第32話 オット鳥
陣太鼓を食べ終えた僕らはおばあさんがいれてくれた熱いお茶を啜りながら、色々お話した。
おばあさんの言葉をコウがほとんど理解できないので通訳した。
「おばあちゃん、お子さんは?」
「男の子が二人いるけど、二人とも都会に出たっきり帰ってこないって」
「お孫さんは?」
「全部で五人いるけどこの家には一度もきたことないって」
「まあ。ご主人は?」
「十年前イノシシの牙に引っかけられて亡くなったって」
「まあ! そのイノシシはどうなったの?」
「……おばあちゃんが猟銃で撃って殺したって」
「凄い」
それからおばあさんは歯のない口をモゴモゴさせて、今度は僕に質問した。
「何?」
「僕と君は兄弟かって」
「違うわよ、おばあちゃん」
コウは笑って手を振った。
「わたしたち兄弟じゃないわ」
するとまたおばあさんが、ヒソヒソ何か囁いた。
「何?」
「……じゃあ恋人なのか、だって」
そこで声を失い、コウはうつむいてしまった。
「……」
「何?」
「おばあさんが子供のころ、自分のおばあさんに聞いた話だって」
歯のない口をモゴモゴさせて、おばあさんが急に熱心に語り始めた昔話を僕はコウへ伝えた。
「五家荘の山にはオット鳥と呼ばれる鳥がいるそうだよ。昔五家荘にお金持ちの家があって、その家の娘がやはりあるお金持ちの家の息子と親しくなる。二人は山へ遊びに行く。すると若者の姿が急に見えなくなる。どうやら谷に落ちて死んだらしいんだ」
「まあ」
コウは手で口元を覆った。
おばあさんは口をモゴモゴさせて続きを語った。
「娘は若者を探し続ける。日が暮れ、夜になっても探し続けて、娘はとうとう鳥になる」
僕がコウにそんな話をしていると、おばあさんが不意に皺だらけの口元を突き出し、声を上げた。
「オットーン……」
おばあさんが声を上げた瞬間、夏の空気に宿る山の冷気と、山の娘の孤独をありありと感じた。
「……そういう声で鳴く鳥だから、里の人にオット鳥と呼ばれているって。鳴き声の末のほうがかすれて、とてもあわれな声だって」
そこでおばあさんの昔話は終り、僕らはしばらくの間黙り込んだ。
と、そのときラジオから軽やかな笛の音とともに「トントン」と、和太鼓の音が聞こえてきた。
古い歌謡曲がかかったのだ。
それは美空ひばりの『越後獅子の唄』という曲だった。
山が近いせいか受信状態が悪くてラジオはときおりパチパチひずみ、曲自体がモノラル録音なので水に漬かっているみたいに、音はぼんやりこもっていた。
しかしそれでも天才少女歌手と評された十三歳の美空ひばりの歌声の凄さは明らかだった。
コウの反応は強烈だった。
少女歌手の歌声が流れてくると、コウは一瞬カッと青く目を光らせた。
それから彼女は全身を耳にしてラジオの歌声に聞き入った。
越後獅子とは旅芸人の代表的な芸の一つである。
大人が鉦や太鼓を打ち鳴らし、それに合わせて獅子の頭をかぶった子供が曲芸を演じるのだ。
彼らは一軒ずつ家を回って芸を披露し、人々から小銭を恵んでもらい生計を立てた。
先日僕が読み終えた『伊豆の踊子』にもこんな場面がある。
旅芸人の一行が目指す下田の海が近くなったころ、途中の村の入口にところどころ立札が立っている。
立札にはこんな文字が書かれていた。
『物乞い旅芸人村に入るべからず』
越後獅子とはそんな風に、人々から差別の目で見られる芸能集団であった。
「……」
おばあさんは口をモゴモゴさせて、ラジオから流れてくる曲に耳を澄ませていた。
たぶんこの曲は戦後すぐに発表されたと思うが、おばあさんはそのころの、まだ若かった自分の姿を思い出しているに違いない。
そしてコウもまた思い出しているはずだ。
津波で東北の巣を失い、それからここへ辿り着くまでのつらく、苦しい旅路のすべてを。
いやそうではなくて、時空を超えた、もっと圧倒的に長い自分の人生の旅路を、彼女は回想しているのかもしれない。
その旅路は、血にまみれている。
あるときは逃げ、あるときは襲い、一筋の光も差さない漆黒の闇をひたすらさまよう暗黒の日々。
信じられるのは少数の仲間と、迫害と差別によって厳しく鍛えられた音楽の技量と、祈りの業だけ。
しかもその祈りはただ他人を静かに眠らせるだけで、自分自身の安らかな眠りにはつながらない。
孤独な旅だ。
永遠に夫を探し求めるオット鳥のように孤独だ。
しかしそんな彼女の苦しい旅も、もうすぐ終る。
終るかもしれない。
するとラジオでまた「トントン」と、太鼓が鳴った。
それを聞いてコウはとうとうポロポロと、大粒の涙を頬へ零した。
おばあさんがハンカチで涙をふいてやると、コウはおばあさんの手を取り、うつむいたまま声を出さずに泣いた。
おばあさんは何もいわず、しみだらけな肉の薄い手で、彼女の頭をそっと撫でた。
「……」
声を出さずに泣いているコウを見て、僕はやっと決心した。
(そうさ、この子は妖怪だ。吸血鬼だ。でも
それが何だっていうんだ)




