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太鼓の少女  作者: 森新児
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第37話 風とともに

「坊や」


 森の小屋で為朝と対決する前のことだ。

 一人で能舞台から去ろうとする僕にマダムがいった。


「やっぱりわたしもいっしょに行くよ」


「僕も行こう」


「あたしも!」


 五郎さんとチーちゃんも前のめりになる。


「いえ」


 能舞台前の地面にしゃがみ、絶対脱げたりしないよう慎重にシューズの紐を結びながら、僕はすっかり鼻息が荒くなった一座の態度に苦笑した。


「集団で行ったらかえってバレます。それに呪術師たちは僕が絶対大人に逆らわない、今時の従順ないい子だと思ってます」


 トントン、と靴の爪先を地面に打ちつけ、脱げないことを確認すると僕はニッコリ笑った。


「そこが狙い目です。では行ってきます」


 コウはオー姉さんに肩を抱かれ、震えていた。

 僕はコウとみんなに手を振り、能舞台から去った。





 夜の森は、明るかった。

 松も(もみ)も月の光に輝いている。

 地面に生えた雑草は夜露に濡れ、その濡れた体で掬うようにして月の光をまとうと、かすかな上にもかすかな燐光を僕のシューズへそっと投げていた。

 以前はまるで見えなかったそんな足元の微細な光が、今はくっきり見える。

 夜の森は明るく、美しかった。

 昼間の太陽に照らされたときよりも、遥かに美しい。

 太陽の強すぎる光が、木や草が湛える淡い表情や陰翳(いんえい)を潰してしまうことを、僕はその夜初めて知った。

 草花がもっともくつろぎ素顔を現すのは、だから昼ではなく夜なのだ。

 夜の森はにぎやかでもあった。

 鳥が鳴き、今まで聞こえてこなかった虫の鳴き声、それに風の声も僕の耳によく聞こえた。


「こんばんは」


「こんばんは」


 僕は風に挨拶しながら森を歩いた。

 森に吹く風は死者の声で僕に挨拶した。


「こんばんは」


 風が死者の声を運んでくるのではない。

 風そのものが死者の生まれ変わりなのだ。

 儀式を終えた今、僕はそのことがよくわかる。


「こんばんは」


「こんばんは」


「ねえ」


 何か歌ってよ、と小さな女の子の声で風がいう。


「これから宴をやるんだ」


 僕は自分についてくる風たちに告げた。


「たくさん歌うからみんなついてきなよ」


「行くわ」


「うん、行くよ」


 風が一斉に僕にまといつき、すでに眠っていた大人しい老木が困惑した表情でザワザワ枝を鳴らした。

 声をかけてくるのは子供の死者ばかりだった。

 きっと僕も子供だから安心するのだろう。

 その風の群れに背中を押されるようして森を歩き、あっという間に開けた場所に出た。





「おかえりなさい」


 照明がぼんやり灯った能舞台裏側の縁台に立ち、一座のみんなは僕が帰ってくるのを待っていた。

 みんな笑顔だ。


「ただいま」


「みなさんお待ちかねだよ、坊や」


 マダムにそういわれて僕は舞台の裏からそっと顔を出し、客の入りを確認した。


「おお……」


 驚いた。

 ま四角な舞台の正面に、数百人の聴衆が集まっている!

 今まで見たことない人数だ。

 聴衆の多さに圧倒され呆然としていると、コウがどこかから(おけ)とタオルを持ってきた。


「何だい?」


「血を」


 そういわれてコウが抱えた桶を覗き込んだ。

 張られたお湯に映った僕の口元は、血にまみれていた。

 慌てて顔と手を入念に洗った。

 白いTシャツにも血が飛び散っているがこれを洗う時間はない。

 靴を脱いで裏口の階段を登り、そこへ不知火丸を置いた。


「この刀はどうしたんだい?」


「呪術師のプレゼントです」


 僕はコウに渡されたギターを抱え、ストラップを肩にかけながらマダムにいい加減な返事をした。


「そうかい。あいつらも粋な真似をするねえ。みんな、用意はいいかい?」


「……」


 マダムの問いかけに、一座のみんなは無言で頷いた。


「じゃあ最後の宴を始めるよ。みんな派手におやり! 開けな」


 マダムに促され、オー姉さんは舞台の表と裏を仕切る戸をサッと開いた。

 舞台に設置された照明に照らされた瞬間、聴衆のどよめきが鼓膜をドッと打った。


(すげえ)


 改めて聴衆の多さにビビりながら、舞台の中央に立った。

 一座の楽器はすべてアコースティックでPAは一台もない。

 しかしさっき舞台でギターを一鳴らしして確信した。


(能舞台の音響設計は完璧だ。これなら僕らの音がみんなに聴こえる)


 僕の右側にオー姉さんとチーちゃんが立った。

 それがいつも通りの二人のポジションだ。

 左側に五郎さんがいる。

 五郎さんは今夜は安っぽいパイプ椅子ではなく、座るところが畳になっているやや横長な和椅子に腰かけた。

 マダムは僕のうしろに立った。

 マダムと五郎さんの間にコウがいる。

 僕はコウを見た。


「……」


 コウは笑顔で頷いた。


「じゃあ坊や」


 闇を震わせ、マダムがいった。


「やろうか」


「はい!」


 僕はコウに目頭で合図した。


「ワン・トゥ」


 カチ・カチ、とコウがドラムスティックでカウントを取る。

 こうして最後の宴が始まった。


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