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太鼓の少女  作者: 森新児
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第19話 ロックンロール

 火の中に、人がいた。

 夜の海に浮かぶ火の中にいる人々は、みんな笑っているように見えた。しかし


(違う。笑ってない)


 彼らは顔が膨らみ、皮膚が突っ張って目尻がつりあがり、それで笑っているように見えるだけだった。

 顔が膨らんだ人々は性別も年齢もはっきりしない。

 その笑っているように見える顔を一つ一つじっと見つめて、不意に悟った。


(この人たちは水を飲んで死んだんじゃない。恨みを呑んで死んだんだ)


 橋を渡ればそこはもう天草だ。

 天草といえば名高い天草島原の乱の舞台となった土地だ。

 あの反乱で死んだ数万の人々と、今目の前にいる膨大な数の死者たちは関係があるのだろうか? と考えた時だった。

 足元がキラリと光った。

 光を反射する素材でできたランニングシューズの青いラインが光ったのだ。

 恨みを呑んで死んだ人々を包む火が、僕らがいる埠頭のすぐそばまで迫っていた。


「いけない」

 

 マダムが珍しくうろたえた。


「予想以上に恨みの念が強い。このままじゃわたしたち取り殺されるよ!」


「歌って」


 そのとき誰かの必死の声が耳たぶを打った。


(コウ)


「お願い、何か歌って!」


「わかった」

 

 美少女の願いに答えようと、僕はギターを抱え前に出た。


(今人々の眠りに必要なのはブルースじゃない。童謡でもない。必要なのは)


「ロックンロールだ」


 僕は天才ギタリストに声をかけた。


「五郎さん曲を変えましょう!」


「何にする?」


「『ツイスト・アンド・シャウト』を!」


「OK」


 すぐに五郎さんがギターで前奏を弾き、ほかのみんなも救命ボートに飛び乗る避難民のように、素早くそのメロディーに乗った。

 コウの太鼓が夜の港に軽快に響く。

 その太鼓の響きに乗り、怪しい火影に満たされた夜の海に向かって僕は全身を震わせシャウトした。

 六十年代のロックンロールを。

 録音当日、体調が悪かったジョン・レノンが咽から血を流しながら歌ったといわれる伝説のナンバーを。

 僕が叫ぶと海の火も、風にあおられるように左右に激しく揺れた……





 歌い終え、ふと気づくと港に満ちていた火はすべて消えていた。


「ありがとう、坊や」


 僕のそばに寄ってきたマダムは、神社で願い事するときのように手を合わせた。


「坊やのお陰であたしたちみんな助かったよ、ありがとう」


「ありがとう」


「ありがとう」


 オー姉さんもチーちゃんも、頬を赤く染め手を合わせた。

 五郎さんは興奮していた。


「よかったよ! まさにロックンロールだ」


「……」


 僕は無言で頷いた。

 シャウトのし過ぎで咽が潰れて声が出ないのだ。

 再び暗くなった港を夜風が吹きぬける。

 冷や汗をたっぷり吸い、柔道衣みたいに重くなった僕のTシャツを撫でる風は、涼しいというよりやや寒かった。


「ありがとう」


 僕を見るコウの目がキラキラ輝いている。


「あなたのお陰でみんな安らかに眠ることができたわ、ありがとう」


「いや……」


 君がうれしいんならそれでいいよ、という言葉は声にならなかった。

 するとマダムが一座に告げた。


「さ、たましずめの儀も無事に済んだ。みんな、引き上げるよ」


 マダムの一言に僕は驚いた。


「引き上げる? 天草に行かないんですか?」


「天草へは渡らないよ」


 ウッドベースをケースに収め、マダムは笑顔を向けた。

 それは何か大きな義務を果たした人間だけが浮かべる、解放感を一杯に湛えた笑顔だった。

 こんなにくつろいだマダムの表情を初めて見る。

 「たましずめの儀」は彼女にとってそれほど重荷だったようだ


「これからみんなで『山』へ向かうんだよ」


 また晴れ晴れと笑い、マダムは乱れた着物の襟を直した。


「そこがわたしたちの旅の終点なんだ。坊や、そこまでついてきてくれるかい?」


「ええ」


 もちろん、と答える僕の声は、相変わらずひどいガラガラ声だった。





 僕らは宇土半島を今度は内陸に向かって歩き始めた。

 移動するのはやはり夜だけで、昼の間は今までどおり神社の拝殿で一座は眠った。

 みんながまだ眠っている昼間、僕はよくコウに本を読んでやった。

 開高健の短編『一日の終わりに』の冒頭で、寂しくなると俺はせんずりがかきたくなる、という老人の台詞を読むと、コウはクスクス笑った。

 日が落ちると彼らは起きてくる。

 それぞれの楽器を手にして、客寄せのため僕らは夜の町を流して歩いた。

 道ばたに老人たちが顔を出し、演奏する僕らに拍手してくれた。

 灰色のブラウスを着たおばあさんはうれしそうに目を細め、ルイ・アームストロングみたいだねえ、といってくれた。

 海沿いの町を流しているときも、神社で演奏するときも、コウは出会った最初のころの無表情が嘘であったかのように、今は楽しそうに笑っている。

 しかしひとたび聴衆の中の誰かをマダムが「今夜はあなた」と指名すると、彼女の笑顔はたちまち消えてしまう。

 一瞬で火の粉の余韻も残らない灰となって消えるのだ。

 そんなときだ。

 自分の無力を感じるのは。

 

(あの子の笑顔を不滅にするにはどうすればいいんだろう?)


 夜が明ける前の短いひととき、小屋の窓辺にもたれて鎮守の森のざわめきを聞きながら、このごろよくそのことを考えている。


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