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過去の濁流は加古の清流とともに  作者: 藤田大腸


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10/21

歓迎会兼期末テスト打ち上げその4 初めてのカラオケ

 レンガ造りの6番倉庫。今は商業施設に生まれ変わったものの、かつてこの地に日本毛織加古川工場があったことを示す建造物である。カラオケ店はこの二階と三階にある。


 フロントで受付を済ませた翠が「こっちこっち」と手招きする。着いたところはフロントとは反対方向の突き当りにある部屋であった。


「入ってー」


 その部屋を見た途端、汐里も含めて何人か笑い出した。畳敷きの和室だったからである。テーブルはもちろん座卓で、座布団が敷いてある。プロジェクターは奥の床の間のようなスペースに置かれていた。もう少し部屋が広ければ旅館の和室のように感じられなくもない。


「想像していた場所と全然違うね……」


 桃李は少し困惑気味になっている。


「ここの店、いろんなコンセプトの部屋があんねん。今日はとーりんの歓迎会、歓迎といえばおもてなし、おもてなしといえば和の心。そやから和室にしたんよ」

「ウソや。絶対ネタで選んだだけやん」


 汐里が茶々を入れたら「とーりんを感動させよう思うたのに水差すな」としかめっ面をしたが、明確に否定しなかったところを見ると、やはりそういうことだろう。


「でも、ちょっと変わってるところもありだよね」


 桃李はなんだかんだで気に入ったらしい。


 各々好きな場所に座ったが、果穂はすっと桃李の隣に座った。よしよし、という感じで汐里は微笑ましく見守る。


「よし、じゃあ私からいくでー」


 汐里がタッチパネル式リモコンで曲を入力し、マイクを握った。歌うのは最近売り出し中の音楽ユニットの歌。無難だが確実に盛り上がる曲で、最初に場の空気を暖めるのにはうってつけの選択だった。


 歌い終わると、真っ先に真希が拍手した。


「山本って良い声しとるよねえ。音楽の授業のときでもきれいに歌うし。今からでも軽音楽部入らへん?」

「いやあ、大勢の前ではよう歌わんて」


 翠がすかさず「よう言うわ」と茶々を入れてきた。


「汐里、昔『のど自慢』に応募したって聞いたで」

「え、マジ!?」

「あー……たまたま加古川でやるって決まった折に、オカンに出てみんかって言われてな……あんときはコロナ真っ只中やったし客も大勢入れんようにしてやるからって言うからそれやったら、と思うて」

「へー! じゃあテレビ映ったんや。すごいやん」

「いや、書類選考で弾かれた」

「何じゃそりゃ」


 真希はガクッときて座卓に頭を打ちつけた。


「飛び入り参加でやるんやと思ったけど応募する際に何歌うか、その歌を選んだ理由を書かなあかんかってん。理由は歌いやすいから、みたいなこと書いたけど通らんかった。もっと熱意とか伝えるべきやったかもな」

「そら残念やったなあ」


 次の曲のイントロが流れ出した。しかもかなり昔の演歌である。これを入れたのは翠しかいない。


「みなさま、本日はお集まり頂きありがとうございます。ただいまより『播州の歌姫』と言われた籠谷翠の……」

「おーい、歌はじまっとるって!」


 歌詞テロップの色が変わり始めているのに翠はコンサートのような演出をやっていたが、汐里がツッコむと何事も無かったかのように歌い出した。歌姫と呼ばれるレベルに至っているかどうかは不明だが、コブシも効かせていたし、上手い部類には入るだろう。


「籠谷って結構渋い歌好きなんやな」


 と、真希が評する。


「この歌、死んだ婆ちゃんがよう歌っとったんよ」


 ネタで歌っていたのかと思っていた汐里は少し反省した。ただ、翠はカラオケに行くとよく変わった歌を歌うのも事実である。


「よし、じゃあ次は真希さんね」


 真希は平成時代から一線級にいる有名ロックバンドの歌を選曲した。さすが軽音楽部とあってその歌唱力はずば抜けており、力強いハスキーボイスで歌う男性ボーカルの曲でも全く違和感がない。


 一番の拍手を貰った。


「さっすがー!」

「あんがとね。とーりん、そろそろ歌わん?」


 真希が桃李にマイクを差し出す。


「私、あんまり歌を知らないんだけど、いいのかい?」

「何の歌を聞きたいとかやなくて、とーりんの歌声が聞きたいな」


 これはなかなかの殺し文句やな、と汐里は称賛した。もしも自分が桃李だったら、調子に乗って十曲入れていたかもしれない。


「わかった。じゃあひとつ歌ってみる。でもこれ、どう操作したらいいのかな……米村さん、わかる?」

「えーと、何を歌いたいんかな……?」


 桃李が果穂に耳打ちすると、果穂は困惑した顔つきになってもう一度聞き直した。もしかしたら誰もが知らない歌なのだろうか。


「あるんかなその歌……あっ、あったわ。じゃあこれで……」


 ディスプレイに花畑の画像が映し出される。『いつくしみ深き』というテロップが出て、オルガンの音色が流れ出した。


 桃李はマイクを持たないまま、そのまますっと立ち上がり、直立不動のままで歌い出した。


 讃美歌『いつくしみ深き』は歌詞こそ汐里が全く耳にしたことがないものであったが、メロディは小学校時代に音楽の授業で習った『星の世界』そのもの。『いつくしみ深き』を元にして作られた童謡が『星の世界』なのだが、そのことを汐里は知らない。


 桃李の歌声は凛として透き通り、耳に心地よく響いた。もしマイクを使っていたらかえって歌声が台無しになっていたかもしれない。何か曲を入れようとしていた者は手を止め、桃李の歌う姿をじっと見ている。


