第四十三話 やらない意味
決闘開始時の歓声が嘘のように、修練場は静まり返っていた。
あのガルクでさえ、驚いたようにラクトを見ている。
実力というのは、一朝一夕では上がらない。
肉体と技術を少しずつ積み上げ、やっとの思いで上げていくもの。その上昇具合も、短期間では微々たるものでしかない。
ランクが離れているということは、それだけで実力に開きがあるということ。
たった一ヶ月半、それだけでFとCのの差を埋めるなんて、本来は不可能な筈なんだ。
いや、Cとは言ったが、マサニの実力はCランクでも飛び抜けている。Cの中では最上位の実力者だ。
その差を短期間で埋めた、明らかに非常識な行為だ。
だからこそ、ここにいる冒険者の大半が、この現実に呆然としていた。
だが、今修練場にはそれなりの人数がいる。
少しすると、ちらほらと口を開く者が出てきた。
「………な、なぁ……これ、どういうことだよ?」
「俺が知るか」
「え、何? 実はあの寄生虫強かったってこと?」
「いやいや、それだったらFに留まってた理由が分からんて」
「意味分かんねぇ……意味分かんねぇ……!」
「ふざけんなよ……何であいつが、あいつなんかが強くなれんだよ……!」
「やべぇ、俺、あいつの悪口言って笑っちまったんだけど……」
「そんなん……俺もだ。どうしよう……消される……?」
あまりの非常識に混乱する者。
見下していた相手が自分よりも強くなったことで、自尊心を傷つけられた者。
馬鹿にしていた故に、今後を不安に思う者。
この決闘の結果に、良いも悪いも、ここにいる大半の冒険者の心境に変化が起こっていた。
だが───
「実はマサニって、大したことなかったんじゃね?」
中には、何も変わらない者もいた。
「あんな底辺に負けるって、流石にないわ。今まで威張ってたクセに、何だそれって感じ」
「ていうか、あいつ前からウザかったんだよねぇ。自分がCランクのトップとでも言いたげな態度、本当ムカついてた」
「今まで馬鹿にしてた相手に負けるなんてザマァて感じだわ。弱いクセに出しゃばるからこうなるんだよ」
一つの言葉を皮切りに、どんどんと広がる雰囲気。
観戦席にいる一部の冒険者は、すでに、マサニのことを馬鹿にして、卑下していた。……始まる前までは、マサニのことを強者だと思い、謙っていたクセに。
「今喋ったの、誰?」
修練場で立っている人物は、それを許さなかった。
勝者であるラクトが口を開いたことで、観客席にいた冒険者が一斉に押し黙る。
「マサニが弱い? 今の決闘を見て、もしそれ本気で思ったなら、冒険者の素質無いよ。今すぐ辞めた方がいい」
マサニの悪口を言っていた一角を見て、淡々と告げるラクト。
その目は、どこまでも相手を卑下していた。
「文句があるなら聴くよ、直接。ほら、どうしたの? 言いに来なよ。何だったら決闘も受けてやる。ほら、来いよ。……どうしたの? 本当に無いの? ……なぁ、来いって。───来いよ!!」
またしても静まり返る冒険者達。
さっきまでマサニを貶めていた冒険者も、今は修練場から目を逸らし、俯いている。
皆、本当は分かっているのだ。
あれほどの勢いで大剣を振り回し、あんな速度で移動できるマサニが弱い筈がないことを。そのマサニを、あんなにも呆気なく打倒してしまったラクトに、勝てる筈がないことを。
ただ、面と向かって文句を言えない奴らが、この機に乗じて憂さ晴らしをしていたにすぎない。
そんな奴らが、強者の立ち位置に上ったラクトに、何か言える訳がない。
ラクトに文句を言う者など、この場にはどこにもいなかった。
「てっめぇ……なんの、真似だぁ……」
───ただ一人、修練場で倒れ伏しているこの男を除いて。
今ラクトが行った行為は、見方を変えれば、マサニの誇りを守るために行ったようにも見える。
そういう風にラクトの行為を受け取った場合、そのラクトの行為を受け入れれば、それは“守られた”と同意になる。
そのことを、マサニのプライドは受け入れなかった。
「……別に、大した意味なんて無いよ。ただ、あぁいうのが嫌いだっただけ」
ラクトは背を向けたまま答える。
しかし、屈辱に心を塗りつぶされた今のマサニが、ラクトのその言葉を真に受ける筈もなく。
ラクトに情けをかけられたことに、今まで見下していた相手に情けをかけられたことに、今日一番の憤りをマサニは感じていた。
立ち上がって、ラクトに殴り掛かりたい衝動にマサニは駆られる。
しかし、限界を迎えた体では、それを実行できず、そのことにさらに憤りを感じて。
血走った目で、強く歯軋りをしながら、ラクトを睨みつけていた。
だが、そこで、ラクトがマサニの方に顔を向けた。
その瞳は、酷くマサニのことを哀れんでいて。
「……お前はきっと、今後も俺のことを認めないんだろうな」
マサニに向かって、そんなことを呟いていた。
「自分より下だった奴が、自分よりも強くなることを認めない。お前はそんな奴だ。だから、この後も、お前を俺を殺そうとしてくるんだろう。それこそ、どんな手を使ってでも」
不憫なものを見るかのように語りかけてくるラクトのせいで、マサニは酷い劣等感を感じていた。
さらには、正にやろうとしていたことを見透かされたことで、憤りを重ねていく。
「どんな手を使ってでも強くなって、どんな手段を用いようとも構わず、お前は俺を殺しに来る。そうやって、次、俺目の前に現れるお前は、今のお前よりも強く、そして厄介な相手になっているだろうな」
「さっきから……何を……!」
「だから、俺はこれ以上何もしない」
「………は?」
てっきり「ここでお前を終わらせておくべきだ」とでも言われると思っていたマサニは、それとは真反対の言葉がラクトから出たせいで、間抜けな声を出してしまった。
この先、厄介な相手になって戻ってくるのを確信しておきながら、この場では放置する───マサニにはその思考が理解できず、動揺してしまったのだ。
「強い相手との戦いは重要な経験だ。それがあるか無いかで勝敗を分ける時もある。だからだよ。俺はお前に何もしない。強く・厄介になって戻ってくると分かっている相手をわざわざ消すなんて、する訳がない」
「───」
「強くなれる機会は逃さない。それが例え、憎い相手でも。俺はお前が嫌いだ───大っ嫌いだ。殺してやりたいほど憎んでる。でも……お前はまだ利用できる。
“最強”になるために、そのためなら、俺は、何だって利用してやるっ」
そう言って、ラクトは修練場を去った。
唇を噛み締め、これまでの屈辱を呑み込み、マサニにはこれ以上の報復はせず、彼に背を向けて、その場を去っていった。
異様に静まり返った修練場の中───マサニは、
(あぁ……なるほどな)
怒りなんてどこへやら、何か憑き物でも落ちたかのように、一つのことに納得していた。
(俺とあいつの、何が違うのか……なるほど、そりゃ違ぇわ)
マサニは、悲しげに、自嘲するように、瞳から涙を零し、顔を歪ませて。
(俺に足りなかったもの、それは───)
『何だって利用してやる』
(“その覚悟”、だったって訳か……)
何に対してかは分からないが、自分の中に浮かぶあまりの悔しさに、マサニは嗚咽を漏らすのだった。





