第7話 彼らの秘密
正午ちょうどに目が覚めた。
起きてすぐ夜明け前五郎さんに渡されたメモをチェックした。
「チョコパン(一個)
夜間飛行(香水、93ml、四本)
彫金細工用ヤスリ(三角、一本)」
と、青い文字で書かれている。
菓子パンは五郎さん、香水は女性たちみんな、そして今回のヤスリはチーちゃんからのリクエストだった。
僕は最初にホームセンターに行き、ヤスリを探した。
それはアクセサリーなどの金属類に彫刻を施すときに使うヤスリで、昨日買った歯科技工用のヤスリに比べると氷を砕くとき使うピックのように全体が細く、断面形状も三角で鋭かった。
それから今度はイオンへ行き、そこの化粧品売り場で香水を買った。
匂いを確認します? と店の女性にいわれ、僕は香水を左手の甲へ一滴垂らしてもらった。
するとたちまち、夜の記憶が鮮明に甦った。
一座に初めて出会った夜、川沿いの神社の境内に霧のように立ち込めていた濃密な甘い香りが、今僕の左手から立ち昇っている。
「『夜間飛行』って『星の王子様』で有名なサン・テグジュペリの小説のタイトルからつけた名前なんですよ」
と、商品を包みながら店の女性が教えてくれた。
これは僕が旅を始めて三日目の正午のことだ。
寝床で五郎さんに渡されたメモを見ると、例のブツのリクエストがあった。
「ジャムパン(一個)
木工用木彫りヤスリ(平形、一本)」
(またヤスリだ)
思わず腕組みした。
今回のヤスリはオー姉さんからのリクエストだ。
(日曜大工に使うのかな? 昨日のチーちゃんのはアクセサリーの加工かなんかに)
アクセサリーを自分で手作りする女性はきっといると思う。
日曜大工が趣味という女性もいるだろう。数は少ないと思うが。
わからないのはマダムや五郎さんが使う歯科技工用のヤスリだ。
(本当に内職で入れ歯を作ってるのか?)
僕は首を傾げた。
さらに不審な点がある。
旅に同行してもう三日になるのに、一座の女性たちはまだ僕に一度も食料品を買ってくるようにいわないのだ。
五郎さんは毎日菓子パンを頼むが、僕が買う食料はそれだけだ。
女性たちはお米もおかずもリクエストしない。
だから僕はいつも自分の分の弁当をコンビニで買い、小屋で一人モソモソ食べている。
料理の手間がはぶけるのは助かるが、しかしクラスの女の子たちの食に賭ける情熱を知る身としては、一座の女性がお菓子やジュースさえ注文しないのが不思議だった。
(ダイエットでもしてるのかな?)
それに女性には必需品であるはずの着替えや生理用品も依頼がない。
(もしかしたらみんなまだ僕に遠慮しているのかもしれない)
と思いながらヤスリを買うため再びホームセンターへ向った。
木工用ヤスリと自分のための白いTシャツとボクサーパンツをそれぞれ二枚買い、境内に戻った。
風が凪いだ森で狂ったように油ゼミが鳴いている。
その凄まじいセミの声が、一斉にパタリと絶える瞬間があった。
ハード・ロックの演奏中に突如出現する休符のように、緊張感のある静けさが汗に濡れた体に染みる。
(国語の授業で習った「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の「しずかさ」ってこれのことかな?)
セミはすぐにまた鳴き始めた。
僕は小屋の窓から拝殿を仰ぎ見た。
内側から隙間なく暗幕を張った拝殿は森と対照的にひっそりと静まり返っている。
Gショックの腕時計が午後二時を示している。
真夏の暑さがピークに達する時間だ。
暑くてたまらないはずなのにそれを訴える声も、うちわで風をあおるパタパタという音も拝殿から聞こえてこない。
拝殿にはエアコンも窓もない。
(みんな熱中症にならないかな?)
僕はすっくと立ち上がった。
拝殿に行って座員の体調を確かめようと思ったのだ。
小屋から出ようとした僕の足は、しかしピタッと止まった。
暑さに苦しむコウの姿を想像したら、興奮と妄想が止まらなくなった!
昨日オナニーしなかったから? とバカなことを考えていたら、突然脳裏にマダムの言葉が甦った。
「昼間は絶対拝殿に近寄るんじゃないよ!」
マダムの怖い顔を思い出したら、興奮はたちまち萎えた。
(だめだ。拝殿を覗いたら俺一座から追い出される)
僕は首を振って腰をおろすと柔らかな布のクロスを取り上げた。
小屋に置かれた楽器を磨こうと思ったのだ。
今日一座が泊まった拝殿は手狭だったので、楽器は全部こちらの小屋へ置いた。
最初に五郎さんのギターを膝に抱えた。
「……ん?」
ギターを磨く手を止め、僕はボディに顔を寄せた。
五郎さんのギターに、自分の顔がぼんやり映っている。
(これは)
あっけにとられた。
五郎さんのギターには皮脂や汗染みの跡が、まったくなかった。
普通これはありえない。
今季節はもっとも暑い夏だ。
もちろん演奏を終えた直後、五郎さんもクロスでギターを磨いているが、拭き残しはどんなときでも必ずある。
それがまったく、ない。
五郎さんのギターは工場から出荷したばかりでまだ人の手に触れられていない新品みたいな、よそよそしい艶をたたえていた。
さらに注意深く見ると六本のスティール(金属)弦にサビがないのに気づいた。
(普通はもっとも指が触れるサウンドホール上の弦は多少はサビつくんだけどな)
それからほかの楽器も磨いてみたが、マダムのウッドベースにも、オー姉さんのアコーディオンにも、チーちゃんのブルースハープにも、そしてコウの小太鼓にも、汗や皮脂の跡はまったくなかった。
これから考えられる結論は一つだけだ。
(彼らはまったく汗をかかないんだ)
静まり返った拝殿を見上げてそう確信した。
さらにもう一つ、すべての楽器にある共通する特徴があった。
うっすらと同じ匂いが染みついているのだ。
甘いような、酸っぱいような匂いが。
それはマダムやオー姉さんが愛好する香水の香りと違う、別の「何か」の匂いだった。
(これ何の匂いだ?)
畳にあぐらをかいた姿勢でクンクン鼻を鳴らし、僕はそこで気がついた。
自分がひどく汗臭いことに。




