第41話 太鼓の音
こうなることはすでに予想していた。
僕は真夜中の十字路で悪魔と契約を結び、その後真夜中の小屋でコウによって儀式を施された。
その結果、どうなったか?
確かに昨夜の僕は吸血鬼としての能力と、悪魔との契約によって得た超絶的なギターテクニックを同時に披露することができた。
しかしあれは病気でいう一時的な発熱に過ぎない。
契約は本来神聖なものだ。
吸血鬼も悪魔も、二重の契約を許さない。
吸血鬼の儀式と、十字路での悪魔との契約にそれぞれこめられた呪力がいわば互いの血清となり、互いの呪力を打ち消しあったのだ。
今の僕は何の特異な能力もない。
その証拠に吸血鬼であるなら聞こえるはずの死者の声が、今はまったく聞こえない。
ただ風の音が空しく耳たぶを打つだけだ。
つまり今の僕は紛れもなく人間だ。
(だからきちんと法の裁きを受けなきゃだめだ)
ギターケース一つを片手に持って森を抜け出し、M町に戻った。
顔と手は森の泉でよく洗ったが、白いTシャツに散った血は洗えなかった。
錆びたシャッターが下りたタバコ屋の前に公衆電話があった。
(あそこから警察に電話しよう)
と思ったが煙草屋の近くに、一面雑草が生えた空地みたいな公園があるのが見えた。
遊具はなく、ただ背もたれのないフラットな木のベンチが置かれている。
僕は警察に電話する前一休みしようと公園に足を運んだ。
ベンチに腰を下ろし、ケースからギターを取り出す。
ケースの底に赤鞘の不知火丸が横たわっているのを確認してふたを閉めた。
爪弾くと、ボロン、と鈍い音がした。
まさに「オイルを差していない自転車」の音だ。
僕は苦笑いしてギターを弾き、歌を歌った。
ビートルズの『イエスタデイ』を歌ったのだ。
つい二週間ほど前まで、この歌にこめられた「失った者の悲しみ」がさっぱりわからなかった。
でも今はわかる。
痛いほど。
ギターを弾く僕の脳裏に、いろんなものが甦った。
マダムのウッドベースの音が聞こえる。
五郎さんの巧みなギターの音も。
オー姉さんの優しい笑顔も見えるし、境内を陽気に跳ね回るチーちゃんの姿も見えた。
拝殿の縁側にうずくまり、『伊豆の踊子』を朗読する自分の声も聞こえる。
そして裸の僕の胸を撫でた、あの子の指先のひんやりとした感触も。
「……」
僕はギターを弾いた。
とても聞いていられないようなひどい音で。
でも満足だった。
何故ならこれは誰の手も借りていない僕の、僕だけの音だったから。
それからしばらくしてギターを弾き終えると近くで、ぱちぱち、と予想もしていない拍手が聞こえた。
音のしたほうを見ると白いワンピースを着た、僕と同い年くらいの少女がいた。
「素敵ですね」
「ありがとう」
Tシャツに散った血をさりげなく隠し、彼女に尋ねた。
「でも僕のギター、下手でしょう?」
「はい」
と素晴らしく素直な感想を漏らした後、少女はいった。
「でも素敵です。夢の中で聞く音楽みたいに、何だか悲しいから。あら?」
少女は森のほうを見ると、耳を澄ませる表情になった。
僕も彼女といっしょに耳を澄ませた。
すると聞こえた。
「タン」という音が。
「太鼓の音ね」
少女はまたじっと耳を澄ませた。
タン、タン、タン、と遠くで鳴る太鼓の音はやむことなく、いつまでも続いた。
(コウだ)
洞窟で叩いているに違いない。
太鼓は鳴り続けた。
太鼓の音はいつものように明るくなかった。
音の末のほうが滲んでいる。
その音を聞きながら、僕はあの親切な、歯のないおばあさんが話してくれた昔話を思い出した。
「昔五家荘にお金持ちの家があり、その家の娘があるお金持ちの息子と親しくなった」
「若者は谷に落ちて死んだ」
「消えた若者を探し求めて、娘は鳥になった。人にオット鳥と呼ばれる鳥に」
おばあさんは皺だらけの口をとがらせて、鳥の鳴き声を真似た。
「オットーン」
コウの太鼓の音は、そのオット鳥の鳴き声のようだった。
タン、タン、と遠くの空で、太鼓の音が陽炎のように滲む。
僕はギターケースを抱え、ベンチから立ちあがった。
「どこに行くの?」
ワンピースの少女が問う。
「山へ」
そう答えてベンチを離れた。
すると少女の叱責するような声が飛んできた。
「今行ったら終わりよ」
「……帝国呪術班って年齢不詳な人が多いね。君本当はいくつ?」
少女は返事をせず、無言で僕を見つめた。
彼女に背を向け、公園から走り去った。
「おめでとう」
走りながら、さっき生首の為朝がいった言葉を思い出した。
「君は今日から、物の怪だ」
(そうさ、僕は物の怪だ)
人の世の外で生きる人外が、法の裁きを求めてどうする?
今僕がやらなければならないことはただ一つ。それは
(コウを守るんだ)
深い闇を孕んだ洞窟は、ひんやりと涼しかった。
まだ吸血鬼の能力が残っていて闇を見通せる。
奥から太鼓の音が聞こえる。
僕は音に向かって走った。
日差しがぎりぎり届かない洞窟の浅瀬にコウがいた。
五郎さんとオー姉さんとチーちゃんもいる。
「……ああ」
コウは太鼓をその場に置いた。
僕は彼女に駆け寄り、抱きしめた。
「またいっしょに儀式をやってくれる?」
「もちろん」
僕の胸に顔を押しつけ、コウは泣いた。
「うれしいね。楽しいね!」
チーちゃんのはしゃぐ声、そして五郎さんとオー姉さんの拍手の音が、洞窟の壁にドラマチックに反響した。
こうして僕らは再び、一つになった。
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次回最終回です。




