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太鼓の少女  作者: 森新児
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第38話 サバト

 一座の演奏が始まり、僕はギターを鳴らした。


「オオッ!」


 数百人の聴衆が波のように大きく揺れどよめく。

 みんなギターの音に興奮していた。

 僕は本気でギターを弾いた。

 十字路で悪魔と契約して手に入れた超絶技巧を、遂に全開で駆使したのだ。

 五郎さんがカッと目を剥き、一座のほかの者も驚異の目でギターを弾く僕の手元を見つめた。

 クロスロードで僕がすでに悪魔と契約を済ませていることを一座のみんな、特にコウに知られたくなかった。

 だから今日までわざとギターを下手に弾いてごまかしてきた。

 だが今夜だけは、もう手心を加える必要は一切ない。

 何故なら僕は今夜のために、十字路で悪魔と契約を結んだのだから。



 一座はこれから完全に人里を離れて山へ入る。

 その前に彼らは宴を開き、人々を音楽で酔わせ、高揚した聴衆が放つエネルギーを栄養としてたっぷりいただく計画を立てていた。

 しかし僕はひそかに


「彼らの希望どおりにいくかどうかわからない」


 と、危惧していた。

 一座の奏でる音にはブルースに相応しい倦怠感や疲労感がいつもありありと宿っている。

 それが彼らの生々しい魅力で、さらに驚くべきことにその音色には宗教的な敬虔さまで宿っていた。

 その敬虔さこそ「たましずめの儀」ですべての死者を眠りにつかせる彼らの鎮魂能力の源となるものだった。

 しかし退廃や敬虔さのほかに、彼らの奏でる音楽には一つだけ音楽に絶対必要な「あるもの」が欠けていた。

 悪魔的な響きがないのだ。

 妖怪が奏でる音楽なのに。

 邪悪な閃きがないものに、人間は完璧に酔うことはできない。

 皮肉なことに吸血鬼である彼らは、人間の心にひそむ邪悪なものへの嗜好をまったくわかっていなかった。


「闇に光は見えませんが、光に闇は見えます」


 最初に僕と出会ったとき、五郎さんはマダムにそういった。

 それは確かにそうかもしれない。

 しかし僕はあえて五郎さんにもう一つの逆説を示したかった。


「光は必ず影を落とす。光が落とす影は純粋な闇より深い。そして光に照らされた世界が、闇に包まれた世界より美しいとも限らない」


 という逆説を。

 一座のみんなは闇の世界や死者の心にとてもよく通じている。

 が逆に明るい世界の猥雑(わいざつ)さや、そこに生きる人間の心に巣食う途方もない残酷さに、驚くほど無知だった。

 要するにみんな優しすぎるのだ。

 もしこの最後の宴で聴衆を存分にのせられず、予定していたエネルギーを摂取できなければ、彼らは山で飢え死にしてしまう。

 或いは山で飢えた彼らは新たな餌を求めて平地へ降り、荒れ狂った挙句為朝のような呪術師の手にかかって殺されるかもしれない。

 僕はM町にくるまで宴のことは知らなかった。

 しかし前々から一座が奏でる音楽に、聴衆を満足させる邪悪さがないのが気になっていた。

 ひょっとしたらこの弱点が彼らの致命傷になるかもしれない、と思った。

 だから真夜中の十字路で悪魔と契約を結んだ。

 彼らの音楽に邪悪さというスパイスを加えるために。



 いつか為朝がいっていたが、妖怪はただ本能があるだけだ。

 妖怪に道徳はなく、だから邪悪さもない。

 たぶん悪は道徳と血を分けた兄弟だ。



 ヒノキ舞台で、思う存分ギターをかき鳴らした。

 ズシンと地響きがして、風に吹かれる枯れ葉のように舞台が震えた。

 数百人の聴衆が音楽に合わせて肩を揺らし、足踏みをして大地を揺らした。

 それは今までの一座の演奏でまったく見られなかった、ダイナミックな聴衆の反応だ。

 僕のギターに興奮し、拳を振り上げる聴衆の目が獣のように青く光っている。

 その目を見てようやく悟った。


(そうか、宴ってサバトのことなんだ)


