高砂球場へ
翌日、夏休み初日に辰馬は帰ってきた。高校三年時点では身長一八五センチ体重九〇キロと非常に恵まれた体だったが、大学に行ってからさらに大きくなった気がする。
「やっぱり揖保乃糸は最高やな!」
ご満悦で三人分ものそうめんをすする辰馬。さらにそれだけでは足らず、大盛りのご飯をかきこんでいる。この食べ合わせはさすがの汐里も無いな、と引いていた。
母親が「そんなに食うて大丈夫かいな……」と心配したが、「こんぐらい食わな体が持たへんねん」と言い返す。
「あんた、寮でちゃんとええもん食わしてもろとるんか?」
「味はええけど量が足りひん。カロリー管理されとるから。高校時代は好きなだけ食わしてくれたのになあ……」
「ああ、口元に米ついとるがな」
母親が辰馬の米粒を取ってあげた。汐里はつい笑ってしまう。
「お前、何笑とんねん」
「そんなでっかい図体して……」
「滅多に帰れへんのんや。親に甘えて何が悪いねん」
口調が本気よりのトーンだったため、汐里はすぐに「ごめん」と謝った。
辰馬は大食いにも関わらず、ちょうど一人前分しか食べていない汐里よりも早く完食してしまった。
「ふー、ごっそさん!」
「満足した?」
「おう。満足も満足じゃ。で、今日の試合はどことするんや」
「須磨一ノ谷高校」
「須磨一ノ谷? 全然知らんとこやな」
須磨一ノ谷高校は加印高校と同じ県立高校である。特に野球部が強いというわけではないが、五回戦に進出しているのであればそれなりに力はあるはずだ。
「今の加印って強いんか?」
「辰兄ぐらい背のおっきい三年生のピッチャーが頑張っとるみたい。それと私のクラスメートにいい選手がおってな、これが結構打つんよ」
「よし、どんな奴か見たろ」
試合予定時刻は十三時だが、車を使えば今から出てもじゅうぶん間に合う。辰馬は自家用車の鍵を借りて、汐里と一緒に乗り込んだ。
「絶対に事故らんといてや」
「任しとけって」
とは言われたものの、やはり不安が残る。気を紛らわせるために汐里は積極的に話しかけた。話題のタネはやはり桃李である。
「東京からそんなすごい子が来たん?」
「いやもう、この前の期末試験もぶっちぎりで一位取ったもん。頭ええし、運動できるし、カッコいいし、性格良いし。パーフェクトや」
「へー、ほんなら頭だけでも俺に分けてほしいわ。俺、高校入ってからろくに勉強してへんし」
「辰兄は期末テストどうやったん?」
「明日からや」
「は!?」
「どこの大学もだいたい今の時期から期末試験に入るんよ」
「あの……勉強は?」
「どないかなるやろ!」
がはは、と豪快に笑い飛ばした。
「私でも今回、中の上ぐらいまで成績上がったんやで。ちゃんと四年で卒業してや……」
「まあ、頑張れるだけ頑張るわ」
ホンマかいや、と汐里は口の中で言った。
加古川市の西隣にある自治体、高砂市。ここには日本三奇の一つ「石の宝殿」を祀る生石神社があり、そこから川を挟んで向かい側にあるのが高砂市総合運動公園。その中にある運動施設の一つが高砂市野球場、通称高砂球場である。
高砂球場は高校野球の県大会では主な会場の一つとして使われている。二〇〇六年に開かれたのじぎく兵庫国体では硬式野球の会場となり、甲子園を賑わせたスター選手が集結したことで大きな盛り上がりを見せたこともあった。
無事に着いた二人は入場券を買いに向かったが、その途中で翠と出会った。動員された卓球部員たちと一緒にいる。
「おいっす、しお……り? この非常に恵まれた体格のお方はどなたなん?」
「そんな怯えた顔せんといてよ、別に取って食ったりせんから。中一の頃に見たことあるやろ? 私の兄貴よ」
「ああ、思い出した!」
辰馬は「俺も思い出したわ」と笑った。
「汐里の友達やな。変わっとらんな」
「いやあ~ウチは全然気づきませんでしたよ~、めっさたくましくなって……」
翠はペコペコと頭を下げる。中学生の頃と今とでは全然体格が違うからわからなくても仕方がない。
「今どんな感じ?」
「ちょうど第一試合が終わったところやねん。さっきまでそこに川端もおったけど、中に入っていったわ」
「辰兄、行こか」
「おう。しっかし、ここも入場料高いのう。一般九百円で高校生四百円て……」
売り場に張り出されている入場券の値段を見た辰馬がぼやいた。
