第24話 為朝
「じゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
今日一座は川沿いにある神社に宿をとった。
最初の日に僕が彼らに出会った神社も川沿いにあったが、こちらの境内はあのときよりずっと広く、木立も深かった。
「川風が吹いてるよ、うれしいね」
拝殿内部に張った暗幕の向こうで、チーちゃんがはしゃぐ声が聞こえる。
一人で境内に立っていた僕は拝殿から目を逸らし、背後を振り返った。
そこにさっきの神社からずっとついてきた奇妙な客が、まだひっそりと立っていた。
一座の人はすぐ目の前にいる彼の存在に、とうとう気づかなかった。
「あ」
へんな声が漏れたのは客が急にくるり、と踵を返したからだ。
客は無言で境内から歩み去った。
僕は慌てて後を追った。
小柄な客は意外に足が速かった。
僕も体育祭のリレーメンバーに選ばれるぐらいだから、足の速さにはそれなりに自信がある。
しかしちょっと油断すると、前を歩く客との距離がみるみる開いて置いていかれそうになってしまう。
僕は全身にびっしょり汗をかいて客を追った。
客は川沿いの土手道を歩いた。
上流に向かっているのだ。
その後をつけていると時折、ぽちゃん、と川で何かが跳ねる音が聞こえた。
何だろう? と川面を見ると、まだ暗い川にただ何かの波紋と、青い星が映っていた。
夜と朝の境界になる藍色の空の西のほうに、明けの明星が孤独に浮かんでいる。
僕と客はそれから三十分ほど歩き続け、そうしているうちに夜が明けた。
夜が明けた、と思ったとたんあちこちでセミが鳴き出した。
大きな中華鍋ではぜる油のような鳴き声は、もちろん油ゼミの声だ。
「ジー」と長い前奏があって「ジリジリジリ」と単調な主旋律が延々と続き、最後は「ジジジジジ……」と遠慮がちな声で終る。
そしてすぐにまた「ジー」と前奏が始まる。
その声が朝の訪れと同時に何十にも重なって一斉に降り注ぐ。
この声を聞いていると、僕はいつも自分が巨大なフライパンに張られた油にプールみたいに浸り、夏の陽射しでジリジリ揚げられている気分になる。
(そうやって出来上がった僕というフライを、いったい誰が食べるんだろう?)
足元では夜の間地面で眠っていたバッタが足音で目を覚まし、次々土手から飛び立った。
僕のシューズに危うく踏まれそうになる鈍いバッタもいる。
バッタが飛び立つと、いつもは固い羽根の下にかくれている透明な羽根が現れ、それが朝陽に透けて虹色に輝いた。
僕の足元からはそんな風に小さな虹が何本も立ったのに、前を歩く客の足元からは、何故か一匹もバッタが飛び立たない。
おかしいな? と思っていたら、前を歩いていた客が急に土手を下り始めた。
野球場のグラウンドのように広い河原が眼下にあった。
特に手入れされている様子はなく、河原は丈の低い雑草に覆われ今は静かに川風に吹かれていた。
対岸に目をやるとそちらは深い森で、大きなクスノキが鎌首をもたげた蛇のように、川面へ太い枝を伸ばしている。
僕は客を追って河原へ下りた。
河原には僕が名前を知らない白い小さな花がところどころ生えていた。
客はその花を踏んで歩いた。
しかし客が踏んでも、花が全然折れない。
それに気づいて、おや? と思っていると、僕の目の前から突然客の姿が消えた。
「やあ」
子供か大人かわからない奇妙な客の姿が消えて、今度は僕の目の前に全然別の人物が現れた。
白い着物に青い袴という神社の神主みたいな装いの、小柄な少年だ。
同い年ぐらいかな? と僕は判断した。
「『これ』が見えるということは」
指先に持った、人の形に切り抜いた紙の人形をヒラヒラさせて彼は笑った。
「君は人間だね」
彼はその場に紙人形を捨てた。
「人間の目にだけ見える式を打ったんだ。やっぱりそうか」
「式を?」
汗が滲んで痛む目元を拳で素早くこすった。
「君は陰陽師なの?」
妹が読んでいた平安時代を舞台にした漫画で、僕は「式」という言葉を覚えていた。
「違う、呪術師だよ」
「呪術師……」
呪術師と陰陽師の違いなんてわからない。
ちょっと得意そうに鼻をこする彼のマッシュルームカットの髪を川風が撫でた。
彼が着ている白い着物は長袖で、穿いている袴も暑苦しいに違いない。
しかし彼はいたって涼しげで、その顔に汗一つ浮べてない。
彼の黒い髪は陽射しの角度によって赤く見えた。
「君だけは人間に違いないと思ったんだ」
彼は笑った。
初対面の彼に微笑みかけられ、僕は嬉しかった。
いい忘れたが今僕の目の前にいる神主みたいな格好をした彼は、凄まじい美少年なのだ。
どれくらい美少年かというと十四年間生きてきた僕が、生まれて初めて同性の人間に対して「美」という言葉を使ってみたくなった、それほどの美少年だ。
「僕、為朝っていうんだ。よろしく」
ためともという珍しい名前を聞いて、すぐ保元の乱の英雄鎮西八郎源為朝を連想した。
「鎮西は西の反乱、および西の怪異を鎮めるという意味がある」
国語の授業で老教師がそう語ったとき、老教師の鼻からはみ出した白毛が鼻息でかすかに震えていたことまで思い出した。
すると美に打たれてぼんやりしている僕に向かって、為朝が奇妙なことを言い出した。
「僕は妖怪を追ってここまでやってきた。式をたくさん打って連中をずっと監視してたんだ。君も妖怪退治に協力してほしい」
「妖怪?」
ひょう、と笛のような鋭い音立てて川風が吹いた。
「妖怪って、誰のこと?」
「そんなの決ってるだろう」
為朝はアメリカ人みたいに大げさに首を振った。
「君がずっとついて回っている一座の連中だよ。あいつらが妖怪だ。僕は数年前から連中を追っている。その追跡も、もうすぐ終わる」
為朝は細い首を傾げ、夏の陽射しに髪を輝かせニッコリ笑った。
美少年のまぶしい笑顔を間近に見つめ、僕は思った。
(僕という人間フライを食べるのは、こいつだ)




