第40話 ホワイト・アウト
為朝と僕の鍔迫り合いは長く続いた。
(一座のみんなが洞窟に避難するまで足止めしないと)
と考えていたら汗ばむ頬に、ぺたり、と何か張りついた。
(蝶?)
頬に張りついたのは蝶ではなかった。
灰だ。
日差しを浴びたマダムの体が着物だけ残して白い灰になり、風に舞っていた。
「マダム」
とうめいた瞬間、為朝の膝蹴りが飛んできた。
「ぐえっ!」
僕はお腹を押さえ、大きく後ろに下がった。
「あれ? 君も剣道やるの?」
痛みをこらえて不知火丸を正眼に構える僕を見て、為朝はうれしそうに笑った。
「面白い。剣の覚えがない素人をなますに斬るのも楽しいけど、やっぱりできる人間と斬り結ぶほうが楽しいよ」
「この前野球場のベンチを壊した真空斬りを使わないのか?」
「使わない」
朝日を浴び、いよいよ赤く見える髪を為朝は軽く揺すった。
「術を使ったら僕ではなく草薙剣が君を殺したことになる。そんなの面白くもなんともない。僕は自分の腕で君を殺したいんだ」
為朝はさっきの小屋と同じように、銀色に輝く銅剣を右肩の上に斜めに立てた。
八双の構えだ。
「なあ」
僕は不知火丸の切っ先をまっすぐ向けながら為朝に懇願した。
「僕を斬っていい。でも一座のみんなは見逃してよ」
「断る」
自分の頬に散ったマダムの返り血を、為朝はピンク色の舌でペロリと舐めた。
「僕はもともと一座の連中に恨みがあるんだ。あいつらを見逃すなんてありえない。この先に洞窟があるんだって? 君を片付けたらそっちへ行くよ。
コウを最後に殺す」
為朝はニヤニヤ笑った。
「こっちもさんざん苦労したんだ。あの子にたっぷり苦しんでもらう。まず最初にあの子の牙を抜く。ペンチを忘れたから小太刀で歯茎の肉ごと抉るよ。それから声をあげられないように舌を抜く。僕が素手で引っこ抜くよ。そして手と足の爪を一枚ずつていねいに剥がす。やっぱり小太刀でね」
どこかで小鳥が「チチ」と可愛い声で鳴いた。
「爪を剥いだら指を切る。乳首をつぶし陰核をつぶす。それからコウの頭の皮を剥いであの子の黒髪を記念にもらう。そしてあの子の顔の皮も剥ぐ。生きた人間の皮を剥ぐのは中国人が得意にしてるけど僕もけっこううまいよー。コウは美人だから顔の皮はきっといい記念になる。満月の夜はコウの顔の皮をマスクにみたいにかぶって庭で踊るよ、エド・ゲインみたいに裸でさ。ああ、でも安心して。コウの目は最後までつぶさないから。自分の体がボロボロになってゆくのを、あの子にきっちり見届けてもらう」
「この腐れサディスト!」
罵りながらはっきり実感した。
僕を殺したら為朝は今いったことを、百パーセント確実に実行するだろう。
「ありがとう」
サディストと罵られ、為朝はうれしそうに笑った。
「光栄だよ。僕は人類の歴史の中でマルキ・ド・サド侯爵をもっとも尊敬する。でも自分が侯爵ほど徹底的な快楽主義者でないことが恥ずかしいんだ。なあ」
木漏れ日を浴び、銅剣がチラチラ忙しなく輝いた。
「今の君は人間だけど、一度は吸血鬼になったんだよね? さっき答えを聞けなかったからもう一度聞くよ。どうして君はわざわざ自分の意志で吸血鬼になったんだ?」
為朝の問いに短く答えた。
「あの子に惚れたから」
そのとき銀色の閃光が鋭く僕の目を射た。
為朝がくるりと剣を回して刃の角度を変え、朝日に反射する銅剣の光を僕の両目にまともにぶつけたのだ。
視界は一瞬で真っ白になり、何も見えなくなった。
(白い闇だ)
何の物音も聞こえない。
為朝は猫のように足音を殺し接近してきた。
その姑息な姿が、はっきり見える。
(僕の中に吸血鬼の能力がまだ残ってる)
吸血鬼の目は闇を見通す。
それが白い闇であっても。
為朝はいよいよ大胆に接近した。
間合いに入った瞬間袈裟斬りを放つのは間違いない。
そのとき首筋にピリッと痛みが走った。
剣道部の最後の練習で、友人と思っていた部員に反則まがいの片手突きで咽元を突かれた記憶が不意に甦った。
(あれだ!)
まだ距離は遠い。
為朝は余裕の笑みを浮かべてる。
僕は柄から左手を離した。
それから半身になり、遠い距離から為朝の咽元目がけいきなり片手突きを放った。
「おい!」
こないと思った攻撃が突然飛んできて為朝は面食らった。
それでも僕の片手突きを打ち落としたのはさすがだ。
剣を打ち落とされ、僕はその勢いに乗って半回転した。
回転しながら不知火丸を水平に振るう。
(霞斬りでやつの首を斬る!)
と決意した瞬間、脛に風を感じた。
為朝の意図を察し、僕の逸物はたちまち縮みあがった。
(下からの逆袈裟斬りが僕の股間を狙ってる!)
「もうコウを抱けないぞお! ……あ」
白い闇の中、狂ったように笑っていた美貌の呪術師は急に惑いの声をあげた。
僕も戸惑った。
(くる!)
と覚悟した為朝の斬撃が、何故かこない。
(今だ!)
僕は気合い代わりに絶叫した。
「あの世でサド侯爵と踊ってろ!」
為朝の首に不知火丸の刃を叩きつけた。
手ごたえはなかった。
しかし為朝の首は落ちた。
僕はしばらくの間森の草地に立ち尽くした。
不知火丸のあまりに凄まじい切れ味にショックを受けたのだ。
「……これは」
僕は見た。
足元に落ちた為朝の生首に、大量の白い灰がこびりついている。
為朝はこの灰で視界を塞がれたのだ。
(マダムが僕を守ってくれた)
「なかなか素敵な罵倒だったよ」
為朝の生首は、灰塗れの顔に清々しい笑みを浮かべた。
「おめでとう。法も、道徳も、宗教も、もう君を守らない。
君は今日から、物の怪だ」
それが呪術師為朝の、最期の言葉だった。
視界をおおっていたミルク色の皮膜が取れて、辺りの様子が元通り見えてきた。
すぐそばの木に油ゼミがしがみつき、黒い胴体を震わせ鳴いている。
足元に視線を向けた。
生首の為朝は目を閉じていた。
マダムの白い灰は風に吹かれてどこかに散った。
「ありがとうマダム」
僕は空を仰いだ。
木々の間から、青空でモクモク成長し続ける真っ白な入道雲の巨大な姿が見えた。
そのとき風が吹いた。
血と汗に濡れた僕の体を、風は優しく撫でて通り過ぎた。
しかし昨日の夜まであれほどにぎやかに聞こえた死者の声は、今はまったく聞こえない。
ただ風に騒ぐ木々のザワザワという親しげな音だけ聞こえた。




