二学期開始
夏休みが終わり、二学期が始まった。
「とーりん、ちょっと見ん間にかっこよくなったなあ」
翠が桃李と再会するのにそう言った。
「そう? 翠もかっこよくなったよ。眼鏡変えたからだろうね」
「まっ、気づいてくれたん?」
翠のスクエアタイプの眼鏡の縁が、以前は黒色だったのが青色に変わっていた。
「え、ほんまや青くなっとる」
汐里は今さら気づいたが、案の定翠に「遅いわっ」と笑われる。
桃李の場合は、顎ラインまで伸びていた髪の毛が再び耳が出る程度まで短くなっていた。しかしそれだけでなく全体的にたくましくなった気がする。体型ではなく、雰囲気的に。汐里にはそう感じられた。
次々と桃李のところに人が集まる。あまり声をかけてこなくなった男子も久しぶりの再会を喜んでいる。桃李は心底嬉しそうで、彼女の聖峰学院時代の事情を知っている汐里からすれば本当に救われて良かったな、という思いであった。
「川端くんは新チームのキャプテンだったね。責任重大だけと頑張ってよ」
「うっす。センバツ目指すから応援してくれな」
川端大和は三年生が引退して抜けた後の野球部でキャプテンに就任していた。甲子園大会真っ只中の裏で開かれた秋季大会のプロック大会では決勝戦に勝利し、今月の県大会に出場を決めた。
「川端にうまくチームまとめられるんかな。ウチ心配やわあ」
「人のことより、自分のクラス心配しとけや。学級委員さんよ」
翠はイーッと歯をむき出しにした。久しぶりの夫婦漫才を見た汐里の心が和み、桃李も笑顔を見せた。
始業式では部活動の表彰披露が行われ、将棋の全国大会女子個人戦の部で五位入賞を果たした米村果穂が表彰された。おとなしい彼女だが全校生徒から拍手を受けても堂々とした態度を見せていた。先ほどの教室でも桃李に挨拶がてらいろいろ話しかけていたし、さらに他の人とも積極的に話していた。やはり歓迎会の頃から一皮むけたようである。
意外な人物も表彰を受けていた。科学部の井置隆聖が、他の部員と一緒ではあるが、県主催の科学体験イベントの展示で「ユニーク賞」を受賞した。「芳香と悪臭」という、臭いをテーマにした展示だったらしい。奇しくも汐里も臭い食べ物を扱った書籍で読書感想文を書いている。汐里にその本を勧めたのは隆聖だが、もしかすると彼がやった研究にも何かヒントを与えたのだろうか。
テーマの詳しい内容は表彰披露の場で聞かされなかったが、汐里には妙に中身が気になり、また部活で会った折にでも聞いてみることにした。
始業式の後はLHRである。一ヶ月後に開催される文化祭の出し物についての意見出しが行われた。それに先立ち、翠がまず文化祭実行委員からの説明を読み上げる。例年、カフェか屋台を出したいクラスが多く、ジャンルの偏りを防ぐために抽選になってしまうので飲食系以外にも複数の案を出してほしいとのことであった。
「そういうことなんで、まず各自のグループでやりたいことを最低でも三つは書いてくださーい」
翠は三十六人の生徒を六グループに分けて、各グループにA4用紙を一枚配布した。グループで話し合ったことを書いていくのだが、あるグループはスラスラと書き出し、あるグループはああでもないこうでもないの議論して一文字も進まない。
汐里のグループの中には大和の他、桃李がいた。
「とーりんは何がしたい?」
「正直、よくわからない。前の学校じゃ文化祭が無かったからこういうのは初めてで」
「え、ウソやろ?」
聞こえていたのか、隣のグループの生徒までもが作業を止めて桃李の方に向く。
「いや本当なんだ。代わりに文化部成果発表会というものがあって、文化部が父母や招待客に展示したり演奏したりする行事はあったけどね」
「とーりんは聖歌隊やったし、人前で歌ったん?」
「中等部の頃はね。高等部は転校まで宗教委員をやっていた。聖堂の掃除や始業前のお祈りとかの宗教行事の他、ボランティア活動もやっていたから、発表会では募金の呼びかけをしていたよ」
宗教系の学校はやはり公立校と文化が違うようだ。