 汐里はブルッと身を震わせた。今の桃李は神々しい天使そのものに見えてきたのだ。


 歌い終えた後、誰からも拍手は無く、感想も出てこなかった。


「えと……ごめん、讃美歌は無理があったかな……」

「いや、ちゃうねん。その、凄すぎて……ど、どう言うたらええんかな。魂が揺さぶられるというか……」


 言葉が上手く出てこない。


「あの、ネタ無しで感想言うていい? ウチ、マジで泣きそうなんやけど」 


 翠は眼鏡を取って目頭を押さえている。中学の卒業式でも全然泣かなかったあの翠が。


「なあとーりん。真希さんと一緒に音楽やらへんか? メジャーデビューも夢やないで」


 立ち上がった真希が真剣な眼差しで桃李に迫る。桃李は「しないよ」と後ずさりする。


「まあ冗談は置いといて。しっかり腹の底から声が出とったよな。音楽習っとったん?」

「実は前の学校に聖歌隊があって、中等部の頃に所属していたんだ。そこで鍛えられたおかげかな」

「キリスト教系の学校に行っとったんか。確かにとーりんの歌声聞いたら誰でも天国行けそうやなあ。なあ米村……うわっ」


 果穂は大粒の涙を流していた。みんな一斉にティッシュを渡そうとしたが、桃李が一番早かった。


「ほら、泣かないで」

「ううう……ごめんなさい……ちょっと我慢できなくなって……」

「翠、確かドリンク頼めるんだよね。何か飲ませてあげて」

「ここはドリンク無料や。汐里、悪いけど何でもエエから持ってきたって。みんなの分もな」

「はいよっ」


 汐里は部屋を出て、ドリンクバーに向かった。何でもいいとは言われたが、誰でも飲めそうなものはウーロン茶だ。


 グラスに次々とウーロン茶を淹れている間、心が落ち着いてきた汐里は考えを巡らせた。桃李の過去についてのことだ。先日に幼なじみの令が、桃李の転校はいじめたのが理由じゃないかと悪い冗談を言っていたことがある。しかしいじめをするような醜い心の持ち主なら、あんな天使のような歌声で歌えるはずがない、と汐里は思う。


 だいたいいじめの加害者は、気の弱い人間をターゲットにするものだ。だから正直、果穂は餌食になっていてもおかしくなかった。しかし桃李は果穂に対して、それこそいつくしみ深い姿勢を見せている。


(だとすると、ますます前の学校そのものが怪しいな……)


 今だったらその辺の事情を本人の口から聞けるかもしれない。そう一瞬考えたが、やはりやめることにした。せっかくの歓迎会、桃李が楽しんでいるのに邪魔したくないという気持ちが勝ったからである。


 もう少し待つ。それが汐里の結論である。


「ただいまー」


 汐里が戻ると、誰かが歌っていた。ディスプレイにはおどろおどろしい絵柄のPVが流れ、歌詞には「闇」「殺」「死」という物騒な漢字が使われ、曲調はどんよりとしているが、歌声は音程を外れているから不気味さが際立っている。


 マイクを握っていたのはなんと果穂だった。本人に聞けるわけがないので翠に聞く。


「何やこの歌……?」

「知らん。歌ったら落ち着くかも言うてこれ歌い出したんやけどなかなか病んでてなあ……でも今の米村さんにぴったりやろ。見てみ?」


 果穂は先ほどまで泣いていたから目が真っ赤であり、その上虚ろで焦点が合っていない。桃李が天使なら、果穂はさながら成仏できない地縛霊といった感じである。


(まあ、真希や桃李みたいにガチなんばっかやとかえっておもろないところもあるしな。カラオケって)


 上手でなかろうが、本人が楽しければそれでいい。


 桃李は結局あの一曲しか歌わなかったが、桃李なりに場を盛り上げてくれたからみんな気分良く歌えた。


 退出時間が来て外に出ると、翠が閉会宣言をした。


「以上で、新開桃李さんの歓迎会および加印高校一学期期末テストの打ち上げを終わります!」


 拍手。 


「とーりんからも何かある?」

「今日は私のために時間取ってもらってありがとうございます。こういう遊びは初めてだったけど、本当に楽しくて楽しくて……」


 声を詰まらせる。汐里は「もうこれ以上泣くのは勘弁して~」とふざけ気味に言うと、桃李は目尻を拭いながら笑った。


「とーりんは明日から夏期講習やけど、夏休み明けでもええから時間取れたら遊ぼうや」

「うん。絶対にね」

「じゃあ最後に記念撮影しよか!」


 みんなで体を寄せ合って、汐里のスマートフォンで自撮りした。


「みんなええ顔しとるわあ。特に米村さんが」


 桃李の側でニコッと笑っている。果穂は「恥ずかしい……」と顔を抑えたが、汐里は「何でえ、めっちゃかわいいやん。私やったら待ち受けにするで」と言ったが、本当に待ち受け画面にした。


「じゃ、画像は後でみんなに送るからね!」


 その場で解散となった。帰る途中で汐里と翠は交差点で桃李と別れたが、果穂は桃李と帰る方向が同じだった。汐里が後ろを振り返ると、信号待ちの桃李と果穂が談笑している姿が目に映った。


「ひとまずハッピーエンドやね」

「もしも米村さんが全国大会優勝したら今度は祝勝会やるか。全部汐里の金で」

「はあ!?」


 にひひひ、と翠は笑い声を上げた。


 こうして、うだる暑さも忘れるほどの楽しい一日となったのであった。

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