第20話 山を目指して
半島が終り、僕らは演歌歌手八代亜紀の故郷として知られる八代市に向かって歩いた。
ただし、一座の最終目的地が八代の町中ではないことは確かだった。
「『山』へ行くんだよ」
これは道中マダムが何度も口にした台詞だ。
具体的な地名はあげなかったが、マダムが一言「山」というたび、一座の表情がパッと明るくなった。
一座のみんなは山に着くことを心底楽しみにしていた。
それがどこの山なのかはまだわからないが、そこまで彼らに付き合おうと僕は決心した。
海を離れた一座は国道を歩かず、やはりここでも裏道ばかり選んで歩いた。
間近に山が迫った夜の裏道は、誰かに鼻をつままれてもわからないような完璧な暗闇に満たされていた。
コールタールを溶かしたみたいにどす黒い闇で、いつまでたっても目が慣れない僕は何度も石につまずいて転んだ。
「ごめんなさい」
ある晩またしても石につまずき、無様に転んだ僕を助け起こしながら、オー姉さんは奇妙な言い訳をした。
「ずっと夜の仕事をしているからわたしたち闇が見えるの」
「謝ることなんてないですよ? 夜目が効くって凄いです」
「でもフクロウみたいで恥ずかしいわ……」
「みんな」
不意に前方の闇から、緊張したマダムの声が聞こえてきた。
「わたしの後をついてくるんだよ。コウ」
「はい。帯を持って」
コウに促された僕は彼女の帯の、うしろ側の結び目を持った。
帯をほどいたりしないよう、そっと握った。
まったく見えないがどうやら僕らはマダムを先頭に縦一列になり、闇を進んでいるようだった。
やがて月の光で地面の砂利が白々と明るんでいる場所に辿り着いた。
マダムはようやくホッとして振り返った。
「みんな平気かい? 抜けたよ」
「もう安心よ」
コウが笑顔で振り返る。
「何があったの?」
僕は赤い帯を手離し尋ねた。
「ヌリカベがわたしたちの前に立ちふさがって邪魔してたの。それを抜けたの」
「ヌリカベ?」
また別の夜。
その夜は雨が降り、町を流すことも神社で演奏することもできなかった。
僕らは裸電球一個を灯した薄暗い拝殿にこもり、することもなくただぼんやりと降りしきる弱い夜の雨を見ていた。
格子天井のすみに、蜘蛛が大きな巣を張っている。
「あ」
するとコウが不意に、雪崩を打つように神社の間近に迫った山の斜面を指差した。
彼女が指差す先を見ると、そこに怪しい火影がチラチラとまたたくのが見えた。
不知火の海で見た火によく似ているが、しかし明瞭に違う点がある。
海の火は数万個もあったが、山でまたたく火は二つっきりだ。
「何? 何かな?」
「狐の嫁入りかしら?」
「いいや、違うよ」
ヒソヒソ囁き交わすチーちゃんとオー姉さんにマダムはいった。
「火が二つある。あれはオサビだよ」
「オサビ?」
不思議そうな顔をする僕に、マダムは教えてくれた。
「日向の延岡に伝わる話だよ」
目を細めて山の火を見つめながらマダムは語った。
それによると昔延岡で二人の女性が筬を返せ返したと争ったという。
筬とは機織り道具のことだそうだ。
「縦糸の位置を整えて横糸を織り込むようにする道具だよ」
マダムは機を織る仕草をした。
マダムが手を動かすと、香水「夜間飛行」の華やかな香りが薄暗い拝殿に立ちこめた。
マダムの話によると二人の女性はこの機織り道具をめぐって争い、二人とも池に落ちて死んだそうだ。
二人が池に落ちたのが雨の夜なのだ。
以来今でも夜になって雨が降ると、二つの鬼火が現れるという。
「延岡に出ると聞いていたけれど、こっちの山にも出るんだねえ。まだああして喧嘩しているのはあわれだねえ」
夜の山でまたたく二つの火を見つめるマダムはちょっと寂しそうだ。すると、
「マダム」
すでに小太鼓を抱えているコウを見て、マダムはニッコリと笑った。
「そうだね。今から二人の女を慰めてやろうかね。コウ」
お前は本当に優しい子だね、といってマダムは彼女の黒髪を撫でた。
コウは恥ずかしそうに頬を赤らめた。
それから僕らも楽器を抱え、拝殿の中からシトシト雨が降る夜の山に向かってブルースを奏でた。
分厚い音量にあおられ、天井の蜘蛛の巣がプルプル震える。
マダムに促され、僕はいつものようにマザー・グースを歌った。
「うまでいこうよ バドリイのいちへ
ついたらなにをかおうかな
さとうにいちじく エレキャンペイン
それからうちへかえろうよ
ふたりでなかよくかえろうよ……」
演奏を終えて山を見ると、二つの火は消えていた。
「二人で仲良くおうちに帰ったね!」
ブルースハープを口から離し、チーちゃんはうれしそうに笑った。
僕らは旅を続けた。
それは小川町という、熊本県のほぼ中心に位置する町でのことだった。
神社での演奏を終えた僕らは荷物をまとめ、いつものように次の神社を目指して移動した。
マダムの大きなウッドベースを引きずり、さらに五郎さんに譲ってもらったアコースティックギターを背負って歩く僕は、その荷物の重さからどうしてもみんなから遅れてしまう。
一人遅れた僕を心配して、五郎さんが戻ってきた。
「ベースは僕が持つよ」
五郎さんは背負った青いリュックを軽く揺すり、手を伸ばした。
「大丈夫っす」
僕は首を横に振った。
昨夜は五郎さんがほとんど一人でウッドベースを運んでくれたのだ。
「今夜は僕が運びます。五郎さんたちは先に行ってください」
「そうかい。この先の神社に今日は泊まる。一本道だからね、すぐにわかるよ」
ゆっくりおいで、といって五郎さんはまだ舗装されていない道の砂利をにぎやかに踏み鳴らし、闇に消えた。
しばらくの間僕は闇にたたずみ、一息ついた。
何の物音もしない。
「シン」という、鼓膜を圧する静けさに耳を傾け、僕はまたウッドベースのケースを引きずり歩き始めた。
ケースの底にある車輪が道の砂利を踏み、ゴトゴト重い音を立てる。
その重い音を聞きながら、僕は今自分が冷房の効いた室内にいて、気持ちのいい布団の中から外を通るこの「ゴトゴト」という音を聞いていると想像してみた。
果たしてそのとき自分はこの音を何だと思うだろう?
(きっと「外で棺桶を引きずっている」と考えるだろうな)
と、馬鹿な空想をしていたら、不意に道が明るくなった。
舗装された県道に出たのだ。
月の光に照らされ、アスファルトの道は濡れたみたいにぼんやりとした光沢を滲ませている。
僕は何げなく右手を見た。
するとそこに信号機があった。
そこで別の県道と交差しているのだ。
その信号を目にした瞬間思った。
(ここ、クロスロードだ)




