第349話 ウェスタン・トレード・ユニオンのノースグリーン売却計画
【ウェスタン・トレード・ユニオン議長 アドルフ・グレイヴス視点】
『アヴァロン帝国歴180年 5月25日 商業都市国家連合首都(現ユニオン本部) 雨』
窓を叩く冷たい雨音が、私の憂鬱を加速させていた。
私の名はアドルフ・グレイヴス。
かつての『商業都市国家連合』から再編された、『ウェスタン・トレード・ユニオン』の議長を務めている。
前身である商業都市国家連合は、元首であったロレンツォが、あろうことか現在のアヴァロン帝国に叛旗を翻し、そして自滅したことで崩壊した。
我々は、その負債と悪評から組織を立て直し、経済重視の連合体として再出発したはずだった。
だが――。
「……また、赤字か」
重厚な執務机の上に積み上げられた決算書を見て、私は深いため息をついた。
ユニオンの財政は、火の車だった。
原因はただ一つ。東にある怪物、アヴァロン帝国だ。
帝都ハーグを中心に、彼らの経済侵略は留まるところを知らない。
高級品から汎用品までを牛耳る『ビアンカ商会』。
物流と重工業を支える『帝都総合商社』。
そして最近では、庶民の胃袋と生活を鷲掴みにしている食品スーパー『ハンスマート』。
彼らの圧倒的な商品力と価格競争力の前に、我がユニオンの商人は押され気味……いや、完敗寸前だった。
「このままでは、ジリ貧だ。何か、起死回生の一手が必要だ……」
私は執務室の壁に架けられた、巨大な世界地図を見上げた。
ユニオンが保有する資産の中で、即座に現金化でき、かつ巨額の利益を生むもの。
私の視線は、地図の左上――アズトラン新大陸の北端にある、広大な白い土地で止まった。
「……『ノースグリーン』か」
そこは、ユニオンが領有権を主張しているものの、万年雪と氷に閉ざされた極寒の地だ。
面積だけは広大だが、産業らしい産業もなく、住民もわずか五万人程度しかいない。
維持費ばかりがかかる、言わば「不良債権」だ。
私は決断した。
「売ろう。このお荷物を、高く買ってくれる相手に」
私は直ちに、ノースグリーン領土の競売計画を策定した。
条件は以下の通りだ。
一、住民一人当たり、一万帝国マルクの保証金を支払うこと。(住民の保護および移住費用の名目)
二、それと同額を、譲渡金としてユニオンに支払うこと。
住民五万人として、単純計算で合計十億帝国マルクが動くビッグビジネスだ。
――小国一つを丸ごと救える額だった。
これだけの金が入れば、ユニオンの財政は一気に健全化する。
そして、すぐに一人の男が食いついてきた。
新アズトラン共和国大統領、リカルド・ヴァレンシアだ。
『我々にとって、北方の領土拡大は悲願である。その条件、飲もう』
新開発された通信機越しに聞こえるリカルドの声は、野心に満ちていた。
新興国である彼らにとって、国土の拡大は国威発揚に繋がる。多少高い買い物でも、彼は引かないだろう。
「よし……。これで交渉は成立だ」
私は安堵し、椅子の背もたれに体を預けた。
これでユニオンは救われる。リカルド大統領との調印式の日取りを決めようとした、その時だった。
コンコン、と控えめなノックと共に、秘書が入室してきた。
「議長、競売の件で、電報の送付が完了いたしました」
「うむ、ご苦労。リカルド大統領も乗り気だ。順調だな」
「はい。……あ、念のため、国際的な公正を期すために、主要国すべてに案内を送っておきました」
「……主要国すべて?」
嫌な予感がして、私は眉をひそめた。
「はい、もちろん。あのアヴァロン帝国の首都、ハーグへも電報は届いております」
「――なっ!?」
私はガタリと椅子から立ち上がった。
「ば、馬鹿者! なぜあそこに送った!?」
「え? ですが、規則では……」
私は頭を抱えた。
ハーグに送ったということは、あの男――ライル皇帝の耳に入るということだ。
常識外れの行動力と、底なしの資金力で世界を引っ掻き回す、あの男が。
「……終わった。順調な交渉など、夢のまた夢だ。いや、待てよ? 価格を釣り上げるための良い当て馬となるか?」
窓の外の雨は、いつの間にか激しさを増していた。
アズトランの北の果てで、また何かが起ころうとしていた。そしてその中心には、間違いなくあの「笑顔の皇帝」がいるはずだ。
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