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太鼓の少女  作者: 森新児
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第34話 儀式

 コウが祈りを添えたお地蔵から遠く離れた田んぼの脇に、その小屋は建っていた。

 ゴッホの有名な絵『馬鈴薯(ばれいしょ)を食べる人たち』に描かれた、貧しい農夫一家が中で食事しているような、そんな古くて粗末な小屋だ。

 扉を探ると鍵はかかっていない。

 静かに開き、夜目が利くコウが中を覗く。


「……誰もいないわ」


 彼女に続いて小屋へ入り、静かに扉を閉めた。

 中へ入ってすぐ、ツンと酸っぱい埃と(かび)の匂いが鼻をついた。

 どうやらそこは農具置き場であるらしく、真っ暗で僕にはさっぱりわからないが、いろんな農具が雑然と置かれているようだった。

 コウに手を取られ、小屋の中を歩いた。

 すると暗闇の奥のほうで、湖面のようにぴかりと何かが光った。

 横並びに二枚敷かれた畳が、天井から洩れてくるわずかな月の光に照らされている。

 ここで着替えたりするのだろう。

 靴を脱いで僕とコウは畳へ上がった。



 小屋の中は怖いほど静かだった。

 周りに人家はまったくないが、もし通行人に見られたらまずいので、僕らは小屋の明かりをつけなかった。


「見える?」


 畳に座るとすぐに闇の向こうからコウが声をかけてきた。


「何も見えないね」


 僕は首を振った。

 首を振ると、柔らかい布のように闇が肌にまとわりついてくる。すると


「目を閉じてじっとしていて」


 コウにいわれて目を閉じた。

 僕のまぶたに、コウは指先で何か塗った。


「何を塗ったの?」


「ごめんなさい。わたしの唾を塗ったの。もうしばらく我慢して……どうぞ」


 ゆっくり目を開いた。

 すると闇がぼんやりと、青っぽく明るく見えた。

 コウはすでに赤い浴衣を脱ぎ、裸で畳に座っていた。

 女性の裸を間近に見るのは初めてだ。

 コウの乳房は意外に大きかった。

 彼女の裸の体が、天井から洩れてくるわずかな月の光をベールのようにまとい、ぼんやり青く滲んでいる。

 僕も自分のTシャツとジーンズを脱いで裸になった。

 自分の貧弱な、痩せっぽちの体を見られるのは厭だったがコウは


「素敵よ」


 と、いってくれた。


「本当にいいの?」


 裸のコウが、うつむいたまま訊ねる。


「うん。ていうか君とでなきゃ嫌だ」


「そうじゃなくて本当に儀式を受けてもいいの? 儀式を受けたら、あなたはもう……」


「いいよ」


「ねえ」


 コウは怒った。


「そんな簡単にいわないで」


「いいんだ。大切なことは軽率に決める。それが我が家の家訓だから」


 僕の言葉を聞いてコウはあきらめたように静かにほほ笑み、畳に横になった。

 僕は彼女に覆いかぶさった。


「僕は」


「ええ」


 緊張でかすれる僕の声を聞くとコウは目を青く光らせ、優しく笑った。


「何?」


 コウは指先で僕の胸をそっと撫でた。

 彼女の指から伝わる心地よい冷たさが、火照った胸に蛍火のように涼しい尾を引く。


「僕は、儀式って、血を吸ったりするんだとばかり思ってた」


「大切な人にそんなことしないわ」


 今度は僕の頬を撫で、囁くようにコウはいった。


「大切な人とすることは、人間も妖怪も、同じよ」


「そっか……聞きたいことがあるんだけど」


「何?」


「五郎さんだけどさ」


 僕はさっきから疑問に思っていたことを口にした。


「五郎さんもこの儀式をやったんだよね? そのとき五郎さんの相手をしたのは誰? オー姉さん? それともチーちゃん? それともまさか……」


 君? といおうとすると、コウがクスクス笑い出した。


「違うわ。五郎の儀式の相手をしたのはマダムよ」


「マダムが?」


 でもマダムって本当は男じゃなかったっけ? と新たな疑問を口にしようとして、やめた。

 きりがないし、それに何だか色々ややこしいことになりそうだから。


「さっきのおばあさんの話」


 すると下から僕の顔を見つめて、コウがいった。


「オット鳥の話、とっても寂しい話だったわね」


 コウはさっきおばあさんがそうしたように唇を少しとがらせ、鳥の鳴きまねをした。


「オットーン」


「……」


 僕の胸に、寂しさが落ち葉の波紋のように柔らかく寄せてきた。

 ザワザワ胸を騒がせながら、コウにキスした。

 唇を重ねると、彼女のほうから舌を絡めてきた。

 コウの唇は薄く、舌はそれとは反対に厚かった。

 それから僕は彼女の体に触れた。

 いつだったか浴衣越しに触れたときと同じように、コウの体は柔らかく、そして冷たかった。

 意外に張った肩の肉も、乳房も、脇腹も、太腿も、体のあらゆる部分が棚の奥で忘れられた陶器のように、ひんやりとした寂しい冷たさを宿している。

 でも肌を重ねているうちにそれは暖かくなり、やがて熱くなった。

 熱くなってくると陽射しを浴びない彼女の真っ白な肌は、内側から薔薇色に染まった。

 彼女の長い黒髪が畳にこすれてサラサラと川のせせらぎのような音を立てた。

 その黒髪がいつかのように、陽射しに暖められた甘い果実の匂いを闇に放った。

 僕らは性交した。

 暗がりに、天井の隙間から洩れる月の光が、細い柱のように何本も差していた。

 鼓膜を圧するほど静かだった小屋に、やがてコウの声が潮騒のように満ち、その声の振動で青い光の柱がふらりと揺れた。


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