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太鼓の少女  作者: 森新児
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第8話 彼女が好きな音楽

 僕はタオルを一枚肩に引っかけ、夕暮れの町を歩いた。

 今時銭湯なんてあるのかな? と不安だったが歩き始めてすぐ住宅街の真ん中に、爪先立つようにニュッと細長い煙突がそびえているのが見えた。

 煙突の胴体に白いペンキで「不知火湯」と書かれている。

 その煙突を目印に見上げて歩いていたら、首筋にかすかな違和感を覚えた。

 いつもうつむいて歩いているから、短い時間ただ上を向いているだけで首筋が簡単にこってしまうのだ。



 番台で石鹸とシャンプーを買い浴室へ向かった。

 まだ早い時間のせいか、広い浴室に客は僕一人だけだ。

 プラスチック製の黄色い桶にためたお湯を浴びるときの「バシャリ」という音、その桶を置くときの「カコーン」という音すべてにいちいち美しいエコーがかかる。

 桶に掬った湯を浴びながら、こういうところでギターを弾いたらたまらないだろうな、と思った。

 浴槽を見下ろす壁に、ハイネックのバテレン衣装を着た天草四郎のペンキ絵が描かれている。

 元服前でまだ前髪を残した幼い風貌の天草四郎は、胸に大きな黄金の十字架をぶらさげ、腰に赤鞘の、西洋風に派手なデザインの太刀を差していた。

 自分以外に人が入っていない、噛みつくように熱いお湯につかり、年寄りじみたうめき声を上げながら、壁の天草四郎を見上げた。



 圧政と凶作、そしてキリシタン弾圧に苦しめられた天草や島原の農民を率いて四郎が起こしたのが有名な天草島原の乱だ。

 江戸幕府を震撼させたこの大乱を起こしたとき、四郎はまだ十六歳だった。

今の僕が十四歳だからたったの二歳しか違わない。

 反乱軍は長崎の、すでに廃城になっていた原城を改修し立てこもる。

 ここへ幕府軍が攻め込み原城攻防戦が始まる。

 幕府軍の兵士の数が十二万、籠城している農民軍の数が三万七千。

 幕府軍の総指揮官板倉(いたくら)重昌(しげまさ)が戦死し、新たに指揮官としてやってきた「知恵伊豆」こと松平(まつだいら)信綱(のぶつな)もてこずるなど反乱軍は大善戦する。

 宮本武蔵も幕府側の一兵卒として原城攻防戦に参戦するが、籠城していた農民が投げ下ろした石にぶつかって足を負傷し、この有名な剣豪がまったく何もできずに退却したという歴史的事実も残っている。

 反乱軍はこんな具合に奮闘するが、結局敗れる。

 天草四郎も十六歳で戦死する。

 幕府に反抗した三万七千の農民の首は埋葬されず、野に転がされた。

 「幕府に逆らった者はこうなる」という見せしめのさらし首だ。


(十六歳か)


 熱さに慣れた僕はお湯に肩までつかり、壁に描かれた、頬に紅が差した天草四郎のいかにも少年らしい顔を見上げた。


(余命があと二年としたら、自分に何ができるだろう?)


 そんなことをぼんやり考えていると、一人の客が浴室に入ってきた。

 耳たぶから白毛を長く垂らしたおじいさんだ。

 股間と足を軽く洗い、おじいさんは熱い湯に平然とつかった。

 先に湯船につかっている僕に気づくと、おじいさんはいそいそうれしそうにそばへ寄ってきた。

 おじいさんが寄ってくるとき、お湯が揺れて熱さがぶり返し、僕は「うう」とうめいた。

 おじいさんは初対面の僕に、自分が僕と同じぐらいの年齢で体験した戦争の話をした。


「そるでな……」


 おじいさんは熱心にしゃべった。

 でも残念ながら訛りがきつくて、おじいさんが何をいっているのかほとんど理解できなかった。





「遠慮なんてしてないわ」


 その日夜の移動で、食料品や着替えの注文がないのは僕に遠慮しているからではないか? と思い切って訊ねると、オー姉さんは笑顔で首を振った。


「私たち食事はいつも拝殿ですませるの。だからあなたにわざわざ買ってきてもらう必要はない。心配しないで」


 オー姉さんは慰めるように僕の肩をそっと撫でた。

 オー姉さんはまったく日に当たらないから夏とは思えない白い肌をしていた。

 でもその肌は艶と張りがあって、不健康な印象はまったくない。


(食事をしているのは本当らしいな)


「姉さんたち全然汗をかかないんですね?」


「あら、気がついた?」


 日ごろ抱いていた疑問を口にするとオー姉さんはうつむき、締めている赤い帯に視線を落とした。


「わたしたち特異体質なの」


「そうですか。やっぱり血がつながってる人は体質も同じになるんですね」


「え? 血のつながりって私たち一座のこと?」


 オー姉さんは驚いたように目をパチパチさせた。


「私たち他人よ」


 今度は僕が驚いた。


「そうなんですか? てっきりオー姉さんとチーちゃんが姉妹で、マダムがお母さん(お父さん?)で五郎さんやコウさんがいとこか何かとばかり……」


「そうじゃないわ」


 白い咽を反らせてオー姉さんは笑った。


「私が大柄だからオー姉ちゃん、あの子は小柄だからチー姉ちゃんと呼ばれているだけよ。私たち姉妹でも何でもないわ。マダムはこの一座の女将(おかみ)さんだからマダムと呼んでる。私たち赤の他人の寄り合い所帯なの」


 語り終えたオー姉さんがまばたきすると、彼女の目が突如青白くキラリと光った。

 闇に潜む獣のように。

 そのとき僕らは山のふもとの暗い道を歩いていて、すぐそばに瞳を照らす人家の明かりや街燈はなかった。しかし


(これも特異体質のせいだろ?)


 そう独り決めに納得した僕は、チー姉さんもまじえた音楽談議に花を咲かせた。


「チー姉さんはどんなブルースが好きなんですか?」


「ブルースは全然わかんない。私はt.A.T.u.(タトゥー)が好き!」


 チー姉さんはロシアの人気女性デュオの名をあげた。


「へー意外。オー姉さんは?」


「わたしもブルースはわからないわ。好きなのはRCサクセションだけど……」


 オー姉さんの顔が急に暗くなった。

 二年前亡くなったボーカルの忌野清志郎さんを思い出したのだろう。

 相棒の悲しみに気づいたチー姉さんは空気を変えようと僕に話題を振った。


「坊やは誰が好き?」


「僕はビートルズっすね。ていうかまともに聴いたのビートルズだけです」


「ビートルズ? 何それふる~い」


 チー姉さんとオー姉さんに笑われた僕は頭をかいてコウの姿を探した。


(彼女が好きなミュージシャンは誰だろう?)


 好きなミュージシャンと好きな漫画家がわかったらその人のことは大体わかる。

 だからぜひ知りたかったが、前方を歩くコウはマダムと何やら熱心に話し込んでいて、結局声をかけられなかった。


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