「あ、一つ思いついた」
大和が言った。
「お祈りコーナーとかどうよ? お客さんに『あなたの幸せを一分間祈らせてください』言うてな」
「怪しい宗教の勧誘やんけ、やめろ」
汐里も他のメンバーも一斉にやめとけやめとけと拒否。大和は「ネタに本気で返されたらどうにも言えんわ。すんませーん」とふざけ気味に謝った。
「まあ聖歌隊ぐらいやったらやってもええかもしれんけど……」
桃李を横目で見る。彼女がカラオケで歌った『いつくしみ深き』の美しい歌声がまだ汐里の頭の中に残っていた。しかし公立高校という場所柄、聖歌隊はあまり似合わないだろうとも思っていた。やはり誰からも賛同意見が出てこない。
桃李は瞑目して考えてこむ。悩み深き姿もサマになってるな、と汐里は失礼にも感じていたが、突然桃李がパッと目を開けた。
「劇、とかどうかな」
「え、劇……?」
「うん。私は加古川に来て、加古川についていろんなことを見聞きしてきた。その中で面白そうなエピソードがあったから、それを劇にしてみたいなと。加古川に対する恩返しの意味も込めてね」
一同は「劇かあ」「面白いは思うけど、どうやろなあ」などと口にするだけで、明確な反対意見も無ければ賛成意見も出してこない。
「面白そうなエピソードって何なん?」
大和が尋ねた。
「私が最初に行った宗佐の厄除八幡宮にこんな言い伝えがある。奈良時代の僧侶、弓削道鏡が天皇の位に就くべしという神託があった。それが本当かどうか、和気清麻呂という臣下が今の大分にある宇佐神宮に確かめに行った」
汐里が全く知らない人物が出てきたが、耳を傾ける。
「その途中で立ち寄ったのが宗佐の八幡宮で、境内で道鏡の刺客に襲われたんだ、すると」
「すると?」
「そのとき、一頭の巨大なイノシシが現れて刺客たちを撃退した。そうして清麻呂は無事宇佐神宮にたどり着き、神託がウソだと暴いた。こうして道鏡の野望はくじかれた……というお話さ」
「おお~、厄神さんでそんなことあったんや。ドウキョウもキヨマロも誰か知らんけど、何かでっかい事件やったんやな」
汐里は何度か厄除八幡宮にお参りし、父親の厄年のお祓いについて行ったこともあるが、謂れまではわからなかった。教科書に載っていないことも勉強する姿勢はさすがだな、と汐里はいつも感じている。
「俺知っとる。道鏡って何かいろいろヤバイことしとったお坊さんやん」
大和が言い、汐里が聞く。
「いろいろヤバいことって何なん」
「いや、俺の口からは言われへん」
「何でや」
「その、道鏡がおった頃の天皇って女の人やってな、それで察してくれ」
「あ、そういうこと……」
察した。桃李に顔を向けると、咳払いをして「そういう俗説もあるってだけのことだよ」と言い、続けた。
「だけど厄除八幡宮の逸話では俗説は関係ないし、差し障りないと思う。どうかな?」
「私はとーりんのやりたいことをやらしてあげたい」
汐里が真っ先に賛成した。
「せっかく調べてくれたんやし。転校生が加古川を勉強してきた成果発表、みたいな感じでアピールできたらお客さん来るかもしれへんし。どうやろかみんな」
一同はうなずいた。
「よし、じゃあ一つは決まりやな」
汐里は「劇 厄神さんのどうきょうときよまろのはなし」と紙に書いた。時間がきて翠が用紙を回収し、内容を黒板にまとめていく。やはり飲食系が多く、次点でお化け屋敷が続き、脱出ゲームやカードゲームなどのゲーム系も出てきた。そこに桃李の劇のことが追記されると、軽くどよめきが起きた。
「これさっきウチにもちらっと聞こえてたけど、とーりんが言ってたやつやな」
翠がしばらく黒板を眺めて何か考えごとをしていたが、「よし、こんなもんか」と、チョークを置いた。
「じゃあこれをまとめたのを文化祭実行委員に出します。さっきも言うたけど、食べもん系は毎年希望が多いんでくじ引きになったら外れる可能性が高いです。その辺はわかっといてください、ってことで終わりでーす」
ご苦労さん、と傍らで聞いていた後藤教諭がねぎらい、教壇に立った。
