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過去の濁流は加古の清流とともに  作者: 藤田大腸


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20/21

仁科亜美の本性

 汐里はスマートフォンを取り出した。


「夏期講習のまっ最中やから今すぐ出られへんかもしれんけど」


 メッセージアプリを開いて、入力画面に素早く文字を打ち込む。


『とーりん。えらいことになってもうた。聖峰のニシナアミいうけったいなんが加古川にのりこんできてとーりんにあいたいって。何や学校がむちゃくちゃになっとるらしい。今私の家で預かっとる。詳しいことは電話で話したいんでひとまず返信ください』


 当然、亜美には見せずに送信した。


 すぐに「既読」のマークがついたと思いきや、着信音が鳴り出した。早い。


「もしもし!?」

『汐里、そこに仁科亜美がいるって本当か?』

「あ、うん。今大丈夫なんか?」

『次の授業まで時間があるから自習してたんだ。今なら時間が取れる』


 ちらりと横目で亜美を見た。宝物を見つけたかのように目をギラつかせていたから薄気味悪くなり、すぐに視線をそらした。


「ビデオ通話に切り替えるわ。ま、顔だけでも見したって」


 ビデオ通話のボタンをタップすると、桃李の顔が映った。汐里はスマートフォンのカメラを亜美に向けた。


『仁科さん』

「いやあああっ! とっ、桃李さまっ! お久しぶりですわ! ああっ、髪を伸ばしておられるのですね! ますます美しくなられて……!」


 亜美は涙を流す。しかし桃李は表情を変えず、冷たく言い放った。


『今さらどの顔下げて来たんだい?』

「え……?」

『君、言ってたよね? 私が追い詰められていたとき、力になるからって。処分を取り消してもらうって。でも君は私を裏切ったよね? 風紀委員長に良いように扱われて、私に退学を迫ったじゃないか』


 淡々と読み上げてはいたが、その奥に怒りと悲しみがこもっているのが汐里にはわかった。桃李がウソをつくはずがない。汐里は亜美を睨みつけた。


「あんた、とーりんを追い出した側やったんか!?」


 亜美のやっていることがまったく理解できなかった。先ほどの桃李を語るときの陶酔しきった目はいったい何だったのか。


「ちっ、違うんです! 聞いてください。私の実家の病院は風紀委員長のお父さま……国会議員の先生の力添えがあって建てられたもの。委員長はその立場を利用して、私を脅してきたんです! 協力しないと病院を取り潰すぞって。あの生徒会長が理事長にやったように!」


 亜美は声を震わせている。一方の桃李は淡々としていた。


『私は知ってるんだ。君が私の悪口を言いふらしたり、事実無根のデマを流したりしていたのを。脅されてやったと言う割には積極的に私を貶めようとしていたじゃないか。それに、君は退学騒ぎ以前から風紀委員長とは非常に親密な仲だった。表では私を慕っていながら、格下の私を蔑んで委員長にあることないことを吹き込んでいたことを。裏でコソコソしてもそういう話は漏れ聞こえてくるんだよ』

「あ、あの……」


 冷房が効いているのに、亜美の顔に大量の脂汗が浮かんでいる。


「ほんまにこいつは……なんてヤツや。ごめんなとーりん、時間のムダやったわ。帰ってもらうから」

「おっ、お待ち下さい! わかりました、すべてを正直にお話します! この通りです!」


 亜美は土下座をした。お嬢様学校のプライドも何もあったものではない。


『一応、聞いておく。汐里ごめん、そのままにしといて』

「ええんやな? 今からドロッドロの話になるけど」

『いいよ』


 亜美は涙ながらに、夏休み中に生徒会長が起こした事件から、風紀委員の反発による同盟休校の決定に至るまでの経緯を説明した。そして、なぜ亜美が桃李を貶めておきながらも桃李を呼び戻しに来たのか、その理由も語られた。それが本当のことなのかどうか汐里には疑問でしかなかったが、一応の言い分はこうである。


 風紀委員が生徒会長の手によって全員解任されたということは、当然ながら風紀委員長も含まれる。委員長の怒り具合はすさまじく、同盟休校に参加どころか自主退学も辞さないと息巻いており、さらに道連れとして退学者を募っているらしかった。その中にはやはり亜美も含まれていた。


