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太鼓の少女  作者: 森新児
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第21話 クロスロード

 その十字路は道の向う側が大きな工場と広いグラウンドに接し、道のこちら側は雑木林に接していた。

 高い塀に囲まれた工場の明かり以外、人家の明かりは周囲にまったくない。

 点滅する四本の信号機があり、そばにある四本の街燈が交差点を何かのステージのように白々と照らしている。

 そのステージの中央に、僕はポツン、と一人で立っていた。



 自分の足元に、花が開くように影が四方に伸びている。

 ギターを抱えて十字路の真ん中に立ち、最初に東の方角を見た。

 車の光が見えたらこんなばかばかしいことはやめよう、と自分にいい聞かせた。

 しかし東の方角に光は見えなかった。

 次に西を向いた。

 やはり光は見えなかった。

 今度は南を向いた。

 やはり光は見えない。

 最後に北を向いた。

 ここでも光は見えなかった。


「……」


 北の方角に顔を向けたまま、僕はクロスロードに立ち尽くした。

 生ぬるい風が頬を撫でる。

 汚れた雑巾で顔を拭かれた気分だ。

 目を細めて彼方を伺い、耳を澄ませる。

 いつまでもたっても車の光は現れないし、物音もしない。

 額の汗をぬぐい、唇を舐めた。

 塩と血の味がかすかにする。

 僕は迷った。

 やるべきか、やらざるべきか。

 つまりこのまま「オイルを差していない自転車」のようなひどい音でギターを弾き続けるか、それともこの十字路で悪魔と契約を結んで、超絶的なギターテクニックを手に入れるか。

 自分の魂を悪魔に売って。


(……ばかげている)


 こんなことやめよう、そう僕が決心したときだった。

 まぶたに不意に浮かんだ。

 笑顔が消えた瞬間の、寂しそうなコウの顔が。

 十字路を囲む闇に遂に光は差さず、その代わり弱った羽虫が立てる羽音のようにたどたどしい音が流れた。

 それは僕が弾くギターの音だった。



 僕が弾いたのはこのごろ毎日練習しているロバート・ジョンソンの『ミー・アンド・ザ・デビル・ブルース』という曲だった。



 ある朝、「俺」の部屋のドアを誰かがノックする。

 部屋をノックしたのはサタンだった。

 俺は「やあ」とサタンに陽気に声をかけ、二人は仲良く並んで歩く。

 それから俺は、女を殴り殺す。

 ハイウェイの脇に埋められた女は悪霊となり、グレイハウンドバスに乗って全国をめぐる……



 そんな怪談のような曲を歌詞は歌わず、ただギターだけ弾いた。

 街燈に照らされ、ギターの弦が川のせせらぎのようにきらりと光る。

 工場を囲んだ高い塀にギターが反響し、音が鮮やかに冴えて返ってくる。

 その冴えた音を聞いていたら少し気分がよくなった。すると、


(ん?)


 それはグラウンドと工場にはさまれたほうの道だった。

 街燈もない暗いその道を誰か歩いてくる。

 教科書のすみに描いたまま消し忘れたパラパラ漫画の一こまのように、目の端にチラリとそれが見えた。

 そして、誰かくる、と思った瞬間だ。

 僕を取り巻いている空気が変わった。

 それまでは真夏特有の湿気をたっぷり含んだ、年老いた象のように怠惰で重い空気だった。

 しかし僕を取り巻く空気は突然その怠惰を捨て、真冬のそれのように乾いてビシリと引き締まった。

 寒さは感じない。

 僕は鎖のように引き締まった異様な空気に囲まれ、動けなくなった。

 それは先日トンネルの中で味わったのによく似た感覚だった。

 だが決定的に違う点がある。

 あのとき青く光るチーちゃんの目に見つめられ、僕は体のどこも動かせなかった。

 今はギターを弾く指だけは、何故か動く。

 体のほかの部分は見えない石膏で固められたみたいに動かない。

 演奏しながら必死に目玉を動かし、視野のすみを伺った。

 「何か」はさっきよりずっと近くまできていた。

 まだ街燈の光が届かないので、その身体は黒いシルエットと化して顔は見えない。

 ()()はロートレックが描いたムーラン・ルージュのポスターに登場する男性ダンサーのように、古めかしいデザインの山高帽をかぶっていた。

 ポスターの男性と同じように痩せて背が高い。

 ()()は夏だというのに、黒っぽいコートを羽織っていた。

 長い服の裾が風に揺れるのが見える。

 近づいてくる何かは歩道を歩かず、道の真ん中を歩いていた。

 と、そのとき街燈の光が彼に届いた。

 咄嗟にギュッと固く目をつむった。


(あれは見てはいけないものだ)


 僕はそう判断した。

 今すぐにでもここから逃げ出したかった。

 しかし足はアスファルトに接着されたように動かず、ただ指だけがポロポロと勝手に弦を爪弾く。

 僕はギターを弾き続けた。



 いつしかギターの音がまったく聞こえなくなった。

 自分の指の動きを妙に冷めた目で見つめていたら、突然悟った。


「坊やは『つかれやすい』体質のようだね」


 先日トンネルの中で、マダムが僕にいった言葉だ。

 僕はマダムが自分のことを「疲れやすい」といったと思った。 

 でもそれは勘違いだった。

 あのときマダムはこういったのだ。


「坊やは()()()()()()体質のようだね」


「あー」


 そのとき聴覚を失った耳たぶにありありと、生温かな吐息を感じた。


「あー」


 僕の間近に()()がいた。


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