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過去の濁流は加古の清流とともに  作者: 藤田大腸


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11/21

一学期の終わり

 一学期最後の日のSHR。二年一組の担任、後藤祐樹は夏休みの心構えについてありきたりのことを一通り話した後にこう付け加えた。


「最後になるけど、今年の野球部は絶好調で予選をどんどん勝ち進んでて、明後日には五回戦が高砂(たかさご)球場で行われる。勝てば何十年ぶりかのベスト8進出なんで、来れる人は是非応援しに来てほしい。お願いします!」


 後藤教諭が教卓に頭を打ちつけそうなほどに頭を下げると、あちこちから「へー」とか「おお」といった声が漏れ出した。


 兵庫県は聖地甲子園のお膝元であり、およそ百六十校がしのぎを削る激戦区だから、五回戦進出でも相当な実績として扱われる。夏休みに入ってからの試合となると、ベスト8進出の後押しのために相当の生徒が応援に駆けつけるだろう。


 SHRが終わり、学期末恒例の大掃除が始まった。汐里は翠とともに外周の掃除に駆り出されたが、もう夏休みモードの二人はダベリながらダラダラとゴミ拾いをしていた。


「翠ちゃん、明後日の試合観に行く?」

「言われんでも行くよ。卓球部に動員命令が出とるもん」


 運動部でも直近で大会を控えていない部活動の中では、野球部の応援に行くよう顧問から指示が出ているところがある、と翠は言った。


「ウチらが勝ち進んでも野球部の連中は応援しに来てくれへんのに、ほんまにあいつらええ身分よなあ。まあ野球は別に嫌いやないんやけど」


 翠は皮肉と愚痴をこぼしながら、コンビニのおにぎりの包装らしきものを拾ってゴミ袋に入れる。


「日本やと高校野球って夏の名物行事みたいなもんやしな。自分の高校が勝ち進んだら応援したくなる気持ちはわかる」

「その裏で将棋部の米村さん、いつの間にか全国大会出場決めとったけど全然注目されとらんやん。ウチが米村さんやったらグレるで」

「ぷぷっ!」


 汐里が突然吹き出した。


「どないしたん?」

「ごめん、米村さんがウンコ座りしてタバコ吸っとるとこ想像してもうた」


 翠も笑い出した。真面目でおとなしい米村果穂がグレるはずがないのだが、だからこそギャップが大きくて笑いを誘った。


「汐里は一人で行くん? それとも誰かと一緒に行くん?」


 翠が唐突に聞いた。


「一人で行くつもりやけど」

「えー? ほんまはおるんちゃうん? 野球観戦デートに誘ってみたいなーって子が」


 ニヤニヤしながら、脇腹をツンツンと小突いてきた。


「全然おらへんわ。翠ちゃんこそどうなん?」

「ははは、お察しや」


 翠は乾いた笑い声を上げた。


「川端くんとかどうなん?」

「えっ? いやあ……あのチビはないわ」


 汐里は「ふーん」とジト目で翠を見る。


「な、何やその悪意のある目は……」

「私から見たらすっごい仲良さそうに見えるけどなあ」

「ない、ない! はい無駄口叩かんと掃除しよっ」


 翠は露骨に怪しい態度を取った。やっぱりそういうことだろう。


 実は翠と大和は、なぜか中学一年生から高校二年生の今まで、ずっと同じクラスにいる。しかも汐里が見る限り、二人が一言も会話していない日は一日たりとも無かった。言い合いをすることは多々あったものの、裏を返せば本音をぶつけあえる仲だということにほかならない。


