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太鼓の少女  作者: 森新児
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第11話 ロバート・ジョンソンの伝説

 日が傾き、木漏れ日が地面をオレンジ色に染めるころ、ようやく一人の人物が拝殿の外に出てきた。


「……」


 出てきたのは昨夜マダムに指さされ、この神社までのこのこついてきた若者だ。

 若者の顔色は蒼ざめていた。

 昨夜もうつろな表情をしていたが、今日はもっと生気がない。

 そして昨夜見たときは立てていなかったポロシャツの襟を、若者はピン、と立てていた。

 なにかを防ぐ盾みたいだ、と思った。

 彼を見送るため外に出てくる人はいなかった。

 僕は小屋から出て、無言で境内を去る若者の後をつけた。



 海沿いの国道に出た若者は熊本市の方角に向って歩き出した。

 自分の家へ帰るようだ。

 僕も道路に出た。

 若者が着た青いポロシャツの背中に皺が寄っている。


(一晩で急に老けたな)


 僕は若者から目を逸らし、海を見つめた。

 落日が不知火の海を真っ赤に染めている。

 それはおとなしい内海が、もっとも荘厳に見える時間だった。

 もう一度視線を前に向けると、若者の姿はすでに遠くなっていた。

 今にも夕陽に溶けてしまいそうな、頼りない彼のうしろ姿を見ていたら、この人もうすぐ死ぬんじゃないか? と不吉な予感が頭に浮かんだ。





 境内へ戻ると、拝殿の短い階段に五郎さんが腰かけていた。

 黒いシャツに黒いジーンズ、さらに黒いスニーカーを履いた五郎さんがうつむいている姿は、羽根を畳んだカラスが休んでいるようにも見える。

 ほかの人は完全に日が落ちてからでないと起きてこないが、五郎さんだけは陽射しが弱い朝や夕方は外に出てくる。

 といっても五郎さんが姿を現すのは、せいぜい木々が陽射しをさえぎる薄暗い鎮守の森の中だけで、その外には日が完全に落ちてからでないと出ようとはしない。

 僕に気づくと五郎さんは暖簾を分けるようにして長い髪を開き、顔を現した。


「帰ったかい?」


「ええ、帰りました」


 僕は五郎さんのとなりに腰をおろした。

 そしてすぐに腰を持ち上げた。

 ジーンズに張りつく小石を払い落とし、床も払って腰をおろす。

 一瞬触れただけなのに、木の階段はもう汗を吸って尻の形に黒ずんでいた。

 僕はずっと黙っていた。

 何だか口を開くのが億劫だったのだ。すると、


「君は」


 沈黙に耐えかねた様子で五郎さんが口を開いた。


「ロバート・ジョンソンを知っているかい?」


「知ってます」


 その名前はギターに興味を持つ中学生ならたいてい知っている。

 ロバート・ジョンソン。

 戦前、大恐慌直前のアメリカ南部で活動していた伝説の黒人ブルースミュージシャン。

 二十七歳の若さで死んだから活動期間は短く、残した楽曲も少ないが、録音された音源はどれも後の世のミュージシャン、中でもエリック・クラプトンやキース・リチャーズといった大物ギタリストに絶大な影響を与えた……という初心者向けの知識を、僕は得意になって披露した。

 知識を披露するのは快感がある。


「よく知ってるね。じゃあRJの曲を聴いたことはある?」


「ありますよ」


「どう思った?」


「……よくわからなかったです」

 

