第39話 夜明け
宴は明け方の四時ごろまで続いた。
みんな演奏に夢中になりすぎて、危うく夜が明けるのを忘れるところだった。
「これでお開きでございます。みなさんありがとうございました!」
最後にマダムが挨拶し、宴は幕を閉じた。
数百人の聴衆は真夜中の狂乱が夢だったかのように、おとなしく森を去った。
僕らは急いで舞台を清掃し、荷物を片づけた。
「みんな忘れものはないね? じゃ行くよ」
「マダム、もうすぐ夜明けです」
「大丈夫だよ五郎」
ポン、と自分が締めている赤い帯を叩き、マダムは安心しろといいたげな笑みを浮かべた。
「森を抜けたらそこは峠、峠の登り口に大きな洞窟がある。今日は洞窟でゆっくり休もうよ。暗くなってから山へ入ろうね」
「洞窟があるんですか。それなら安心です」
五郎さんはようやくホッと安堵した顔になった。
「洞窟にこいつは置いていくよ」
マダムはウッドベースの大きなケースに目をやった。
「こんな大きな荷物抱えて山は登れないからね」
「捨てるんですか?」
「違うよ坊や」
マダムは僕に目を向けた。
「わたしたちの支援者に山登りが得意な人がいてね。その人にあとで屋敷まで届けてもらうんだよ。オー、コウ、あんたたちも楽器は洞窟に置いていきな」
「はい」
「はい」
「わたしは持ってく!」
チーちゃんは右手に持った茶色い鞄を元気に振った。
「山に着いたらすぐブルースハープを吹いて山鳥と合唱するんだ!」
「この子は毎日それいってるねえ。ま、好きにおし。五郎」
「はい?」
「今度の旅で、あんたが一番がんばってくれたね。さすがはわたしが見込んだ男だよ。五郎、本当にありがとう」
「ありがとう、五郎さん」
「ありがとう」
「ありがとう」
「ああ、いえ……」
マダムを始めコウやオー姉さん、それにチーちゃんにもお礼をいわれ、照れ臭いのか五郎さんは素早くうつむき、長髪の暖簾に顔を隠してしまった。
マダムは僕にも声をかけた。
「坊や、あんたにも礼をいうよ。もしあんたと出会わなかったら、わたしたちここまでこれなかった」
「宴は成功しましたか?」
「大成功だよ! あれほどの数のお客さんが、全員のりにのってたからねえ。みなさん凄いエネルギーを発散してた。こんな宴は初めてだよ。おかげで私たち、あと百年は栄養を取らなくてすむ……」
笑みを湛えたマダムの顔が、そのとき突然氷が滑るように、ツーッと横へずれた。
「え?」
一瞬何が起きたのかわからず、僕はその場に棒立ちになった。
するとマダムの顔があった空間のその向こうで、赤い髪が風にそよぐのがちらりと見えた。
「みんな逃げろ!」
「マダム!」
僕の声とコウの悲鳴が暗い森に同時に響いた。
ボソッ、と鈍い音を立ててマダムの首は草地に落ちた。
コウはその首を咄嗟に拾い上げようとした。
すると地面に落ちたマダムの生首が、カッと目を見開いた。
「お逃げ」
「こっちだ!」
五郎さんに促され、一座のみんなは素早く森の奥へ逃げた。
「待て」
首筋から血を流した為朝は、集団の一番後ろを走るコウの赤い浴衣目がけて草薙剣を振り下ろした。
僕は背中のギターを下ろすと不知火丸の赤鞘を払い、草薙剣を受け止めた。
刃と刃がぶつかった瞬間摩擦の青い火花が鼻へ飛び、同時に太刀を持つ手ではなく首に「ズシン」と衝撃が走った。
僕も十年剣道をやっているがこんな衝撃は初めてだ。
「君、噛みかたが甘いよ」
首筋から大量に血を流し、白い着物を朱に染め、しかし為朝は蒼ざめた顔に薄笑いを浮かべた。
恐るべきことにこんなときにあっても、為朝はなお美しかった。
「早くこっちへ!」
「くるな!」
剣を受け止めたまま振り返り、こちらへ戻ってこようとするコウに大声で叫んだ。
「逃げろ!」
「でも!」
「たいへん!」
そのときチーちゃんが叫んだ。
「夜明けだよ!」
チーちゃんは僕と為朝の頭越しに森の彼方を指差した。
僕はチーちゃんが指差す方向に目をやった。
すると為朝の頭越しに見えた。
森を明るく照らす木洩れ日が。
木漏れ日は太い槍のように闇を貫き、一本、二本、三本と見る見る数を増やしこちらへ迫ってきた。
まさに光の高潮だ。
「ヤバい!」
僕はみんなに向かって怒鳴った。
「早く洞窟へ!」
そのときだ。
まったく予想もしていなかった角度からいきなり木漏れ日が差してきた。
風に吹かれた老木が、一夜の眠りを邪魔された意趣返しをするように、突然枝を開いた。
斜めに差してきた木漏れ日は、すぐ目の前にある草薙剣を目に痛いほどギラリと輝かせた。
気がついたときにはもう僕と為朝は木漏れ日の円柱の中に、完全に包まれていた。
朝の光に全身を照らされ、しかし僕は、
「……何だよ?」
拍子抜けした口ぶりで、為朝は僕にいった。
「君は日の光を浴びても死なないのか?」
「人間だ!」
僕の背後で、五郎さんが驚愕の叫びを上げた。
「彼は人間だ! 我々のような吸血鬼ではない!」
「そんな、だってわたしと儀式を……」
「人間なんだ! あれを見ろ!」
朝日を浴びても平然としている僕を指差し、五郎さんは断言した。
「彼は人間だ! 山へは連れていけない!」
五郎さんはコウの手を引き、木立が一際深い場所へと走り去った。
オー姉さんとチーちゃんの姿はもう見えない。
森の闇に駆け込むとき、コウは一度だけ振り返った。
でも振り返ったときすでに彼女は遠く離れていて、その表情はよく見えなかった。




