来訪者・仁科亜美
ベレー帽の少女は水色のブラウスに紺のスカートを身に着け、スクールバッグを持っていた。中学生か高校生と考えられるが、この近辺で水色のブラウスを夏服にしている学校は聞いたことがない。
少女は言った。
「加印高校に行きたいのですが、どちらに向かえば良いのでしょうか? それらしい建物が全然見当たらなくて……」
汐里はすぐさま答えた。
「加印高校ですか? 全然違う方向ですよ」
「えっ……最寄りのバス停は『中村』で合っていますよね?」
少女はスマートフォンを取り出し、バス会社のサイトの路線図を見せて説明した。何が間違っているのか、汐里はすぐに気付いた。
「あー、こっち方面のバスは『52番』の路線で、加印高校方面は『25』番の路線ですよ。しかも最寄りのバス停は『中村』じゃなくて『中林』です」
「ええっ!? ……ほ、本当ですね……すっ、すみません……全然気が付きませんでした」
「まあ中村と中林は漢字が似てるからしゃーないです」
と、汐里はフォローを入れた。
「教えてくださり、ありがとうございます」
「いえいえ。ホンマは自転車に乗せて学校まで一緒に連れて行きたいんですけどねえ。バスの待ち時間考えたら到着時間あんまり変わらんし。でも今は警察に見つかったら罰金払わんとアカンから。あ、そうだ、なんなら自転車貸しましょうか?」
「いえっ、そこまでして頂かなくても結構です!」
「バス代使うのもったいないでしょ。私、ちょうど運動してる最中なんで歩いて取りに行きますよ」
「いえ、お申し出はありがたいのですが、やっぱりバスで向かいます」
「わかりました。ちなみにどこから来たんです? その制服、ここら辺で見たことないですけど」
「実は、東京の聖峰学院というところから来まして……」
「ああ、聖峰学院……せっ、聖峰!?」
汐里は口を抑えた。
「ご存知なのですか?」
「うん、まあ……新開桃李という名前って聞いたことあります?」
少女がスクールバッグを落として、金切り声を上げた。
「も、もしかして貴方がたは加印高校の……?」
「はい、生徒ですけど。ていうか、私と同じクラスにいますよ。新開桃李が」
少女は手を組んでひざまずき、神様に祈るような格好になった。
「ついに桃李さまと再び会えるときが近づいてきました。マリアさまに感謝します……」
「あ、あの?」
桃李とマリア、一緒にさまづけで呼んだものだから汐里はただ戸惑っている。
「失礼ですが前言撤回いたします。自転車を貸していただけないでしょうか? ああ、一刻も早く桃李さまにお会いしないと……」
「すみません、今学校に行っても本人はいないと思いますよ。多分休み明けまで登校してこないです」
「そんなっ、そこまで待てませんわ……」
いきなり目の前に現れた聖峰の生徒に、汐里も頭の中がこんがらがってしまっている。まずは少女が何のためにここ加古川まで桃李に会いに来たのかを知る必要があろう。
「とにかく、まず私の家に来ます? 落ち着いてから動いた方がいいですよ」
「申し訳ありません……」
「そういうことなんで井置くん、口ポカンと開けっ放しになっとるけどまた時間あるときに説明するわ」
隆聖を置いて、汐里は少女と連れたって歩いて帰宅することにした。その道すがらで少女は仁科亜美と名乗った。高等部二年生、汐里や桃李と同級生に当たる。汐里は警戒心を解くため、お互い敬語を使わず話そうと提案したら、亜美も首を縦に振ってくれた。
汐里はあえて、聞かれたくないであろうことを聞いてみた。桃李の転校の理由について知らないはずがないだろうから。
「とーりん、聖峰を退学になったって聞いたけど」
「とっ、とーりん!? 山本さんは桃李さまをそう呼んでいるの……?」
「だって桃李やからとーりんやもん。本人はめっさ気に入っとるで」
「しかしあの気高く美しく優しき桃李さまを軽々しくあだ名で呼ばれるなんて、なんと恐れ多いことを……」
桃李に対して修飾語を三つもつける亜美。
「あの、とーりんは神様か何かと思うとらへん?」
「思っていますわ! 鳥かごのように窮屈な学院に通い、荒野のようになってしまった私の心の中咲いた一輪のバラの花……それが桃李さまですもの」
亜美の目はうっとりとしている。
(な、何クサいこと抜かしとるんやこの子は……)
汐里はドン引きしたが、気を取り直し、咳払いを一つした。
「なんで神様のとーりんが退学にならなあかんかったん。私聞いたで。何かとーりんのことを気に入らん悪い奴が親の過去を失敗をほじくり返して学校から追い出したって。父親の会社にまで圧力かけて父親を兵庫まで飛ばしたって。ホンマなん?」
「桃李さまがお話なされたのね。ええ、事実ですわ。そして桃李さま無き学院は今、崩壊の危機に立たされているの」
「何やて……?」
亜美は深刻な面持ちで続けた。
「本題に入る前に確認しておくことがあるわ。おそらく桃李さまから、聖峰の校風についても聞かされているでしょう? 家柄と親の社会的地位で格付けがなされると」
