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太鼓の少女  作者: 森新児
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第6話 夜を歩く

 宇土市の大きなホームセンターへ行った僕は、色んな工具や金具が並んだ棚の間にできた通路を、迷路のようにあちこちさまよい歩いた。

 ホームセンターなんてめったにこないから勘が働かない。

 店に入って三十分近くもウロウロして、ようやく目当てのコーナーに辿り着いた。

 歯科技工用のヤスリなんて見るのは初めてだ。

 手に取ってじっくりと眺めた。

 ヤスリは中学生のてのひらより長かった。

 断面形状は平形だから肌理がそれほど鋭いわけではないが、歯医者がこれで患者の歯をコリコリ削るのかと思うとぞっとする。


(こんなものを何に使うんだろう?)


 合金仕様のヤスリをそっと撫でると、指の表面の肌がうっすらと殺げる感触があった。



 陽射しが傾き、境内の地面に落ちた木々の影が長く伸びるころ、五郎さんがようやく拝殿から這い出してきた。

 僕は買ってきた品物を彼に渡し、このヤスリは誰が使うのか訊ねた。


「僕とマダムだよ」


「マダムと五郎さんが? こんなもの何に使うんです? 趣味で入れ歯かなんか作るんですか?」


 五郎さんは苦笑いして首を振り、それ以上何もいわなかった。

 それからさらに二時間以上もたってから、ようやくマダムたちが拝殿から出てきた。

 時間はすでに夜の九時を回っている。

 南国熊本の夏といえども七時ごろに日は暮れる。

 しかし五郎さんにいわせるとそうではないらしい。


「それくらいの時間にはまだ陽射しの尻尾があちこち残っているよ」


「陽射しの尻尾? どうしてみんなそんなに陽射しを嫌がるんですか? アレルギー?」


「……僕たち太陽が嫌いなんだ」

 

 五郎さんが突然フランスの実存主義作家が口にしそうな台詞をいったので、僕はうろたえてしまった。


「ぼやぼやするんじゃないよ、客寄せの流しに行くよ。坊やもついといで」


 一座に喝を入れたマダムはポン、と自分の赤い帯を叩き、タンバリンを手にした。

 大きなウッドベースを弾きながら歩くのはさすがに無理だ。

 一座のみんなはそれぞれ自分の楽器を手に、夜の町を演奏して歩いた。

 演奏するのは即興のブルースだ。

 暑さで草木もアスファルトも溶けてしまいそうな夜に、ブルースのダークな音色はよく合った。

 人の多い大通りではなく寂しい裏道ばかり歩くのが不思議だったが、僕も五郎さんのギターを借りて合いの手みたいにときおりポロポロ爪弾いた。

 今僕は軽く「爪弾く」といったが、実をいうとほとんどギターを弾かなかった。

 弾かないというか弾けなかったのだ。

 ただでさえ下手なのに歩きながらギターを弾くのはなお難しい。

 ギターを弾くとき無意識に足が止まるから、何度も一座から遅れてしまった。

 ほかの人たちはずっと同じペースで歩き続け、ふだんと変わらぬ音を悠然と奏でている。

 僕はしばしば演奏の手を止め、彼らの奏でる音に聴き入った。


(みんなもの凄いテクニシャンだ)


 夏の闇に、彼らが奏でるブルースの音がバターのように溶けて広がる。

 その香ばしい匂いに誘われ、家から少しずつ人が出てきた。

 そのうちの何人かは無言で僕らについてきた。

 ギターを弾きながらちょっと笑った。


(本当にハーメルンの笛吹き男みたいだ)


 ついてくるのは若い人ばかりだったが老人たちも家から出て道に顔を出し、僕らに挨拶してくれた。

 ある一人の小柄なおばあさんは小さく拍手しながら、


「デューク・エリントン楽団みたいだねえ」


 と嬉しい感想を呟いた。





 それから城跡下の神社へ戻り、一座はそこで演奏した。

 曲はどれも前夜演奏したのと同じナンバーだ。

 五郎さんは拝殿のすみにあったパイプ椅子を持ち出し、それに腰かけて演奏した。

 その夜聴衆は二十人ほど集った。

 ここがシカゴだったら聴衆は熱狂したに違いないが、今夜の客もほかの神社の客と同じで手拍子もせず、肩をピクリと揺らすことさえしないで、ただ静かにじっと音楽を聴いていた。

 境内のすみっこで一座の演奏と、聴衆の反応を交互に見比べ、少しだけ腹が立った。

 最高にホットな演奏を目の前にしているのに、ずっと無反応な客に対して腹が立ったのだ。


(こいつらブルースってもんがわかってんのかな?)

