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過去の濁流は加古の清流とともに  作者: 藤田大腸


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16/21

桃李の過去

 不祥事。退学。


 その文字が汐里の心を激しく揺らす。


「た、退学て……何したん……?」

「聖峰学院の生徒にふさわしくない言動。学院に対する反抗的な態度。風紀を乱す行為。および受験時に提出した書類内容の虚偽」


 刑事が容疑者の逮捕前に罪名を告知するかのような口ぶりであった。


「以上、これが公式な処分の理由さ」

「うそや……」


 汐里は間髪入れず否定にかかった。


「とーりんがそんなことするわけあらへん……」

「そう言ってくれてありがとう」


 桃李の表情に、少し生気が戻る。


「そう、まったくのでっちあげなんだ。いや、反抗的な態度は取ったかもしれないけれど。とにかく、いろんな罪をなすりつけられて退学になったのさ」


 退学のところまでも悪質なウソであってほしかったが、桃李の眼差しは真剣である。


「そんな……何でこんなひどい目に合わされたん?」

「長くなるが、まず前置きから入ろう」


 桃李は続けた。


「聖峰学院にはおかしな風習があってね。家柄や親の社会的地位で生徒のランク付けが行われていたんだ。先輩後輩同級生問わず、格下は格上に逆らってはいけなかった」


 汐里にはわけがわからなかった。学校でさんざん教わってきた「差別」そのものではないのか。


「その中で、私は中間層の位置にいた」

「とーりんでも中間って……」

「だが、厄介なことにとでも言うべきかな。私には格上、格下問わず人が寄り付いてきた。自分で言うことじゃないが、見てくれだけは良かったからな」


 桃李は自嘲気味に鼻で笑う。


「私には学院の風習が全然理解できなかった。じゃあ人が寄り付くのであれば、逆に利用してやろうと考えた。私が中心となって格下も格上も無い、みんな聖峰のいち生徒として交流できるようになれば、馬鹿げた風習も消えていくだろうってね。そうして時間はかかったけれど、実現寸前までいきかけたんだ。だけど、私のやることなすことが気に食わないのもいた。仮にその人物の名前をXとしよう」


 一呼吸置いて、さらに続けた。


「Xは私の同級生だった。実家は複数の会社を経営していて、先祖は華族で、格上の中の格上といってもいい存在だった。それでも彼女から見て格下の私に近づいてきてね。最初は私も悪い印象を持っていなかったし、つきあいはしていたよ。だけど少しずつ本性が現れだした。私がさらに格下の子たちと交流していることが気に食わなかったんだ。そのうち対立することが多くなって、お互い距離を置いた」


 汐里はただ黙って聞いている。格上とか格下とかいった事柄を除けば、今のところはよくある人間関係のこじれである。


「高等部に上がって、彼女はすぐに生徒会長に就任した。保守的な考えを持っていたから政策は今までの生徒会長と何ら変わりなかったけど、格上の格上だから影響力が強かった。その生徒会長さまをとうとう私は本気で怒らせた」

「……何があったん?」

「聖峰学院は世間一般でいうお嬢様学校だから、とても校則が厳しい。時代にそぐわない校則もあった。私はそう思ってはいないが……傍から見て私より格下の子たちが中心となって校則を改めようと改革運動を起こした。だけど格下の意見をXが取り扱ってくれるはずがない。そこで私を通じて、生徒会を通さずに学院に直接訴えようということになった。これも自分で言うことじゃないが、私は教師から良く思われていたからね。私がみんなの意見を集約して学院に伝えれば動くだろうという算段だった。私も学院を変えたかったらそれに乗った。そしたらXが大激怒さ」