 しかも汐里がこっそり観察したところによると、翠が会話している男子の九割が大和であった。これで「ない!」と強調されても説得力に乏しい。


「うわっ、ムカデ!」


 溝の中にムカデの死骸を見つけてしまった汐里が叫んだ。酷暑のせいかカラカラに干からびている。


「うえー、マジキモいわ」


 翠はそう言いつつもトングで死骸をつまみ、そのままゴミ袋に入れるかと思いきや汐里の目の前に「ほれえー」と突き出した。


「ぎゃあああ! やめてえや!」

「ほれほれー」


 汐里はつい、自分のトングで払いのけようとしてしまった。トングどうしそがぶつかった弾みで死骸が跳ね上がり、汐里の体操服にポトリと落ちた。


「あぎゃあああ!!」


 汐里は尻に火をつけられたかのように恐慌状態に陥った汐里はその場を走り回った挙げ句、溝に足を踏み入れて転倒してしまった。


「マジでごめん」


 翠は謝罪したが、汐里は「ジュースで勘弁したる」と受け入れた。派手に転んだ割には顔と手足に軽い擦り傷を負い絆創膏を貼るだけで済んだのだが、一学期最後の日に保健室のお世話になるのはとても気が滅入る。


 教室に戻ったら、桃李が真っ先に「どうしたの?」と声をかけてきた。汐里が事情を説明すると、大きな声で笑われた。


「それは災難だったな」

「笑いごとちゃうでほんまにもう……」

「実は私の家にもこの前ムカデが出没してね。もう大騒ぎだったよ」

「へー。とーりんの家って大きそうやし、どっから入ってきたかわからんやろな」

「そんなに大きいってわけじゃないよ、古い借家だし」


 桃李の住居について詳しいことは知らないが、近くに小さい田んぼがあると聞かされたことがある。田んぼ近くだと虫が多く湧くから、当然ムカデも出てきやすい。ちなみに引っ越し直後は田んぼにいるカエルの絶え間ない鳴き声が慣れなかった、とも言っていた。都会の人が地方に移住してきたときの典型的な悩みだが、桃李も免れなかったらしい。


「まあムカデは置いといて。とーりんは野球応援に行く?」

「ごめん、無理だな……夏期講習は朝から晩まであるし。応援したい気持ちは山々なんだけど……行けたとしても野球のルールがあんまりわからないし」

「そっか。じゃあ現地の画像取って送ろうか? ルールわからんでも雰囲気だを感じられたらなあ、と」

「気遣い、ありがとう。じゃ、お願いするよ」


 騒がしい声とともに、大和が男子生徒数人と一緒に教室に戻ってきた。ホウキを持っているのは中庭掃除を担当していたからである。汐里を見るなり、やはり声をかけてきた。


「山本、ケガしたんか?」

「翠ちゃんにやられてん……」


 大和にも説明をしたら、彼は「最悪やなお前~」と舌打ちして翠を睨みつけた。


「俺んときはミミズで済んだのに、ムカデはないわ」

「え? 翠ちゃんに前科あったんか?」

「ああ、山本は中学二年のとき一緒のクラスちゃうかったから知らんか。こいつと一緒に外掃除してたら生きたミミズを投げつけられたことがあってな」

「え?」


 男子も一斉に「ええっ?」と引く。


「翠ちゃん、そんなことしたん……?」

「知らんなあ」


 翠はすっとぼけてニヤついた。


「こいつ、よう掃除サボっとったからなあ。喝入れたことはあったかもしれへんけどなあ」

「せやからってミミズはないやん。ホンマ、こんな性悪が学級委員やっとるとか終わっとるわあ」

「いつでも変わってあげてもエエんやで? ゴッチと一緒に仕事したいんなら」

「う、それならええわ……」


 トーンダウンした。後藤教諭は決して悪い教師ではないが、野球部監督としてはいろいろと熱心な指導をすると言われている。大和もなるべく接触時間を増やしたくないのだろう。


「ま、明後日は応援しに行ったるからせいぜい頑張りや~」

「来んでええ!」


 大声を出したが、怒気を含んでいる感じには聞こえなかった。こんな感じの夫婦漫才的なやり取りは通常の光景なのである。


 それもしばらくは見納めになりそうだ。


「あ~、今日もあっついわあ……」


 汐里は帰宅するなり、ダイニングキッチンのエアコンをつけた。さらにサーキュレーターを「強」で回して、体を強制冷却しにかかる。


 母親はパートで家を空けているので、昼食は自分で用意する。ちょうどそうめん「揖保乃糸」のストックがあった。たつの市に住んでいる母方の親戚が送ってきてくれたもので、しかも最高級、黒帯に金文字の「三神(さんしん)」である。汐里は慣れた手つきでそうめんを茹でると、ガラスの器に盛り付けた。野菜や卵など余分なトッピングは「三神」に必要ない。


