第17話 夜の海で
トンネルを出てしばらくすると、国道の脇に機関車の牽引車が一両ぽつん、と置かれているのに出くわした。
(こんなところに機関車?)
「三角線に使われていた車両かな?」
五郎さんは腕組みして間近に機関車を見つめた。
機関車の側面は塗料が剥がれ、血のように赤いサビ筋が何本も浮いていた。
三角線とは今僕らがいる宇土半島を走るローカル鉄道のことだ。
機関車のそばにシャッターを下ろした長方形のコンテナがある。
五郎さんは感心したようにうなずいた。
「このコンテナでお弁当かなにかを売っていたんだ。機関車はその客寄せだね」
機関車のとなりに小さな畑があった。
「機関車と畑なんてつげ義春の漫画に出てきそうな風景だ。いいな……マダムどちらへ?」
五郎さんは僕の背後に声をかけた。
振り返ると堤防の一角がくぼんでいるのが見えた。
そこから海岸に向かって階段が伸びているのだ。
マダムが女の子たちを引き連れ、その階段を降りようとしている。
「もうすぐ港だからね。ここで身を清めて行くよ」
一度車のライトの中に浮かび上がり、すぐ闇の中の黒い影になってマダムはいった。
「さっきチーがおかしな具合になったし、ここで禊をしていくよ。男と違って女の体は汚いからね。二人ともそこで荷物を見といておくれ」
フェミニストの人が聞いたらカンカンに怒りそうなことを口にして、マダムは海岸へ消えた。
僕は「でもマダムは男でしょ?」といいそうになったが、なんとかこらえた。
「ミソギって何をするんです?」
僕の質問に五郎さんは答えず、無言で首を振った。すると、
「おい見ろ」
突然近くで声が聞こえた。
若い男の声だ。
「美人のねーちゃんたちが裸で海岸にいるじゃねえか」
見ると若い男が四人、堤防越しに海岸を覗き込んでいた。
さっきライトでマダムたちを照らした車に乗っていた連中だ。
黒い車が道のすみっこに停まっている。
月の光で男たちが耳や鼻にさしたピアスが信号のように閃いた。
K-1の選手みたいにたくましい一人の若者は、Tシャツの二の腕から黒い刺青を覗かせていた。
「スゲエ!」
「行こうぜ」
(いけねえ)
彼らを止めようと道端に落ちていた木材を拾った僕の手を、五郎さんは素早く押さえた。
「五郎さん?」
「平気だから」
五郎さんは本当に平気そうに笑った。
それで僕は海岸へ降りず、堤防の手前で待った。
手にした棒切れは雨を吸って重くなり、野良犬でもくわえないような厭な匂いを放っていた。
もしコウの悲鳴が聞こえたらすぐ階段を駆け降りるつもりだった。
しかし耳を澄ませても海岸から何の物音も聞こえない、と、思ったら、
「キャッ」
(男の悲鳴?)
不細工な悲鳴に続いて、階段口から一人の若者が顔を覗かせた。
まっさきに海岸へ降りたあの刺青の青年だ。
青年の目は光っていた。
涙ぐんでいるのだ。
僕は思わず棒切れを握りしめたが、彼はこちらに目もくれず、慌ただしく道を横切ると路肩に停めてあった車に飛び乗った。
「待て!」
「待ってくれよ」
残りの三人も道に上がってきた。
彼らの目もまた、刺青の青年のように涙で濡れ光っていた。
一人の若者は失禁して、短パンの裾からアスファルトの路面にぽたぽた滴を垂らした。
彼らは大急ぎで車に飛び乗った。
お尻を振りながら急発進した車は、熊本市の方向に向かって猛スピードで走り去った。
僕は棒を捨てて車道を横切り、低い堤防越しに海岸を眺めた。
さっきの男たちがいっていたように、一座の女性陣が裸で海岸に立っているのが見えた。
月以外に光はないから、女性たちの肢体は黒いシルエットと化している。
最初にマダムの姿が目に入った。
ひときわ大柄だから目についたのだが、影になったその胸が豊かで滑らかな乳房の曲線を描いているのを見てドキッとした。
すると僕に気づいた二人の女性が裸の格好のまま、こちらに手を振った。
背格好から見てそれはオー姉さんとチーちゃんのようだった。
二人のそばに、コウがいた。
背中に垂れた長い髪でわかる。
彼女も裸だ。
僕に気づくとコウも手を振ってきた。
右手を高く伸ばし、元気にヒラヒラ振るのだ。
僕も彼女たちに手を振り返した。
手を振るとき、てのひらについていた棒切れのくずが剥がれて散った。
それからマダムに促され、女の子たちは裸で夜の海に入った。
海に入って、チーちゃんとコウはすぐ互いに水をかけあった。
海の中から、コウはもう一度僕に手を振った。
僕も手を振り返した。
それから道を横切り、機関車のそばで待つ五郎さんのところへ戻った。
夜風に乗って、チーちゃんやオー姉さんやコウの笑い声が聞こえてくる。
弾けるような、楽しそうな笑い声だ。
その笑い声を聞いているうちに、さっきのトンネルで起きた奇妙な出来事をすっかり忘れてしまった。
そしていつしか僕もまた、彼女たちといっしょに笑っていた。