「岡山やと高校生は百円やぞ」
「え、やっす!」
「そのかわり一般は千円やけどな」
「たっか!」
汐里と翠は全く同じリアクションを見せた。
加印高校の応援席は三塁側である。さすがに昨日の功徳と太平洋大付属姫路よりは入りが少ないが、地元東播磨のチームが登場するということもあって大勢の客が入っている。夏休みに入っているので親子連れも多い。もちろん、加印の生徒も大勢駆けつけていた。
スタンドに入るなり、辰馬が「異変」に気づいた。
「あれ、いつの間にか電光掲示板に変わっとるやんけ」
「この前変えたばっかやねん」
高砂球場のスコアボード表示は手書きであったが、設備の改修工事に伴ってついに電光掲示板に置き換わった。老朽化対策の他、最近は酷暑が続いているりで、中で作業している人が熱中症の危険性を伴うからという事情もあった。辰馬や球場を知る人たちにとって味のある光景が一つなくなってしまったが、どうしても時代に逆らえない部分はある。
グラウンド内では加印高校のメンバーがシートノックを行っていた。「K」のロゴが入った黒い帽子と、「KAIN」というゴシック体のロゴが入ったグレーのユニフォームを着た選手たち。汐里がちらっと聞いた話では、慶應義塾大学野球部のユニフォームを意識しているらしいが、その理由まではよくわかっていない。
後藤教諭が声を出しながらノックをしているが、サングラスをかけているからか余計に厳つく見える。彼がセカンドに強い球を打つと、「4」の背番号をつけた、ひときわ小柄な選手がボールをさばいてファーストに送球した。
「あの背番号4が私のクラスメートの川端くん」
「ん? えらいちっちゃいな……汐里と背丈ほとんど変わらんやんけ」
「辰兄はシニア行っとったからわからんやろうけど、中学の野球部で結構活躍しとったんよ。私立から野球推薦の話もあったけど、結局背が小さすぎるからって無しになってもうて、そんで加印に進学してん」
「そうか。まあ俺んとこのチームもちっちゃい奴が何人かおるけど、高校時代に相当実績積んだのばっかやからな。結構打つ言うたけど、どんぐらい打つんや」
「こんぐらい」
汐里はスマートフォンで、高校野球の記録を扱っているサイトを開いた。今年の兵庫県大会の記録も詳細に記載されており、当然大和の成績も記載されている。彼は過去四試合とも一番打者として出場し、それぞれ三、一、二、四安打と当たりに当たっていた。
「お、確かにめっちゃ打っとるやんけ」
「春に打ち方変えてから絶好調や言うてた。今日も打つんちゃうかな」
「ほな、どんだけのもんか俺がしっかり見といたるわ」
「偉い上から目線やな」
「当たり前じゃ。俺、高校のとき四番打っとったんやぞ」
辰馬は人より一倍大きめの腕で、力こぶを作ってパワーを誇示したが、すぐに冷静になった。
「まあ、いくら打ってもチームが勝たんと意味ないけどな。俺でも結局甲子園行かれへんかったし。大学の推薦は取れんでも良かったから甲子園行きたかっな」
辰馬は空を見上げた。汐里は何も言わなかった。兄の最後の夏の予選はまさかの二回戦敗退で、泣きながら母親に電話を入れてきたのを汐里は今でも覚えている。
団体競技はたった一人が優れた個人技を持っていても勝利に結びつくわけではない。裏を返せば、加印高校の快進撃は川端大和の活躍によるものだけでなく、辰馬のように背の大きいエースピッチャーなど他の選手の頑張りもなければなし得なかったということだ。
シートノックの終わりに、後藤教諭がキャッチャーフライを打ち上げる。ノックでキャッチャーフライを打つのは相当難しいが、一発でほぼ真上に高く上がった。捕手がキャッチすると歓声が上がり、一同はグラウンドに一礼し、いったんベンチに下がった。
須磨一ノ谷高校のシートノックも終わると、加印ナインがスタンド前に整列して「よろしくお願いします!」と挨拶した。
「川端ー! お前打てよー!」
翠が大きな声を飛ばしている。大和は一瞥したが、翠を見るなり帽子を目深にかぶって、ササッとベンチに引っ込んでしまった。
(川端くん、絶対照れとるな)
汐里は勝手に決めつけた。
「汐里、何ニヤついとん?」
「辰兄と一緒よ。楽しみやなって」
そして試合はほぼ定刻通りで始まった。