「坊や!」


 興奮ぎみに声をかけてきたマダムの目も冴え冴えと青く光っている。

 マダムはもう自分の獣性を隠そうとしなかった。

 オー姉さんやチーちゃん、五郎さん、そしてコウの目も、青く光っている。

 そしてもちろん、この僕も。

 一座はみんな笑っていた。

 いつも彼らが浮かべる優しい笑みと違う、凄惨な笑顔だ。

 僕のギターが奏でる音の邪悪さが、ウイルスのように彼らに伝染した。

 狂気の笑いを頬に浮かべ、マダムは僕にいった。


「坊や、歌っておくれ!」


 マイクを使わず、僕は夜の森に向かって「肺活量のありったけをしぼって」マザー・グースをシャウトした。


「ねんねんころりよ きのこずえ

 かぜがふいたら ゆりかごゆれる

 えだがおれたら ゆりかごおちる

 あかちゃん ゆりかご なにもかも」


 「ひゅう」と聴衆が鋭く口笛を鳴らし、空地を囲む森の木々がドッと不気味な音を立てた。

 生者とともに、今は風となった死者もまた興奮していた。

 そのとき僕の目の端でひらり、と何かが閃くのが見えた。

 黒いコートの裾がひるがえったのだ。

 僕はそちらに目を向けなかったが、「それ」が何だかよくわかった。

 「それ」は僕だけに見える存在だ。

 ギターを弾きながら声を出さず、心でそいつに呼びかけた。


 やあ十字路で会って以来だね


 すると「それ」も自分がかぶっている山高帽のひさしを軽くつまみ、僕の心に直接声をかけてきた。


 いいぞ坊や

 素晴らしい


 わざわざ森の能舞台まで僕のギターを聞きにやってきた悪魔はそういうと、満足そうにニヤリ、と笑った。

 改めて舞台のすみを見た。

 すると誰もいない。

 演奏する仲間たちを振り返った。

 コウは黒髪を振り乱して太鼓を叩いていた。

 その音に、いつもの朝陽のような爽やかさはなかった。

 ただ熱狂があるだけだ。

 嵐の勢いで太鼓を叩くコウは赤い浴衣の裾が乱れ、日に当たらない真っ白な太腿があらわになっていた。

 今夜の彼女はそれを気にするそぶりなど微塵もない。

 白いベルトをたすきがけにして自分の上半身を厳しく縛り、獅子舞いのように長い黒髪を振り乱して太鼓を叩く彼女の姿はセクシーで美しかった。

 炎の衣装をまとった獣のように。

 僕の視線に気づくとコウは笑った。

 目を青く光らせて。

 僕も笑った。



 五郎さんは指先から血を流しギターをかき鳴らした。

 いつもの五郎さんの演奏は腕が四本あるように聞こえるが、今夜の五郎さんは腕が六本あるように聞こえる。

 オー姉さんもチーちゃんもマダムも狂気の笑みを浮べ、休むことなく熱狂的に楽器を鳴らしている。

 それは間違いなくサバトの夜だった。

 犠牲の子羊は為朝という絶世の美少年で、この暗黒の宴を司る祭司が僕だ。

 僕はギターを弾き、叫ぶように歌を歌った。 

 能舞台の板の上で、僕らはいつしか音楽的な色んなセオリーを忘れて滅茶苦茶に演奏した。

 聴衆は野原で何か大声で叫びながら、着ている服を自ら引き裂き、好き勝手に飛び跳ね、あちこちで殴り合い、愛し合い、そして風となった死者たちも狂ったように荒々しく森の老木を揺さぶった。

 風に興奮し、森の鳥や獣も大声で騒いでいた。

 生者も死者も獣も妖怪も、森にいるすべての存在が熱狂していた。

 こうしてサバトの夜は、いつ果てるともなく続いた。


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