 ただ、亜美に対しては脅迫が含まれていた。一緒に退学してくれなければ絶交の上、父親の経営している病院も潰すと。さらに亜美から格下の生徒、特に桃李を心から慕う者たちからは桃李追放の主犯の一人とみなされ、孤立していた。助けてくれる生徒は誰もおらず、追い詰められていた。


 ところが将棋の全国大会で、果穂のスマートフォンを拾ったことから桃李の居場所が偶然判明した。これを奇貨とした亜美は誰にも話さず、全くの独断で加古川市に赴いた。桃李に頭を下げて、学院に戻すことができれば許してもらえる。生徒会長を追い出して桃李を新しい会長に据えて、風紀委員の解任も取り消しになれば退学せずにすむ。そう亜美は語った。


 桃李に戻ってきて欲しいと願っている他の生徒の話は、一切出てこなかった。結局、亜美は自分勝手な都合で浅はかすぎる考えで動いているだけだったのだ。汐里はもう怒る気も失せていたし、桃李も眉一つ動かさなかった。


「今まで本当に、申し訳ありませんでした……」


 もう顔が涙でくしゃくしゃになっている。先月、野球の試合に敗れた大和に対して叱咤激励していたときに激しく泣いていた翠の顔と比べると、とても不細工に見える。


「そういうことらしいわ。とーりん、どう思う?」

『アブラハムは神に言った。「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。たとえあの町に五十人の正しい者がいたとしても、あなたはなおその町を滅ぼし、五十人のためにお赦しにならないのですか」と』


 汐里にはまったく理解できない回答が返ってきた。


「な、何やそれ?」

『旧約聖書創世記十八章。悪徳の町ソドムを滅ぼそうとする神様に対してアブラハムという人物が交渉を持ちかける場面さ。いくら酷い町でも正しい者がいるのであればその人たちのために滅ぼさないでほしい、と。宗教の授業で習ったんだ。仁科さんも覚えているはずだろう』


 汐里は聖峰学院がキリスト教系の学校だったことを思い出した。亜美は涙を拭うだけで黙りこくっている。


『あんな学校がもうどうなろうがもう私の知ったことではない。だけどね、私と関わってきた生徒の中には「正しい者」もいたんだよ。そういう生徒たちを増やそうと私なりの努力して、格上格下の境のない学院を作りたかった。仁科さんは嫌がっていたようだけどね』

「言い訳はしません、その通りです」


 亜美の言葉にはもう力が無い。


「私、聖書のこと全然知らんのやけど。神様は結局どうしたん?」

『アブラハムの粘り強い交渉で、十人正しい者がいれば滅ぼさないということになった。ただし、ソドムには一人も正しい者がいなかった。だから滅ぼされた』

「あらら……」


 容赦がない神様である。


『ただ、聖峰学院はソドムよりは遥かにマシだろうね。同盟休校をしたからって滅びるわけではないし。ま、世間一般に知られればどうなるかはわからないけど。最近はあちこちで学校の不祥事が目立つからね。マスコミが駆けつけて、SNSであることないことを書かれ、仁科さんのこともネットで晒されるかもしれない……』

「いっ、イヤですわ! そんなこと!」


 亜美は身震いしている。逆に可哀想に思えてきたが、桃李の受けた仕打ちに比べたらまだ可愛いものだろう。


『だがそうなったときこそ、正しい者も巻き添えを食うことになる。だから最低限の協力はしてやる。私が元気に過ごしていることと、同盟休校中止の要請と、そして二度と聖峰に帰るつもりはないという意志表示。これだけ伝える。風紀委員解任の無効と生徒会長解任については君たちがどうにかしてくれ』

「あっ……ありがどうございます! さすがは桃李さま! お優しい方ですわ! これからは私も心を入れ替えて」





 オドレのためちゃうわい、ダボが!





 播州弁のすさまじい怒声が、スマートフォンの中からほとばしり出た。亜美は声にならない悲鳴を上げて後ろに飛び退き、壁に体をぶつけた。


 汐里は心臓を巨人の手で揺さぶられたような感覚に襲われ、目をひん剥いた。スマートフォンを確かめる。誰か後ろで別の人間が怒鳴ったのかと考えたが、凛とした声は桃李以外他ならなかった。


「あの、とーりん……?」

『ごめんね。ここで暮らしているうちに方言が移っちゃったみたいで』

「え、あ、うん……」


 桃李は心配しないでと言いたげに笑みを浮かべているが、汐里は心底ビビっていた。彼女でもキレることがあるのだ、そしてやはり優しい人ほど激怒したときが恐ろしいのだと……。