 その後の展開が、汐里にとって容易に想像がついた。しかし桃李が話した内容は想像の上をいく、もっと酷いものであった。


「Xは学院の規律を乱す反乱者として糾弾を始めた。生徒を金で買収したり脅迫したりして改革運動に参加させたとか、生徒会の悪口を言いふらしたとか、一つたりとも事実じゃない内容で学院に訴えでた。まあその程度なら弁明もできたさ。ところがXが悪辣だったのは、私の父さんが過去にやらかしたことをほじくり返してきたことだった」

「お父さんのやらかし……?」

「身内の恥を晒すが、父さんは不倫をしたことがある」


 確かに不倫、という言葉が汐里の耳に届いた。


「不倫って……」

「昔の話だよ。両親が結婚したての頃、私が産まれるずっと前のことだ。気の迷いで不倫をしてしまったということだが、父さんは猛省して、母さんも一応は許してくれたし、それ以来一切問題は起こしていない。だけどXは過去の事実を掴んで学院に密告した。それが一番の致命傷だった」

「まさか、不倫するような男の娘なんかお嬢様にふさわしくないから退学や、ってなったわけちゃうよな……?」

「ほとんど、そのまさかだよ」


 吐き捨てるように言った。


「聖峰学院は入学希望者の両親の経歴に傷がついていないかまで探ってくる。入学前もやましい過去は一切なく、これからも親として娘を清く正しく導いていきます、といった内容の誓約書を両親に一筆書かせるんだ。しかし両親は不倫の事実を隠していたから虚偽申告だ、とXは訴えでた。これが私の罪状の一つ『受験時に提出した書類内容の虚偽』に当たる」

「いやでもこれだけで退学は……」

「ところがXの父親は学院に多大な寄付をしてきた。だからXは父親の名前を出して学院に圧力をかけた。その結果が退学処分さ」

「そ、そんなんありえへん! ありえへんって!」


 汐里がこれほどハラワタが煮えくり返る思いをしたのはいつ以来だろうか。桃李が生徒会にスジを通さなかったことは例え過失だったとしても、退学まで追い込むのは度が過ぎているという程度ではない。


「それだけじゃない。Xの父親が経営している商社は私の父さんの勤め先、帝都化学工業の最大の顧客でもある。彼女の父親も父親でね、娘に吹き込まれた父親はウソをついて娘を入学させるような男がいる会社と取引できない、と理不尽な言いがかりを会社につけた。その結果が、兵庫県にある子会社の社長というポストというわけさ。さすがに父さんは幹部だったし、私と違ってクビにはされなかったが、遠い地に追いやられたというわけだね」

「なんで親まで巻き込んで、そんな無茶苦茶なことできるん……信じられへん……」

「Xは小さい頃からわがままし放題の上、親が歯止めをかけられなかったからだろう。だから自分のプライドを少しでも傷つける者に対してはとことん残酷になれるんじゃないか」


 これでは人間の皮をかぶった何かでしかない。汐里は拳を震わせた。


「私はもう二度と聖峰には関わりたくなかったし、父さんも関わらせたくなかった。母さんも保護者会でさんざん責められた。だから私と母さんも一緒に引っ越すことにしたんだ。その折に父さんの味方の一人がなるべく良い住居を探してくれて、そしたら加古川市に手頃な物件があった。加古川市に引っ越したのはそれ以外の理由はなかった」

「好き好んで来た、というわけやなかったんやな」 

「正直なところね。でも今は全然違う」


 桃李はトラックパンツからスマートフォンを取り出し、画像を見せた。


「右も左もわからない土地で、私たちが最初に見たのは加古川の流れだったんだ。ちょうどこんな感じの風景だったけど、綺麗で言葉が出なかったよ」


 遥か向こう、播磨灘へと連なる加古川の雄大な流れが写っていた。橋の上から撮影したのだろう。陽光を受けてきらめく水面。ディスプレイの中に広がっている幻想的な風景に、汐里も言葉が出なかった。普段見慣れているあろう光景が、こう美しく見えるものなのか。もしかすると、これが桃李の目線で見える風景なのだろうか。


