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太鼓の少女  作者: 森新児
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第31話 陣太鼓

 野球場で為朝と会った日の夜だった。

 一座は今夜もM町を流して歩いた。

 今夜神社での演奏が終ったら町を離れ、僕らはいよいよ夜明け前に森の能舞台へ向かう。

 これで最後と思うと、僕は少し感傷的な気分になった。

 それはほかのみんなもそうで、特にオー姉さんは目尻にかすかに涙をためて、路地のあちこちを名残惜しそうに眺めていた。

 オー姉さんが涙を滲ませるのも無理はない。

 何故なら彼らにとってこのM町から去ることは、単なる旅立ちを意味しなかった。

 それは人の世との、おそらく数十年に及ぶ別れを意味していた。


「森の宴におそらく数百人の聴衆が集る」


 これは今日の昼間、町営球場のベンチで為朝が僕にいった台詞だ。


「山の屋敷に引きこもったらもう他人からエネルギーを得られない。だから一座の連中は今回の宴で人々を熱狂させ、長期間山に引きこもるのに必要なエネルギーを一夜で得ようとするだろう。いつもより力演するのは確実だ。君もせいぜいがんばって連中を乗せてくれよ。乗れば乗るほどあいつらに隙ができるからね。アハハハ!」


「……え?」


 そこで我に帰った。

 僕はさっきまでと同じように、一座のみんなとM町の路地を流して歩いていた。

 するとコウが一座のみんなから遅れ、路地の一角に立ち止まっていた。

 困った顔で僕を呼んでいる。

 急いでコウの元へ駆け寄った。


「どうしたの?」


「このおばあちゃんが何かお話してるんだけど……」


 彼女のそばに唐草模様のワンピースを着た、小柄なおばあさんがいた。

 腰がほとんど直角に曲がり、雪のように真っ白な髪をしたおばあさんは歯のない口をモゴモゴさせて、聞き取りにくい声でヒソヒソ囁いた。

 それで耳をそばだてて聞いてみたのだが、おばあさんの言葉はなまりがきつくて、例え声を聞き取ることができても、今度はその意味がよくわからない。

 僕は困ったが、おばあさんが言葉の最後に必ず


「……じゃりろ」


 とつけることに気づいて、思わず笑った。

 懐かしかった。

 亡くなった僕の祖母は天草の生まれだが、祖母もまた何かを話すとき、言葉の最後に必ず


「……じゃりろ」


 と、つけた。

 海の言葉と山の言葉が同じであることを不思議に思いながら、僕はおばあさんの言葉を注意深く聞いた。

 そしてようやくおばあさんの話を理解した。


「わかった?」


「うん」


 おばあさんの話を聞くため曲げていた腰を伸ばすと、コウが拳で腰を叩いてくれた。


「おばあちゃん、君と僕を自分の家へ招待したいっていってる。神社での演奏が終ったらおいでって。お茶とお菓子をご馳走してくれるって」


 僕は路地に面したおばあさんの家の玄関を指差した。


「どうする? お呼ばれするかい?」


「……」


 僕に問われたコウは赤い顔して、無言でこくりと頷いた。



 その夜M町での最後の演奏が終ると僕はマダムに、自分とコウがあるおばあさんの家にお茶に呼ばれしていると告げ、今からそこへ行ってもいいかと訊ねた。


「……」


 マダムは一瞬難しい顔になった。


(宴の前夜だからな。これは駄目かも……)


 と、あきらめかけた時だった。


「いいわよ、二人で行ってらっしゃい」


「……」


 願いを受け入れたマダムがニッコリ笑うと、コウはその場で小さくピョン、と飛び上がった。

 「飛び上がって喜ぶ」という表現があるが、本当に飛び上がる人は珍しい。


「わたしたちは先に森の能舞台へ行っているからね。二人とも夜明け前必ずそっちへくるんだよ」


「はい!」


 コウの元気な声が境内に響き渡り、鳥居のそばに座っていた石の獅子が驚いた顔でこちらを振り返った。





 僕とコウはそれぞれギターと太鼓を携え、おばあさんの家へ上がった。

 ミシミシきしむ暗くて長い廊下を歩いていると、居間のほうからにぎやかな音が聞こえてきた。

 入ってみると部屋の中央にがっしりとした赤い木のテーブルがあり、そこに古い型のラジオが置かれていた。

 そこからAM放送のこもった音が流れている。

 それが昼間のメッキ工場で景気づけに流されるような大音量だ。

 おばあさんは耳が悪いらしい。

 ラジオから流れるのはNHKの深夜放送番組『ラジオ深夜便』だった。

 落ち着いた、大人の女性アナウンサーの上品な声が聞こえてくるが、ラジオの音が大きすぎて上品さを台無しにしていた。

 おばあさんが席を外しているすきに、僕はラジオのボリュームを少し絞った。

 真夏というのに居間では小さな電気ストーブが灯されていた。

 驚いたがここは山のふもとなので、夜になったら夏でもかなり冷える。

 お年寄りにこの気温の変化はこたえるだろう。

 おばあさんは赤いお盆にお菓子をたくさん乗せて戻ってきた。

 黄金色の四角い箱に入ったお菓子だ。

 おばあさんが出してくれたのは、熊本の銘菓として名高い陣太鼓(じんだいこ)だった。

 太鼓の形をした飴の中に、求肥(ぎゅうひ)という甘く柔らかい餅が仕込まれた僕が大好きな和菓子だ。

 これは冷やすとさらに甘味が増すのだが、てのひらにのせた箱はしっかり冷えていてますますうれしくなった。

 太鼓を叩く女の子が食べるお菓子は陣太鼓がふさわしいと思ってね、といった意味の言葉をおばあさんが呟くと、コウは恥ずかしそうに頬を赤らめた。

 黄金の箱を開くとやはり黄金の紙に包まれた円形のお菓子が出てくる。

 初めてで食べ方がわからないコウのために、僕は箱に添えられた専用の紙ナイフで太鼓の形をした和菓子を四つに切ってやった。

 それに爪楊枝を差し、僕も自分の陣太鼓を一口ほうばった。

 優しい甘さが、慣れない旅と演奏に疲れた体にじんわり染みる。

 コウも爪楊枝をつまみ、その一切れをおそるおそる自分の口元へ運んだ。

 何だか生れて初めてお菓子を食べるような初々しさだが、一口齧っただけで、コウの緊張はあっさり弾け飛んだ。


「おいしい!」

 

 歓声を上げるコウを見て、真っ白な髪のおばあさんは歯のない口をモゴモゴさせて「ホホホ」と、ふくろうのような声で笑った。


「おばあちゃんは食べないの?」


 コウに問われたおばあさんはやはり口をモゴモゴさせて、入れ歯をはめるのが面倒だから食べない、自分は目で食べるから気にしなくていい、といった。

 そういわれて僕もコウも本当に遠慮を捨て、僕は三個、コウにいたっては何と五個も陣太鼓をペロリと平らげた。

 夢中で和菓子を食べる僕らを、おばあさんは目を細めてうれしそうに見つめていた。


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