第348話 ニア王女を待たせるのは悪いよ父さん(皇帝陛下)……
【フェリクス視点】
『アヴァロン帝国歴180年 5月22日 ハーグ皇宮 離宮牧場 晴れ』
僕は、皇宮の裏手にある牧場を見下ろすバルコニーで、深くため息をついた。
「……父さん。一国の女王陛下を待たせて、何をやっているんだい」
視線の先には、柵に囲まれたスペースで、巨大な牛と戯れている二人の男の姿がある。
一人は、我が父にしてアヴァロン帝国皇帝、ライル。
もう一人は、元農業大臣にして現在は畜産大臣(を自称)のゲオルグだ。
彼らは、昨日ノヴァラから届いた牛たちの世話にかかりっきりだった。
「ねえねえ、ゲオルグ。この牛さんって、どんなエサを食べさせると美味しくなるかな? やっぱりビールとか飲ませると、肉が柔らかくなるって聞いたことがあるんだけど」
「むむっ、それがし、豚(ハーグ豚)の育成には少々詳しくなりましたが、牛は未知の領域ですな! しかし、ストレスをなくすのが一番というのは共通のはず! とりあえず色々食べさせてみましょう! 草食なのは間違いないはずですから!」
「よし、じゃあ次は、この特製配合飼料(ラーメンの麺くず入り)を試してみよう!」
と、こんな調子で、ゲオルグさんとキャッキャと楽しくやっているものだから、ビアンカホテルに滞在中のニア王女を待たせっきりだ。
父さんに代わって僕が謝罪と交渉に行くことになったのだが、気が重い。
僕は気持ちを切り替え、車でホテルへと向かった。
ビアンカホテルの最上階、スイートルーム。
僕は緊張しながら、ノヴァラ公国の女王、ニア陛下と対面した。
「……というわけでして、父は急な公務(という名の牛の世話)により、参れなくなりました。代理として、息子の私、フェリクスがお話を伺います」
僕は深々と頭を下げた。
外交問題の火種となっている、石炭と石油の対立。
ノヴァラ側からすれば、死活問題のはずだ。きっと激しい抗議が来るだろうと身構えていた。
しかし――。
「んむ、んむ……。あ、そうか。そちらはもう良いのじゃ」
ニア王女は、ソファに浅く腰掛け、上機嫌で足をぶらぶらさせていた。
その手にはスプーン、口の周りにはピンク色のクリーム――おそらくストロベリー味のアイス――がべっとりとついている。
「えっ? 良い、とは?」
「石炭が売れぬのは困るが、その分、牛をこれからもたんまり買ってくれるのじゃろう? あの紙幣とやらがあれば、我が国は潤う。文句はないぞ」
ニア王女は、ニッシシシと無邪気に笑った。
どうやら、昨日の取引額と、アイスクリームの魔力によって、彼女の怒りは完全に鎮火しているようだった。
「そ、そうですか。それは何よりです……」
僕が拍子抜けしていると、ニア王女が身を乗り出してきた。
「それよりも! ライル殿が、牛にいろいろ食べさせておると聞いたぞ! 妾も見学に行こうぞ! ノヴァラの牛がどう扱われているか、チェックじゃ!」
「は、はあ……」
こうして、僕はニア王女を連れて、再び皇宮の牧場へと戻ることになった。
牧場に戻ると、実験は佳境(?)を迎えていた。
「いいか、ゲオルグ。肉の旨みとは脂だ。脂を甘くするには、カロリーの高い穀物が必要だ」
父さんが、真剣な眼差しでバケツを抱えている。
「承知しております、陛下! そこで用意しましたのが、この『ハーグ産トウモロコシ』と『大豆』、そして隠し味の『麦芽粕』であります!」
ゲオルグが、筋肉隆々の腕で飼料を混ぜ合わせている。
二人の前には、数頭の選抜された牛たちが並んでいた。
「よし、A班の牛には、トウモロコシ中心のメニューを! 彼らには『コーン・マッスル隊』と名付けよう!」
「ハッ! ではB班には、ビール酵母を混ぜたものを! こちらは『ドランク・ビーフ隊』ですな!」
「さらにC班には、毎日ブラッシングとクラシック音楽を聞かせる『リラックス・ロイヤル隊』だ!」
二人は、まるで軍事作戦会議のように熱く語り合っている。
牛たちは、突然のご馳走に目を輝かせ、モグモグと口を動かしていた。
「あーっ! お主ら、何をしておるのじゃー!」
そこへ、ニア王女が叫びながら駆け寄っていった。
「お、ニアちゃん! 来てくれたんだね!」
「女王陛下! 見てくだされ、この食べっぷりを!」
父さんとゲオルグは悪びれもせず手を振る。
ニア王女は、プリプリと怒りながら、飼料桶を覗き込んだ。
「むむっ……。トウモロコシに大豆……? ノヴァラでは牧草しか食べさせておらんかったが……」
言いながら、ニア王女は近くの牛の鼻先を撫でた。
「でも、牛さんたちは喜んでおるようじゃな。……よし! 妾も手伝うぞ!」
怒るのかと思いきや、彼女は袖をまくり上げた。
「ほれ、たくさんお食べ。美味しくなって、妾のお腹に入るのじゃぞ~」
「わはは、ニアちゃんは正直だなぁ。ほら、こっちの子にもあげて」
「うむ! ライル殿、あっちの『リラックス隊』には、妾が歌を歌ってやろうか?」
「おっ、それはいい胎教……じゃなくて、食育になりそうだね!」
西日が差し込む牧場で、アヴァロンの皇帝と、ノヴァラの女王と、屈強な農業大臣が並んで牛にエサをやっている。
本来なら外交儀礼もへったくれもない光景だが、不思議とそこには平和な空気が流れていた。
(……まあ、これが父さんのやり方なんだろうな)
僕は諦めの混じった微笑みを浮かべ、彼らの輪に加わることにした。
「もぐもぐ……げふっ……もぐもぐ」
という、牛の咀嚼音と、みんなの笑い声が、ハーグの夕暮れに響いていた。
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