは一度、専門家に調査してもらったほうがよろしいのでは?」
オットー議員の老獪な提案に、皆が頷いた。
こうして、ノースグリーンの真の価値を査定することになり、議題はいったん、宰相であるグレン・オルデンブルク公の預かりとなった。
『三日後 5月30日』
再び議会が開かれた。
演壇に立ったグレン公が、分厚い査定書を広げた。
「みなさん、ノースグリーンの査定額が出ました。水産資源、地下資源の可能性、および戦略的価値を計算し、そこから維持コストを引いた結果……」
グレン公は眼鏡の位置を直し、冷静に告げた。
「住民への補償とユニオンへの支払いで、おおよそ十億帝国マルク程度が妥当と出ました。これ以上出すと、採算が取れるまでに数十年を要し、赤字となるリスクが高いでしょう」
十億帝国マルク。
国家予算からすれば決して安くはないが、払えない額ではない。
「ならば、その金額で入札に参加してみては? 十億なら、カニやサーモンで十分回収できます!」
マリーナ議員が鼻息荒く提案する。
カスパル議員も、グレン公の弾き出した「損益分岐点」を見て、渋々ながら頷いた。
「……ふむ。グレン公の試算ならば信用できましょう。十億までなら、認めます」
特に反対意見も出なかったので、採決をとったところ、ハーグ議会の入札上限額は『十億帝国マルク』と決定された。
僕はその様子を上から見ていて、「ふーん」と思った。
(なんか、戦争もしないで領土が手に入るチャンスなのに、もったいないなぁ)
十億というのは、あくまで「今の価値」だ。
でも、領土というのは未来への投資だ。ハーグの予算なら、もっと出せるのに。
何なら、建設国債……いや、「お魚国債」とかを発行して赤字になっても、将来お魚さんがいっぱいとれるのなら、すぐに回収できるんじゃないのかな?
そんな素朴な疑問が残ったが、議会の決定は絶対だ。僕は何も言わずにその場を後にした。
『さらに三日後 6月2日 入札当日』
僕たち貴族議員も、ハーグ市民議員も、固唾を飲んで議会場に集まっていた。
議長席の中央には、黒い箱のような機械が置かれている。
アシュレイ工廠が新たに開発し、全世界に普及しつつある『音声通話装置』だ。
この機械を通じて、ユニオンの本部とリアルタイムで繋がっている。
ザザッ……というノイズの後、ユニオンのアドルフ議長の声が響いた。
『……あー、テステス。聞こえているか。今回、入札に参加した国は三か国だ。それぞれ、ゼナラ、アズトラン、アヴァロンとなる。ではさっそく、各国の提示金額を読み上げる』
議会場に緊張が走る。しんと静まり返った室内で、アドルフの声だけが響く。
『まずは、ゼナラ! 提示額、一億帝国マルク』
みながホッと息を吐いた。
まだ戦後の復興途中にあるゼナラでは、購入のための資金が不足していたらしい。これなら敵ではない。
『続いて、新アズトラン共和国! ……提示額、十億帝国マルク!』
議会がどよめいた。
「なっ、同額だと!?」
「向こうもギリギリのラインを攻めてきたか!」
「これでは、決戦交渉になるぞ。資金繰りの準備期間がない我々は不利だ……!」
マリーナ議員が頭を抱え、カスパル議員が渋い顔をする。
ハーグ議会が承認したのは「十億まで」だ。これ以上の増額には、再び審議が必要となり、時間切れで負ける可能性がある。
アドルフ議長の声が続く。
『最後に……アヴァロン帝国ことハーグ議会。提示額は……』
一瞬、通信機の向こうで息を飲む気配がした。
『……なっ!? じゅ、十億……飛んで一マルク!』
その瞬間、議場の空気が凍りついた。
シーン……。
一瞬、誰も言葉の意味を理解できなかった。
たった、一マルク。
されど、一マルク。
一マルク差で、ハーグが最高額を提示し、勝利したのである!
心なしか、通信機の向こうのアドルフの声が、屈辱で震えているようだった。
『……くっ。よって、落札者は、ハーグ市民議会とする! 速やかに手続きに移られたし!』
ガチャン! と、少し乱暴に通信機が切られた。
「う、うおおおおおおおっ!!」
一拍置いて、ワッ! と歓声に湧くハーグ議会。
「勝った! 競り勝ったぞ!」
「奇跡だ! なんという神懸かり的な読み!」
なんだかんだ言って、領土が増えたのだ。皆、抱き合って喜んでいた。
そんな中、歓喜の輪の中で、マリーナ議員がぽつりと呟いた。
「あれ? でも、議会で決めたのは十億ちょうどでしたよね? あの、一マルクはどこから出て来たのでしょうか?」
その疑問に、議場が静まり返る。
全員の視線が、入札書類の最終決裁者である、二階席の僕へと向けられた。
僕は貴賓席から立ち上がり、手すりに身を乗り出してニッコリと笑った。
「あー、それね! 僕の菜園で育てた野菜を『ハンスマート』に置いてもらって仕入れた一マルクだよ! ポケットにあったから、つい足しちゃった!」
「えっ……」
「ごめんね! 僕のポケットマネーなんだ! 公金じゃないから、議会の承認はいらないよね?」
僕があっけらかんと言うと、議場にいた全員が、
「「「ズコーッ!!」」」
と、盛大にズッコケた。
ある者は脱力して椅子に崩れ落ち、ある者は「そ、その手があったか……」と呆れ、またある者は「さすが陛下! 常識にとらわれない奇策!」と涙を流して笑った。
こうして、僕の育てたカブとニンジンの売り上げ(一マルク)によって、アヴァロン帝国の版図は、北の新大陸へと大きく広がることになったのである。
この後、世界中の地図屋や地球儀製作会社が儲かったのは言うまでもない。
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