「うん。桃李でも中間層やいうてた」
「正確には五段階の格付けがあって、生徒たちには極上・上・中・並・等外の格付けが与えられるの。確かに桃李さまは『中』格付けだったわ」
「なんやねん、それ……人を豚肉みたいに扱って」
家庭科の授業で豚肉について勉強した際、教師がうんちくとして豚肉の格付けについて話したことを覚えていたが、それも極上から等外までの五段階評価であった。豚肉と全く同じ格付けの仕方に嫌悪感を覚える他なかった。
「あのお方のお父さまは大手企業の幹部社員でしたから、それだとだいたい『中』扱いされるの。大手でも旧三大財閥系であれば『上』入りもありえますけど、序列上位の企業の管理職でないと厳しいわね」
「財閥系がどうのこうのとようわからんけどさ、『上』にどんぐらいのレベルの家を求めとんの?」
「大手企業の経営者、もしくは医師または弁護士など三大国家資格持ち。ただし医師の場合は病院経営者か大学病院の教授、三大国家資格持ちは事務所を抱えていることが必須条件ね」
「中小企業のサラリーマンは?」
「『等外』ですわ」
「ほな私が聖峰に通ってたら『等外』扱いか。ふざけとんな」
汐里の父親は一応は部長の肩書を持っているが、勤め先は社員数五十人もいない中小企業である。
「仁科さんは?」
「私は『上』よ。お父様が病院を営んでいらっしゃるの。脳神経外科で活躍されていて」
「ふーん、ほな病気してもすぐ治してもらえるな。ええやん」
亜美が一瞬ムッ、としたような顔つきになった。汐里の皮肉を察したからかもしれない。
「仁科さん、格下の人間をいじめたりしてへんやろな」
「私のような『上』はそんなことしませんわ。ただ悲しいかな、むしろ『並』の方が『等外』をひどい目に合わせる傾向があるわね」
まるで他人事である。同じ生徒だろうに。
「しかし桃李さまがおられた頃は比較的平和だったのよ。見た目だけでなくお優しくも強いお人柄に惹かれる生徒は数多く、『上』から『格下』まで慕う方は大勢おられたわ。あの方が中心となって格付けの垣根を越えた交流が始まって、やがて学院独特のヒエラルキーに疑問を抱く生徒たちが大勢出てきたの。そのせいで桃李さまは『極上』ランクの方に疎まれて追放されたのよ」
「その『極上』ランクの奴が生徒会長やろ? これもとーりんから聞いたもん。そいつでも『極上』扱いって、格付けに人柄は考慮されへんねんなあ」
汐里はさらにイヤミったらしく皮肉を言った。しかし今度は笑って受け流された。
「会長の人柄は確かに格付けすると等外のさらに等外程度でしかないわ。普通の学校なら生徒会長になれるはずがないもの。人望と力量が無いせいで校内がグチャグチャになってるからいい気味ですわ……と言いたいところだけれど。ここからが本題。今学院で起きていることをお話するわ」
亜美はハンカチで汗をぬぐう。左右からセミの鳴き声が聞こえる中で、亜美が言った。
「同盟休校の動きが起きているの」
「ドウメイキュウコウ?」
「ストライキのこと。夏休み明けに集団で授業をボイコットしようとしているのよ」
亜美が話した経緯は以下の通りである。
生徒会長、桃李がXと呼んでいた人物は恐ろしいことに、桃李が聖峰に在籍していた痕跡すらことごとく抹消しようとしていた。学校行事に参加しているところを写した写真。中等部時代の卒業アルバム。校内弁論大会で優勝した記録その他。
その狂気的な施策は、生徒個人にも及んだ。生徒たちのスマートフォンを調べあげ、桃李の画像を所有している者は処罰すると通告したのである。しかも夏休みの最中に生徒を呼び出してまで。登校しない者は理由を問わず処罰する、と脅したために全員登校してきたが、通告はたった三分で終わったという。
理不尽な通告に難色を示したのは風紀委員であった。厳しい校則に違う生徒を取り締まる役割があるが、さすがの風紀委員も「校則に関係ない事案で処罰はできない」と拒否した。これに激怒した生徒会長Xは風紀委員全員を解任した上、生徒から賄賂を受けて校則違反を見逃したと冤罪をふっかけて学院から処分を下そうとした。
風紀委員たちは当然ながら孟反発し、処分を受ける前に集団で理事長に直訴した。無罪を主張をして自分たちの解任無効を訴えたが、理事長は煮えきらない返事しかよこさなかった。
これに風紀委員たちは態度を硬化させ、同盟休校の通告を行った。そこに桃李の件を含めて、日頃から生徒会長Xに反発していた生徒たちが格上格下問わず乗っかり、次々と同盟休校に賛同の意を示したのである。
最初から最後まで、汐里には理解しがたい内容であった。
「風紀委員の解任無効、生徒会長の解任、および桃李さまの名誉回復。いずれも達成されない場合は同盟休校決行よ」
「ちょっと待って。とーりんの名誉回復ってまさか?」
亜美は答えた。
「桃李さまには学院にお戻りいただく。そのために私が桃李さまを呼び戻しに来たのですわ」