 

 もっとも僕だってブルースのことは何にも知らないけれど。

 そんな風にいらだっていると、タン、と涼しげな音が聞こえた。

 コウが叩く太鼓の音だ。

 タン、タン、と冴えた太鼓の音が響くたび、それまで無反応だった聴衆の間にかすかな反応が起きた。

 太鼓の音を耳にすると彼らはひっそりと、慎み深く笑うのだ。

 その笑みを見て確信した。

 聴衆はみんなこの太鼓の音に引かれてここへ集ったのだ。


(同じだ。僕もそうだった)





 深夜零時過ぎ演奏が終ると、集っていた聴衆は無言で帰って行った。

 マダムは彼らに特にお代を要求しなかった。

 僕はお札がぎっしりつまったマダムの財布を思い出し、一座はどうやってあんな大金を稼ぐのだろう? と一瞬不思議に思った。

 それから拝殿と小屋と境内を念入りに掃除し、拝殿と小屋にしっかり鍵をかけると一座は整列し、神社の神様に泊めていただいたお礼のかしわでを打った。

 「ぱん、ぱん」と乾いた音が、暗い境内に小気味よく鳴り渡る。

 体の小さいチーちゃんが打ち鳴らすかしわでの音が、一座の中で一番大きく冴えて響いた。

 そのとき急に夜風が吹いて、拝殿の鈴が小さく「しゃりん」と、鳴った。


「占いは吉です」


 オー姉さんが唐突に宣言する。

 チーちゃん晴れ晴れとした笑みを浮かべ、そばにいたコウも笑った。

 コウの笑顔は初めて見るがそれはちょっと、いや、かなりキュートな笑顔だった。

 それからコウが布袋を差し出し、そこから清めの塩を一掴みすると五郎さんは相撲の横綱みたいに、それを境内へパラリと撒いた。

 そしてもう一度かしわでを打ち、五郎さんは最後に裸電球の灯りをパチリと消した。

 次の神社を目指し、僕らは再び真夜中へと旅立った。





「坊やが荷物を持ってくれるから助かるよ」


 足もとに車輪がついた大きなウッドベースのケースをゴロゴロ引きずり、さらに五郎さんのギターを背中に担いで歩く僕を振り返ってマダムは微笑んだ。


「本当にありがとうね、坊や」


「いえ」


「気持ちいいねえ」


 マダムはきちんと結った黒髪をそっと撫で上げた。


「風に潮の香りがまじっているよ」


 それから二時間ほど歩いて僕らは宇土市を離れ、となりの宇城(うき)市に着いた。

 少し前までここは松橋(まつばせ)と呼ばれていたが、町村合併で名前が変わったのだ。

 僕は体験したことはないが、自分が生まれ育った街の名前が全然別の名前に変わるのは妙な感じがすると思う。

 親が離婚もしくは再婚して自分の名字が変わるのに似ている、と想像したが違うかな?

 その宇城市の住宅街の外れに目指す神社があった。

 前夜と同じように五郎さんは拝殿の格子戸の鍵をあっさりと開いた。

 階段を下りてくる五郎さんの手元を見ると、五郎さんが使ったのは昨日と同じあの細長い鍵だった。

 神社の拝殿の鍵ってどこでも共通なのかな? と内心首を傾げていると、その同じ鍵で五郎さんは拝殿の奥にある小屋の扉も開けた。

 手や顔を洗い、互いに清めの塩を浴びせて少女たちが拝殿に上がると、五郎さんは格子戸と窓の内側に隙間なくぴったり暗幕を張った。


「夏の夜は短いからあんまり歩けないね」


 縁側に出てきたチーちゃんが物足りなさそうに呟く。

 小柄だがチーちゃんは人一倍タフだ。


「坊や、悪いけど今日もこっちで寝ておくれ」

 

 マダムは拝殿の奥にある小屋を指差した。


「はい。おやすみなさい、マダム」


「おやすみ、坊や」


 マダムはすぐ暗幕の向うへ消えた。


「ねえ、坊や今夜はこっちで眠りなさいよ」


「駄目よチーちゃん」


 拝殿の縁側に大柄なオー姉さんと小柄なチーちゃんが並んで立っていた。

 おだやかな口調でチーちゃんをたしなめ、それからオー姉さんはすまなさそうに頭を下げた。


「今夜も一人ぼっちにしてごめんなさいね」


「いいんです」


 二人が拝殿に入ると五郎さんが暗幕から顔を出した。


「じゃあおやすみ」


「おやすみなさい」


 こちらに軽く手をあげ、五郎さんも暗幕の向うに姿を消した。

 まだ拝殿に上がっていない座員は、あと一人だけ。


「……」


 コウは無言で短い階段を登り、暗幕の裾を持ち上げると、拝殿の中に引っ込んだ。

 彼女が着ている赤い浴衣の残像が、しばらく目に残った。

 僕は一人で小屋に向かった。

 もうエアコンのスイッチが入っていて、小屋の中はうっとりするほど涼しかった。

 また闇を手さぐりして天井の裸電球をつけ、砂粒がザラつく畳にあぐらをかいてしばらくの間ボーっとした。

 そしてどうして自分がコウに嫌われているのか、理由を考えた。

 考えたが、わからなかった。


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