「そ、そや。じゃあとーりん、今から話してもらうから仁科さんがスマホで録画して」

「……」


 亜美は顔を土気色にし、白目を剥いている。息はしているようだが。


「きっ、気絶しとる……!?」

『まいったな……じゃあ後でかけ直そうか』

「いや、時間もったいないやろ。こうするわ」


 汐里は亜美のスクールバッグをまさぐり、彼女のスマートフォンを取り出した。


「ちょっと、勝手に使うのはまずいよ」

「かまへんかまへん。こいつも米村さんのスマホの待ち受けを勝手に見とるし、これでおあいこや……ってね誰やねんこれ」


 亜美のスマートフォンにはキリッとした顔つきの、ボブカットの女性の画像が待ち受け画面に使われている。


『その人が風紀委員長だよ。なかなかいい顔をしているだろう?』

「まあ、言われてみたらとーりんの次ぐらいにはかっこええかな」

『ふふっ、上手なこと言うねえ。とにかく、仁科さんは顔のいい生徒には近づいてくるんだ。ただし家柄が悪いと裏で悪口言うけどね。私は揉め事を起こしたくないから適当にあしらってたけど、彼女だけはしつこかったよ』

「桃李さまと何度もお話するほど仲がよろしかったのよ、って言うとったけど」


 汐里は亜美の声真似をしたが、自分でやっておきながら気持ち悪いと感じてしまった。


『ま、仁科さんは盛り癖があって演技もするしね』


 桃李を語る際にうっとりした目つきになったのも、演技の一つだろう。盛り癖に関しても、亜美は将棋部の全国大会に出たと言っていたが、実は単なる付き添いでしかなく本戦に出場していなかったことが桃李との話の最中に判明した。自分から裏切っておきながらノコノコと会いに行ったらどう反応するのか、そんなことも読めないのだから将棋が強いはずがない。彼女は将棋部ではなく演劇部に入るべきであった。


 とにかく、亜美が気絶している間、桃李は学院の生徒向けのメッセージを残した。安心させるためか、柔らかい表情で健在を伝えてから、真剣な眼差しで同盟休校中止を呼びかけ、さらに自分の受けた仕打ちを考えれば学院に二度と戻ることはない、と断言した。そのセリフに安心する汐里がいた。


 最後に、自愛して健やかに過ごすよう伝えて、メッセージは終わった。


「ありがとう。完璧やわ。ごめんな、忙しいときにややこしいことになって」

『いや、こっちも驚かせてごめんなさい。だも翠ってよく『ダボ』って言うじゃない? 私も最初に聞いたときびっくりしたもん』

「やっぱ播州弁使わん人が聞いたらビビるよな~」


 お互い笑った後、桃李は『じゃあ、また学校で会おうね』と言い残して通話を切った。


 亜美がもぞもぞと体を動かす。ようやく気づいたらしい。


「ほれ、起きぃ」


 亜美は汐里に揺すられて、身を起こした。


「あんたが寝とる間、スマホ使うてメッセージ録画しといたったわ。確認して」

「あなた、何を勝手に……」

「ええ加減にせんとしばくぞほんまに」


 汐里がドスの効いた声で脅すと、亜美は恐る恐る動画を再生した。


「こ、これでどうにかなりますわ……」

「じゃ、礼はいらんからさっさと往んでくれ。とーりんの次にかっこええ風紀委員長さまが待っとるでえ」


 亜美は顔を真っ赤にして、スクールバッグを持って小走りで部屋から出ていった。玄関のドアが開いた音がしたが、母親に挨拶もせず家の外に飛び出していったようだ。


「あ、帽子置き忘れとるやん」


 緑色のベレー帽が床にある。盾の形をして、中に十字架をあしらった意匠の徽章がついている。聖峰学院の校章らしい。しかし亜美が取りに戻って来る様子が一切なかった。


 ベレー帽の扱いについては後で考えることにして、汐里も下に降りた。


「どしたん? なんかさっきからバタバタと騒がしいな思うたら、あの子が走ってどっか行きよるの見たけど」

「帰った。ちょっと急用思い出してんて」


 汐里は台所に行くと、玉ねぎせんべいのあまりをかじりつつ、塩の入った調味料入れを開けた。塩をひとつまみして外に出ると、加古川駅の方向に向けてぶち撒けたのだった。

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