第12話 ブルースとマザー・グース
その夜僕は山のふもとの小さな神社で、初めて一座の演奏に加わってギターを弾いた。
といっても相変わらず「オイルを差してない自転車の軋み」みたいな音しか出ないので、五郎さんに教えてもらったコードをみんなの邪魔にならないよう、小さい音で鳴らしただけだが。
(神社の境内って意外にライブ会場に向いているんだな)
と、演奏を始めてすぐ気がついた。
鳥居の柱や狛犬や敷石など境内のあちこちに石があって、その石にあらゆる楽器の音がきれいに反響する。
いわば自然の音響効果で、さらに裸電球以外に明かりがない夜の闇の深さや、境内に生えた木々のざわめきが、音に妖しいベールをかぶせる。
僕は五郎さんのそばに立ってギターを弾いた。
始めのうちは暗くてギターを弾く手元が見えなくて焦ったが、すぐに目は闇に慣れた。
二十人ほどいる聴衆は風が凪いだ林のように、ずっと静かに僕らの演奏を聞いている。
聴衆の反応はなかったが、それでもうれしかった。
僕のギターは一座の演奏に何かプラスになるようなことはまったくなかったが、いっしょに旅を始めて五日目、僕はようやくみんなの仲間になれた気がした。
次が最後の曲、というときだった。
「坊や」
急にマダムが僕に声をかけた。
「次の曲で何か歌っておくれ」
「歌ですか?」
突然の提案に戸惑った。
一座が最後に演奏する曲は毎晩決っていた。
静かなバラード調の曲だ。
一座が演奏するすべての曲がそうであるようにこの曲にも特にタイトルはなかった。
毎晩聴いているからすでに耳に馴染んでいて、五郎さんに教わらなくても曲のコードはわかっている。しかし、
「でも、歌詞は?」
「そんなのないよ」
マダムの口調はおでんのからしを買い忘れたときの母の口ぶりによく似ていた。
「即興で歌っておくれ」
「そんな……」
気楽にいうなよ! と腹の中で毒づいた。
一座はみんなたいへんなテクニシャンだから、僕みたいな素人にも「それくらいできるでしょ?」と、無茶な要求をしてくる。
でもアドリブみたいに高度な技を素人が簡単にできるわけない!
(どうしよう)
バスに乗ってからポケットに一円もないことに気づいた乗客みたいに焦っていると、
「お願い坊や、あたしからもお願いするわ、何か歌ってちょうだい」
オー姉さんは僕に向かって手を合わせた。
アコーディオンの蛇腹を開いて暖かな音を出し、さらに哀願するようにオー姉さんはいった。
「聞きたいのよ、坊やの歌を」
「あたしも!」
チーちゃんもあどけない顔で僕を煽った。
僕はコウを見た。
「……」
赤い浴衣を着たコウは僕の目を見つめて無言で頷いた。
そのとき脳裏にアイディアが閃いた。
「わかりました。じゃ五郎さん」
「OK」
僕は五郎さんに促されて一座のセンターの位置に立った。
ほんの数メートル移動しただけなのに、何だか空気が違う。
僕の左側にパイプ椅子に座った五郎さんがいる。
右側にオー姉さんとチーちゃん、そして一番後ろの一座を見渡す位置にマダムが立っている。
コウは僕と五郎さんの間に、少し下がって立っていた。
裸電球の乏しい光に照らされてセンターに立っていたら、頬に夜風を感じた。
境内の神木が高いところでざわざわと枝を鳴らしている。
もう一度コウを見た。
彼女は頷くとすぐ二本のスティックを打ち鳴らした。
カチ・カチ
と、乾いた音が闇に響く。
「ワン・トゥ」
ラストの演奏が始まった。
一座が奏でるメロディーに合わせ、即興で歌った。
「ねんねんころりよ きのこずえ
かぜがふいたら ゆりかごゆれる」
それは昼間読んだ開高健の文庫にはさんであった栞でたまたま見た、マザー・グースの歌詞だった。
疲労と退廃の気配が濃いブルースのメロディーに合わせて童謡を歌うなんて、脂ぎった焼肉を食べながらシュークリームをつまむようなひどいミスマッチだが、気にせず歌った。
前にもいったが僕はブルースのことは何も知らない。
ただ昔誰かがブルースについて語ったこんな言葉を覚えていた。
「世の中と極度に緊張した関係に立ったとき、フリーウェイをひとりで車で走り、肺活量のありったけをしぼって意味のない絶叫を上げる」
この言葉だけは、何故か鮮明に覚えていた。
言葉の意味は、正直今の僕にはわからない。
ただおそらく童謡もまた子供の心が上げる意味のない悲鳴のようなものだ。
だからミスマッチなのはわかっていたが、僕はマザー・グースをあえて歌った。
でもソフトには歌わなかった。
全身を震わせ、咽をからしてタフに歌った。
「えだがおれたら ゆりかごおちる
あかちゃん ゆりかご なにもかも」
意味のない絶叫を上げながら、僕は一座の様子をチラッ見た。
ギターを弾きながら五郎さんは笑っていた。
突拍子もない僕のアイディアに呆れているに違いないが、目じりにたくさん皺を寄せた笑顔を見ると、どうやら面白がってはいるようだ。
マダムもオー姉さんもチーちゃんも笑ってる。
特にチーちゃんはブルースハープをぷかぷか吹き鳴らして、興奮した様子で境内をぴょんぴょん飛び跳ねていた。そして、
「……」
太鼓を叩いて、コウも笑っていた。
演奏中の彼女の笑顔を見るのは初めてだった。
(太鼓の音と同じだ)
コウの笑顔は夜の闇の中にあっても、朝の陽射しのようにきれいに澄んでいた。
僕も彼女を見て笑い、それから覚えているマザー・グースのほかの詞を絶叫した。
「ぼくがつきをみると
つきもぼくをみる
かみさまつきをおまもりください
かみさまぼくをおまもりください……」
ずっと静かだった聴衆が、僕が叫び始めると肩や爪先をリズミカルに揺すり始めた。
さらに境内の木々が、風も吹いていないのに禍々しい感じにざわざわ騒いだ。
(夏の空気が燃え始めた)
ブルースを歌いながらそう思った。
僕の最後の夏は、この夜から本格的に始まった。




