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太鼓の少女  作者: 森新児
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第36話 不知火丸

 夜がきた。

 宴の夜が。

 日が落ち、さらに三時間ほどして僕は能舞台を離れ、一人で森の中を歩いた。

 夜のセミが鳴いている。

 通りかかると、セミは小便をして幹から飛び立った。

 セミが飛ばしたわずかな小便に月の光が宿り、それがガラスの破片のように光った。

 森は広かった。

 M町が五つすっぽり入るほど広い森で、深い木立の中にきこりや獣がつけた細い道があった。

 僕はその細い道を離れ、木々が藪のように密集している場所を歩いた。



 ずいぶん長い時間歩いた。

 すると深い木立が不意に開け、目の前に一軒の小屋が現れた。

 足元を見た。

 白い塗料で地面に線が引かれている。

 描かれているのは五茫星のしるしで、小屋は星の真ん中に建っていた。

 それは為朝たち呪術師が使う忍び小屋だった。

 彼ら呪術師はこういう人に知られていないアジトを全国に持ち、ひそかに活動しているらしい。

 前もってくわしい場所を聞いていなかったら、町よりも広くて木立も深い森の中でこの小屋を見つけることは絶対に不可能だ。

 地面に交差する白い線がランニングシューズに触れないよう慎重にまたぎ、小屋に近づいた。

 扉にも白い塗料で五茫星が描かれている。

 扉をノックする直前焼けつくような、異様な咽の渇きを覚えた。

 口の中もカラカラに渇いている。

 口蓋に張りつく舌を剥がし、小声で呟いた。


(あんめんじんす)


「どうぞ」


 ノックするとすぐ中から為朝の声が聞こえた。

 扉を開いて中へ入ると、かさり、と乾いた音がした。

 何かが僕の頭に触れたのだ。

 見上げると人の形に切り抜かれた紙の形代が、クリスマスツリーの飾りのように天井からたくさん吊り下げられていた。


「遅かったじゃないか」


 大きな革椅子に一人悠然と腰かけた為朝は僕に笑顔を向けた。

 しかし明らかに苛立っている。

 彼の周りに四人の屈強な呪術師がいた。

 この小屋で襲撃前の最後の打ち合わせをするのだ。

 白い着物に青い袴というおなじみのいでたちの四人の呪術師は、その手にすでに黒鞘の太刀を携えていた。

 為朝の一族が代々呪力をこめたという、魔物を切る神刀だ。


(お?)


 僕は一人の呪術師が携えた太刀に目を止めた。

 この人の刀の鞘だけ派手な赤い色なのだ。

 華やかな色彩に目を奪われながら、為朝にいいわけした。


「宴の準備で忙しかったんだ。これは?」


 天井を指差す僕の声は、ややかすれていた。


「用心さ。物の怪が接近したら反応する。さあてと」


 為朝は一つ大きく伸びをした。


「宴が始まるまであと一時間か。退屈だな。面倒だからいっそのこともうやっちゃおうか。ところで君」

 

 天井の形代をつまらなさそうに見上げ為朝がいった。


「昨日の夜はどうした? コウが一晩中道端に立っていたようだけど……」


 そのとき、ゴトリ、と小屋の床に何かが倒れる鈍い音がした。


「ん?」


 為朝がそちらを見ようとしたとき、室内に吊るされたたくさんの形代が突然


 かさかさ


 と、騒ぎ始めた。

 静かだった小屋の中は、葉を食む(かいこ)を養殖する蚕棚が置かれたかのように、急ににぎやかになった。

 椅子に座ったまま、為朝は呆れたように頭上で騒ぐ形代を見つめた。

 するとその騒ぎが、不意にぴたりと止んだ。

 静かになり、それから為朝はさっき鈍い音がした床へ目をやった。

 小屋の床に四人の呪術師が倒れていた。

 呪術師は四人とも、首から血を流していた。


「ふうん」


 拳で口元の血をぬぐう僕を見つめ、為朝はゆっくり立ち上がると手にした剣の革鞘を払った。

 僕は為朝の斬撃にそなえ、大きくうしろに飛びさがった。

 僕らの間に四人の呪術師が倒れている。

 二歩前に出た為朝が銅剣を頭上にかざすと、銀の輝きがギラギラ威圧するように僕の目を射た。

 するとその銀の輝きが、素早く斜めに振り下ろされた。


「やめろ!」


 咄嗟に叫んだが為朝の手は止まらない。

 草薙剣を振り下ろし、為朝は床に倒れていた一人の呪術師の首を斬り落とした!