「どの出し物になるにしろ、準備期間は長くないんでみんなで協力して進めていきましょう」
ちょうどチャイムが鳴った。今日は午前で終わりのため、そのままSHRに移る。特にこれといった連絡事項はなかった。
「夏休み明けのしんどさが抜けきっとらんのも多いやろうけど、熱中症にならんようにちゃんと水分取って、明日から性根入れ直して頑張りましょう」
いつものように翠が号令をかけて、初日の学校は終了。掃除を始めようとしたところで、後藤教諭が「新開さん、山本さん」と手招きした。
「掃除が終わったら職員室に来てほしい」
「……? はいわかりました」
汐里と桃李はしばらく顔を見合わせていたが、掃除後に職員室に向かうと、後藤教諭がダンボール箱を小脇に抱えたまま「こっちへ」と、パーテーションで区切られた場所に手招きした。教師と生徒が面談で使う場所である。
「まず新開さん。聖峰学院から手紙がぎょうさん届いとる」
後藤教諭がダンボール箱を開封すると、いくつもの封筒が入っていた。
「これはまさか……」
桃李が一通選んで封筒を開け、中の手紙を読んだ。
「やっぱり。汐里、同盟休校は取りやめになったって」
「ほんま?」
「学院側が風紀委員解任の取り消しと、生徒会長の解任を決めたらしい」
「おおー、完全勝利やん!」
「ただ経緯がすごいよ。私はビデオメッセージで同盟休校の取りやめを呼びかけたんだけど、それなら一斉退学して私の後を追おうとする生徒たちが出てきたんだ。教職員もそのことを把握して慌てふためいて、私の影響力を恐れて生徒たちの要求を飲むことにしたらしい。そう書いてある」
「さすがとーりん!」
後藤教諭が口を挟んだ。
「なんや、ファンレターちゃうんか? さっきから同盟休校がどうのこうのって、向こうで何が起きてるんや」
「実は、汐里にはすべてを話しんですけど」
桃李は自身の退学が引き起こした、聖峰学院での一連の事件について説明した。
「そうか、山本さんも知ったわけやな。よう言うてくれたな。しかしけったいな学校やな、聖峰学院って。まだごんたくれとかばちたれだらけの学校の方がマシやわ」
「何ですか? ごんたくれとかばちたれって」
「やんちゃするヤツと屁理屈こねるヤツのことや。俺が最初赴任した高校がそんなんやってん。でも家族ごと追い落とすヤツまではおらんかったぞ、さすがに」
「でも今のとーりんはめっちゃ楽しく過ごしてますよ。なあ?」
「うん。方言もいくつか覚えたしね」
仁科亜美にダボと怒声を浴びせた桃李を思い出して、少し身が震えた。
「日本一汚い方言やで、ガラ悪なってまうで」
後藤教諭は大きな声で笑った。
「そういや先生、私にも何かあるんですか?」
「おお忘れとった。実は山本さんにも一通手紙が来とんねん。なんで山本さんのこと知っとるんか謎やったが、新開さんを呼び戻しに来た子と会うてんな。これでわかったわ」
やはり、封筒に仁科亜美の名前が書いてある。きつく接したので恨みつらみが書かれていることを予想したが、果たして読んでみるとお礼がつらつらと書かれていた。玉ねぎせんべいが美味しかったとか、桃李との引き合わせに協力してくれたことへの感謝の言葉など。しかし汐里は額面通り受け取らなかった。桃李を裏切ったことで亜美への信用はゼロ、いやマイナスであった。しかも桃李に対しても便箋を四枚使っていろいろ歯の浮くようなことを書いていたが、汐里に対しては一枚分しか書いていなかった。なめとんのかダボが、と汐里は顔でニコニコしつつ、心の中では修羅の面持ちで罵った。
追伸では、ベレー帽を返してほしいということが書かれていた。学校にバレるとまずいから自宅に送ってほしいとのことで、彼女の住所が書かれていた。世田谷区の成城、汐里も名前だけ聞いたことがあるセレブの街である。ますます腹が立ってきた。
「ベレー帽? なんで汐里が持ってるの?」
「家に置き忘れていってん。音沙汰ないからもう要らんのかと思うたわ」
持っていても仕方がないので後日返すことにした。もちろん着払いである。