「やっぱり夏はそうめん揖保乃糸、よなあ……」


 独り言をつぶやきながらそうめんをすする。強い小麦の香りとコシを存分に味わううちに暑さで滅入っていた気持ちも癒えていく。お嬢様育ちの桃李に見合う郷土の品物を贈呈しろと言われたら、間違いなく揖保乃糸の「三神」を選ぶであろう。


 テレビをつけて、ケーブルテレビにチャンネルを合わせた。毎年、県予選はケーブルテレビで放送されている。対戦カードは功徳学園(くどくがくえん)高校と太平洋大学附属姫路高校。方や西宮市、方や姫路市にある野球強豪校どうしという屈指の好カードであり、スタンドもぎっしりと埋まっている様子が映っている。


 二校とも目下優勝候補とされており、功徳学園のエースピッチャーはコンスタントに百四〇キロ台後半の速球と切れるスライダーを駆使してアウトの山を築いている。太平洋大学附属姫路も大きなカーブを武器とする左腕エースが相手打線を封じ、息の詰まる投手戦の様相を見せている。


 汐里が以前読んだスポーツ系ネットメディアの特集記事に、この二人のエースが取り上げられていた。それによると両者ともドラフト一位候補に挙げられているとのことだが、今のところその評価通りの激しい戦いが繰り広げられている。


(うちの高校がもう一つ勝てたとしても、このどっちかのバケモンとぶつかるんやろなあ……)


 ピロピロピロという音。固定電話の着信音だった。すぐに受話器を取る。


「もしもし、山本ですけど」

『汐里か』

「おう、辰兄久しぶりー」


 汐里には兄の辰馬がいた。彼もかつては高校球児で、シニアリーグの実績により四年前に野球推薦で岡山県の私立高校に入学し、今も岡山県にある野球の強い私立大学で野球を続けている。


『オカンの携帯に電話したけど出えへんから家に直接かけてん』

「お母さんは今仕事中よ。私も今お昼食べとる途中やねん」

『ああ、学校は今日でしまいか。何食っとん?』

「そうめん」

『よし、ちょうどええわ。明日帰るから昼飯にそうめんゆがいてくれ』

「え!? 急やな……」

『明日しか帰れる日があらへんし、その日のうちにまた戻らなあかん。けどとにかくそうめん食いたい。頼むわ』

「母さんが前にそうめん送ったったやろ。もう食べてもうたん?」

『先輩に全部食われた』

「は……?」

『まあ、一回生は立場弱いからな……いろいろと』


 その一言だけでどういう大学生活を送っているのか、汐里は察した。兄のメンタルは強い方だから心配はしていないのだが。


「まあ、明日は家にどっとお母さんおるし、気ぃつけて帰ってきいや。あ、私昼から野球観にいくけどな」

『高校野球?』

「うん。うちの高校の応援。五回戦まで進んどんねん」

『おー、ええやん。どこでやるん?』

「高砂球場」

『じゃ、俺と一緒に行こうや』

「え? すぐ帰らなあかんのとちゃうの?」

『寮の門限までに間に合えばええし。そうめん食って帰るだけってのはさすがになあ。俺が車転がしたるわ』


 大学には推薦入試で秋のうちに合格を決めていたため、冬休みから三学期の間はほとんど登校せず自動車学校に通い、免許を取っていた。


「ほんままにちゃんと運転できるんか……?」

『車で道具運ばされたり、酒飲んだ先輩の送迎したこともあるから大丈夫やって。お兄ちゃんを信用せえや』

「わかった。ほな頼むわ」


 久しぶりの帰省となる兄の好意は無下にできない。

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