 まだ息のある呪術師の首を。

 それから為朝は顔色ひとつ変えずまた片手で剣を振り、二人の呪術師の首を次々斬り落とした。

 二人の呪術師も、まだ生きていた。

 二人の首を斬り落とすとき、料理でキャベツのかたまりを二つに切るときのように「ザクッ」と小気味のいい音がした。


「何故殺す!? 身動きできなきゃそれでよかったんだぞ!」


 僕の質問に答えず、為朝は再び剣を振り上げた。


「よせ!」


「た、助けて……」


 最後の一人、あの赤い鞘の刀の持ち主は命乞いしながら自分の頭を手で覆った。

 為朝は構わず銅剣を振り下ろした。

 かざした手指を十本とも切り飛ばされ、最後の呪術師の首も床へ落ちた。

 首が落ちるとき「ゴトン」と重い音がして、指が落ちるときは「パララ」とピアノの鍵盤を叩くような軽やかな音がした。


「我が一門の者が吸血鬼なんぞにやられたとあっては末代までの恥」


 淡々とそういうと、為朝は片手で剣を振った。

 刃から盛大に血が飛び散り、それが壁に当たって夕立みたいに涼しげな音を立てた。

 血の雫は僕の頬も打った。

 長く舌を伸ばし、僕は自分の頬にしたたる血を舐めた。

 血を舐めるとき、舌が牙に触れた。

 血に濡れた牙は冷たくて甘かった。


「物の怪め」


 不浄なものを見た、といいたげに美しい顔を大仰にしかめ、為朝はそれから両手で剣の柄を持った。

 剣を右肩へ高く抱え上げ、刃を斜め上にかざす。

 八双(はっそう)の構えだ。

 僕も十年間剣道をやっていたからわかるが、これは現代剣道ではあまり見ない構えだ。

 防御を考えない攻撃的な姿勢ともいわれている。


(草薙剣は重いから八双の構えがもっとも剣を扱いやすいのかな?)


 と考えていると為朝が口を開いた。


「一つだけ質問していいか」


「何だよ」


 為朝は笑みを浮べた。

 神聖な剣の輝きより、もっと輝かしく美しい笑みを。


「何故自らの意志で吸血鬼なんかになった? メリットは?」


 メリットなんて言葉を使う人間に話してもしようがない、と思ったとき、僕のまぶたを銀色の輝きが打った。

 為朝がいきなり草薙剣を振り下ろした!

 剣の尖端が天井から吊るした形代を払い、ぱさり、と乾いた音がした。

 僕は深く腰をかがめ、一気に飛んだ。

 床に落ちた呪術師の四つの生首は、どれもカッと目を見開いていた。

 開いたその目に、宙を飛ぶ僕の姿が魚影のように閃いた。

 そのとき天井から吊るした形代が、また一斉に、かさかさ、と騒ぎ出した……





 一人で小屋の外へ出ると、室内で騒いでいた形代はたちまち静かになった。

 焼けつくような咽の渇きや、口の中に伸びていた牙が、いつの間にか消えている。

 外に出てすぐ深々と、森の空気を吸った。

 殺気と緊張ですすけていた食道や肺が、いっぺんに爽やかな緑に染まる。

 そのとき気づいたのだが僕は一人の呪術師が持っていた、あの赤鞘の太刀を右手に携えていた。

 知らぬ間に勝手に持ってきたのだ。


(やべえ、返さなきゃ)


 と、思ったが、床に倒れている為朝の姿を見るのが厭で結局小屋へ引き返さず、そのまま太刀を携え森を歩いた。

 歩きながら太刀を見たら、赤鞘に銘が刻まれていた。


不知火丸(しらぬいまる)……この土地の刀かな?」


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