 橋の欄干らしきものも端に映っているが、これだけで汐里は撮影場所が特定できた。


「そこの水管橋から撮影したんか」

「そう。ここに来る前に通ってきたんだ」


 平荘湖のちょうど真南のところに、加古川をまたぐ形で水管橋が設けられている。平荘湖の水を工業地帯に送水するために設けられた橋で、六つ連なっているセルリアンブルーのアーチが特徴的な造りをしている。ここには自転車と歩行者が通行できる道路があり、地元民が交通に利用しているが、鮮やかに目立つセルリアンブルーは観光スポットとしての価値も高い。


「東京にも大きな川はあるけど、この加古川の流れは格別だった。綺麗に光っていて、荒んだ心がスッと癒えていく感じがしてね。両親も同じ気持ちだった。そして決心したんだ。この清き流れをいただく、新しい土地でやり直そうってね」


 桃李の顔に笑みが戻った。汐里の胸の底がじんわりと熱くなり、その熱は目頭へと移っていき、とうとう溢れ出した。


「とーりん、打ち明けてくれてありがとうな。辛かったやろうに……都会育ちのキラキラした王子様っぽいお嬢様やと思っとったけど、強い子やな」


 ちょっとごめんな、と汐里は一言断ってから、桃李を抱きしめた。デオドラントを使っているのか、良い香りがする。


「汐里、いくら人がいないからって恥ずかしいよ……」

「えへへ」


 汐里はすぐ離れた。


「しかしそれでもよくうちの高校に来てくれたなあ。もっとええ高校行けたやろうに」

「みんなからよく言われるんだけどね。これ内緒だけど、実は父さん、校長先生とは大学時代の同期なんだ」

「ええ!?」


 涙が引っ込むほど驚いてしまった。


「父さんの事情を知った校長先生から、ぜひ娘さんをうちの高校で預からせてくれないかって誘われてね。何でも相談に乗るって言ってくれたし、楽しい高校だからって。私もやり直すのなら前の学校と全く違う校風のところに行きたかったし、話に乗ったんだ」


 捨てる神あれば拾う神ありということわざは本当なんやな、と汐里は思った。


「うちの高校は実家が多少金持ってようがそうやなかろうが、みんな平等に扱われるからな。翠みたいなクセ強は多いけど、根っから悪い奴はおらんよ。来て大正解やったろ?」

「うん、大正解だったよ。汐里みたいないい子と出会えたしね」


 汐里は大げさに、胸を押さえる仕草をした。


「今の言葉、クラっときたわあ……」

「あははは」


 曇り空の合間から、再び太陽が現れて加古川の地を照らしだした。今からもっと暑くなる時間帯だ。


「結構話し込んでもうたな。親が待っとるわ」

「じゃあ、私はこれで。今日は聞いてくれてありがとう」

「ああっ、ちょっと待って! 駐車場に寄ってほしい!」


 先にある駐車場で、汐里の父親は車を停めて母親とともに湖を眺めていた。


「ごめーん! 遅うなってもうた!」

「えらい話が弾んどったんやなあ。桃李さん、いつもうちの汐里がお世話んなってます」


 汐里の母親がぺこり、と頭を下げた。「いえいえ、こちらこそ」と桃李も。


「お母さん、とーりんにナスビお裾分けしたって」

「な、ナスビ?」

「さっき近くのおじいちゃん家まで墓参り行っとってん。ナスビようけ貰いすぎたからなんぼか持って帰ってよ」


 父親も「おお、好きなだけ持っていってええよ」と勧める。桃李は仕方なしといった感じで、がビニール袋一つ分だけ貰うことになった。それでもパンパンに詰められているから、しばらく新開家の食卓にはナスビが並び続けることになるだろう。


「ありがとうございます!」


 ナスビ入りのビニール袋を掲げて礼を言う桃李に見送られて、車は出発した。汐里は後部座席から、桃李の姿が見えなくなるまで手を振ったのだった。

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