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過去の濁流は加古の清流とともに  作者: 藤田大腸


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6/21

期末テスト前日

 期末テスト前日、汐里は市立加古川図書館の学習室にこもってヒィヒィ言いながら追い込みをかけていた。


 市立加古川図書館は加古川駅の南側にある商業施設、カピル21の六階にある。もともとは旧加古川町公会堂を転用して作られた図書館で、二〇二一年に施設の老朽化に伴ってカピル21に移転した。


 旧加古川町公会堂はかつて加古川に本籍を置いていた、三島由紀夫が徴兵検査を受けた場所として知られている。そのことを汐里が知ったのは中学校に入った後、すでに今の場所に移転した後であった。ただ、あまり小説を読まない汐里にとって三島由紀夫は「何か偉い作家」ぐらいの認識しかなく、三島由紀夫が加古川を訪れたのも徴兵検査の折だけなので実はそこまで縁が深いというわけではない。


 もっとも、歴史好きの桃李であればその辺も含めた上で気に入るかもしれないが、汐里の評価は「何か昔からある古い建物」程度でとどまっていた。


「あかん、頭がゆでダコになる~……」


 桃李のように歴史に興味があるわけではない汐里は、世界史の問題を解くのに苦労していた。日本史は難しい漢字が多そうなのに対して世界史はカタカナが多めだから覚えやすそう、という浅はかなで消極的な理由で選択したのだが、覚える量が多くて消化不良を起こしていた。中間テストではギリギリ赤点を回避したが期末テストではどうなるかわからない。


 オーバーヒート寸前の頭を冷やすため、いったん休憩を取って外の空気を吸いに出た。冷房の効いた建物からペデストリアンデッキに出ると、猛暑の熱が襲ってきたが雲一つ無真っ青ない晴天が汐里の目に心地よく映る。


 視線を下に移すと、加古川駅が見える。汐里が生まれた頃にはすでに高架化されていたが、その前までは右手に見えるサンライズビルのところに踏切があり、向こう側には古い家が立ち並んでいたと母親から聞かされたことがある。その中に母方の実家もあって、高架化にともなう再開発で立ち退きになった。


 ここ駅の南側、カピル21やサンライズビルも近々再開発の手が入るらしい、と聞いている。カピル21はバブル期真っ只中の一九八九年(平成元年)に建設され、当時は大手百貨店のそごうが中核テナントであった。サンライズビルはさらに古い一九八二年(昭和五十七年)の開業で、今までに様々な商業施設が入退去してきた。どちらも汐里が生まれるより前からある建物で、八〇年代の再開発の一環で建てられたものである。それが四十年の時を経て再開発の対象となろうとしているのは皮肉なめぐり合わせともいえる。


 移転して間もない図書館も含めてどのような形になるのか、ありふれた光景が変わって寂しいと思うのか、便利になって良かったと思うのか、先のことはまだわからない。


 ぼーっとしていたら、声をかけられた。


「汐里! 久しぶりやな~!」

「令さん!」


 ミディアムストレートの女性、塩沢令は汐里の隣近所に住んでいた幼なじみである。神戸市にある商業高校を出てから地方銀行に入行して二年目になるが、配属先が遠い場所にあるため実家を離れていた。


「帰ってきとったんや。今日平日やのにどないしたん?」

「仕事でごーわくことがあったから実家に帰らせていただきます、したったんよ。有休使うてな」


 なははは、と悪びれる素振りも無く笑い声を上げた。


「汐里もまだ昼過ぎやのに……って、期末テストの時期か」

「そう。明日からやねん。もう頭がゆでダコや、助けて」

「ほな冷やしたるから中入り。ちょっとぐらい話す時間あるやろ?」


 一階にあるカフェに立ち寄って、令のおごりでアイスコーヒーとケーキをいただくことになった。汐里はアイスコーヒーにガムシロップを二つも入れたが、普段はブラックで飲んでいる。今はとにかく糖分が欲しかった。


「そんなに入れたら太るでえ?」

「脳みそ使いすぎて普段の倍ぐらいカロリー消費しとるから平気よ」


 汐里はストロー越しに濃く甘い味を堪能した。


「ここ最近、何か変わったことあった?」

「あるで!」


 桃李のことをまくしたてるように話す。最初は食い気味に聞いていた令だったが、桃李が前に在籍していた聖峰学院の名前が出た途端、「え」と変な顔つきになった。


「ど、どしたん? 何が『え』よ?」

「聖峰か……いや実は、あたしが勤めとる支店の支店長が聖峰のOGなんやけど」

「そうなん? 東京のお嬢様学校出身で兵庫の地方銀行に就職って珍しくない?」

「そこよ。支店長、聖峰時代にいじめられたらしくてよう悪口言っとるんよ」

「いじめ……」

「なんか世間ではきれいなお嬢様学校言われとるけど、実家の家柄や財力とかで同級生間でも上下関係ができるような特殊な校風らしくてな。支店長はうどん屋の娘さんやったからってええとこの娘どもにいじめられたんやと」

「ええー……そんな学校なん?」

「そやからわざわざ逃げるように関西の大学に進学してきて、そのまま関西で就職しとんねん。もう聖峰の人らとは一切関わりたくないからってOG会にも入ってないって言ってたし、定年迎えたらもう一度別の高校に入り直して聖峰の学歴を上書きしてしまいたいとまで言うてる」

「そんなに……」

「支店長が何されたんか知らんし、想像もしたくあらへんけどな。その桃李って子も、表向きは家の都合いうても実は学校でひどい目に合わされたとか、そういう理由があるんちゃうの」

「いや、いじめられるような要素は全然見当たらへん。お父さんは大きい企業の子会社の社長やし、性格ええし」

「じゃあ、逆にいじめたとか? 性格がええいうても外面だけかもしらんで」

「いや、とーりんはそんな子とちゃうって!」


 つい、声を荒げてしまった。周りの客が振り返る。


「ごめん、大きな声出して」

「いや、こっちも冗談にもならんこと言うたな」


 令も頭を下げた。


「実は担任の先生も裏の事情を知っとるみたいなんよ。とーりんも人間関係でいろいろあったぽいことを言うてたし」

「そうか。ほなやっぱり何かあるんやなあ。支店長みたいに聖峰の悪口言うたりしてへんの?」

「それは、聞いてへんけど」

「ふーん、そこは支店長と違うて人ができてるんやな」

「支店長は人ができてへんの?」

「うん。いじめられたせいで性格がねじくれてもうたみたいで……せやからってあたしがとばっちり喰らういわれはあらへん! ちょい長くなるけど聞いて!」


 今度は令がまくしたてる。「仕事でごーわくこと」とは支店長に面談で散々イヤミを言われたことであった。怒りをぶちまけるうちに支店長は「アイツ」呼ばわりされ、しまいには「アレ」呼ばわりされてしまった。


 気づいたら一時間弱経過していた。


「ごめん! 勉強せなアカンときやのに長々としゃべってもうた!」

「いや、めっさ気が楽になったし頭もばっちり冷えたわ。今日はありがとう!」


 令を見送った汐里は、再び図書館に戻った。令の仕事の大変さに比べたら期末テストの勉強ぐらいは大したことがない。そういう気持ちで閉館時間間際まで勉強に臨んだ。


 しかし桃李が聖峰にいた折に何が起きたのか。その疑念は頭の片隅にこびりついたままである。

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