第28話 草薙剣
しばらくすると暗幕の向こうから何かを啜る奇妙な音は聞こえなくなった。
拝殿はまたひっそりと静まり返った。
僕は本をその場にそっと置き、短い階段を降りた。
そして境内を出ると川の上流に向かって歩き出した。
「やあ、きたね」
川の上流にある河原へ行くと、先日と同じ白い着物に青い袴という神主衣装の為朝が、笑顔で僕を迎えた。
今日も陽射しが厳しく、彼の着物の白さがまぶしい。
「きっと来てくれると思った。君に感謝するよ」
「勘違いしないでよ。協力できないって断りに来たんだ」
「なるほど。じゃあ最後にこれを見て」
為朝は先日見せた水晶玉を、僕の鼻先に差し出した。
「何だよ?」
「先月東京で一家六人が殺される事件があった。祖父母と両親と、幼い男の子と女の子の家族だよ。殺したのは呪術班が何十年も前からマークしている四人組の吸血鬼だ。吸血鬼が家族を襲ったときの映像が水晶玉に記録されてる。貴重な映像だよ。最後にこれを見て僕らに協力するかどうか判断してほしい」
「わかった」
僕は河原の石に腰かけ、為朝が手にした水晶玉を覗き込んだ。
映像が終わり、水晶玉から顔を上げた。
「どうだった?」
「……こんな事件、全然知らなかった」
汗をかき過ぎて川風が冷たい。
「マスコミは呪術班が押さえてるからね」
「四人組は何故家族を襲ったの?」
「わからない。四人組の吸血鬼はつい最近まで君たちの一座と同じだった。音楽を奏でながら町を流し、集まった聴衆から間接的に精気をいただくおだやかなやり方で栄養を摂取していた。
それがある夜突然狂った。
理由はわからない。彼らが吸血鬼だから、としか僕には言えない。この映像を記録した呪術師もやつらに殺された。ひどいもんさ」
「四人組はどうなったの?」
「その夜の内に帝国呪術班が処分した」
「わかった」
僕は力弱く頷いた。
「君に協力するよ」
「ありがとう!」
僕の両肩に手を置き軽く揺すると、為朝は会心の笑みを浮かべた。
小柄な体格の為朝だが、その手は意外に大きく力強かった。
「きっとそういってくれると思ってた!」
「協力するからマダムにかけた術を解いてくれ。かけたんだろう? 何か術を」
「ああ、今解く」
為朝は自分の顔の前で軽く手を振った。
すると何もなかったはずなのに、為朝の指にいつの間にか人の形に切り抜かれた紙の人形が現れた。
為朝がそれを放ると紙の人形はライターもマッチもないのに虚空で炎に包まれ、そのまま空中で消滅した。
「これでマダムは元気になったよ、みんな」
為朝が後ろを振り返ったのでそちらを見ると、さっきまでいなかったはずの男が四人立っていた。
為朝と同じように白い着物を着て青い袴を穿いた男たちだ。
(デケエ)
みんな一九〇センチ九〇キロを越える体格をしているから、呪術師というよりアフガニスタンやソマリアの最前線で働く兵士みたいだ。
真夏の陽射しに不機嫌そうに顔をしかめた男たちは、その手に黒い鞘の太刀を携えていた。
「我が一族に代々伝わる名刀だよ」
屈強な男たちに囲まれ、為朝は誇らしげだ。
「代々の呪術師の呪力が刃にこめられている。これで物の怪を切る」
「……君もその刀を使うの?」
「僕はこれさ」
為朝が振り向くと一人の男が頭を下げ、恭しく革の鞘に包まれた長剣を差し出した。
細い柄をつかみ、為朝は鞘からスラリと剣を抜いた。
銀色の光が、真っ青な空に一直線にほとばしる。
為朝が空に向かって突き立てたのは銀色に輝く、諸刃の銅剣だった。
普通の日本刀より刃の部分が長く、そしてその刃に幅があって肉も遥かに分厚い。
「これ、草薙剣だよ」
剣をかざした為朝はいよいよ誇らしげだ。
(草薙剣は平清盛の孫で、当時六歳の安徳天皇とともに壇ノ浦の海に沈んだんじゃなかったっけ?)
最近古典の授業でそう習った記憶があるが、得意そうな為朝の様子を見て口をつぐんだ。
「この神器がひそかに我が一族に伝わっていたんだ。これで物の怪を切る。君」
マッシュルームカットの髪を軽く揺すり、為朝は僕を見た。
「すまないがもうしばらくの間一座と一緒に旅を続けてくれ。昨日もいったけど連中はもうすぐ大規模な『宴』を開く。その日付と時間と場所がわかったら僕に教えてほしい」
「どうするんだい?」
「具体的な作戦についてはいずれ話す。とにかく君が僕らに協力していることを、一座の連中に絶対悟られないよう注意してくれ。こちらの動きを読まれたらせっかくの作戦が台無しだ。頼んだよ」
為朝は片手で銅剣を振った。
ブン、と空気を斬る重い音がする。
足元に咲いている白い花が、剣の起こす太刀風で怯えたように震えた。
為朝が剣を振った虚空に、銀色の残像が虹のようにぼんやり浮かんだ。
(駄目だ)
銀色の残像の向こう側に無言でたたずむ男たちを横目に見て、僕は唇を噛んだ。
駄目だ。
(例え一座のみんなが力を合わせて立ち向かったとしても、この男たちには絶対勝てない)
真夏の陽射しに焼かれてしおれた白い花が、足首を柔らかく撫でる。
気持ちのいい川風に吹かれる今の自分が、すでに目に見えない鉄の箱に閉じ込められていることをそのときはっきりと感じた。
僕も、一座の人々も、もう逃げ場はない。
人生そのものに仕掛けられる罠はまばたきより速い。
無知な仔兎のように罠に掛けられて、僕はようやくそのことを知ったのだ。