 ツタヤで借りた二枚組のコンプリート・アルバムを聴いたのだが、退屈で途中で寝てしまった、と正直にいうと五郎さんは苦笑いした。


「十四歳ならそれが普通だよ。クラプトンも君ぐらいの年で初めてRJを聴いたとき『強いアルコールのようだ』と、感心しなかったっていうし」


 十四歳でブルースがわかったらむしろ困る、と五郎さんはもう一度笑った。


「じゃあロバート・ジョンソンの『クロスロード伝説』のことは知ってる?」


「それは知らないです」


 僕が首を振ると五郎さんはRJことロバート・ジョンソンの伝説を語り始めた。

 それは異様な伝説だった。



 五郎さんの話によると、十七歳のころRJのギターはとても下手だったそうだ。

 ジュークジョイント(南部にある酒場のような場所でバンドの生演奏がつく)の客が怒り出し、演奏をやめろ! とRJは怒鳴られたりもしたという。

 そんな十七歳のRJを悲劇が襲う。

 結婚したばかりの奥さんが難産で、子供とともに亡くなったのだ。

 奥さんはまだ十六歳だった。

 妻子を亡くしたRJは人々の前からふっつりと姿を消す。

 それから一年後、再び友人たちの前に現れたRJは、もう以前の彼ではなかった。


「ギターの腕前が格段に上がっていたんだ」


 ギター一本でフルバンドのような音を出した、と五郎さんはまるで自分が直接その演奏を聴いたような言い方をした。

 空白の一年間で、RJはアイク・ジナーマンという、これも謎の多いブルースマンを師と仰ぎ、彼といっしょに夜の墓場で毎日ギターの練習をしていたらしい。


「夜の墓場ですか?」


「そう」


 墓石にギターの音がきれいに反響するからね、という五郎さんの話を聞いて、僕は咄嗟に先日自分が神社で『イエスタデイ』を弾いたとき石の鳥居にこだました、きれいに澄んだギターのサウンドを思い出した。

 RJの腕が短期間で上がったのは、いわば師との特訓の成果なのだが、人々はそう思わなかった。


「奴は悪魔と契約を結んだに違いない」


 と人々はヒソヒソ囁きかわした。

 RJが活動していたアメリカ南部はブードゥー教が盛んで、そのブードゥーにこんな「儀式」がひそかに伝えられていたという。



 悪魔との契約を望む者は、まず人のいない真夜中の十字路に一人で行く。

 彼の爪はあらかじめ短く切りそろえられている。

 無人の十字路に立ち、悪魔の登場を願いながら、彼は自分の一番得意な曲をギターで弾く。

 やがて悪魔が十字路にやってくる。

 悪魔がとなりにきてギターを弾き始めても、決してそちらを見てはいけない。

 演奏が終ると、悪魔が互いのギターを交換する。

 悪魔はすでに短く切りそろえた彼の爪を、さらに深く、血が出るほど短く切る。

 その間も決して声を出してはいけない。

 それから悪魔はまたギターを交換する。

 悪魔が立ち去っても決してそちらを見てはいけない。

 彼はギターを弾き続ける。

 すると彼はいつの間にか、どんな難曲でも演奏できる技術を身につけている。



「……こういう儀式がブードゥーに伝えられていたんだ。ロバート・ジョンソンはこの儀式を実行して悪魔と契約したと人々は思った。もちろんそれは違う。彼の腕前が上がったのは墓地の特訓のおかげさ。でもその進歩があまりに凄かったんで人々は『奴は悪魔と契約をかわした』と噂したんだよ」


「へえ」


 五郎さんの話を聞きながら、僕は無意識のうちに指先をこすり合わせた。

 爪を短く切るのか、血が出るのは痛そうだけど、でもそれで凄いギターの腕前が身につくのならちょっとやってみようかな、と僕はのんきに考えた。


「悪魔はただで凄いギターの腕前をくれるんですか?」


「いいや」


 五郎さんは長い髪を揺すって首を振った。


「魂と引き換えだよ」


「魂」


 五郎さんがあっさりいった一言に、僕はショックを受けた。

 油断していたらいきなり籠手を叩かれた気分だ。


(やべえな。やっぱり悪魔の狙いは人間の魂なんだ。そういや星新一のショートショート『悪魔』の結末もやばかったっけ。あれは……)


「逃げるんだ」


「え?」


 僕を見ないで、五郎さんは前方を見つめたまま囁いた。


「今すぐここから逃げるんだ」


「五郎さん、いったい……」


「五郎」


 キーッ! と悲鳴のような鋭い声を上げて、拝殿の屋根瓦から赤い小鳥が飛び立った。

 ハッと長髪を跳ね上げ、五郎さんは素早く背後を振り向いた。


「よけいなことを、いうんじゃないよ」


 僕も振り向くと階段に座った僕や五郎さんの頭よりずっと高い位置で、格子戸の内側に張られた暗幕が細かく震えているのが見えた。

 向こうに誰か立っているのだ。


「わかったね、五郎」


 ドスが利いた低い声はマダムの声だった。

 こんなに怖いマダムの声は初めて聞く。


「……わかりました、マダム」

 

 五郎さんがうなだれると、マダムの声は急に明るくなった。


「坊や、そこにいるんだね? 今夜からあんたも演奏に加わりなさい」


「いいんですか!」


 思わず歓声を上げた。

 実をいうとこの数日ずっと腕がウズウズしていたのだ。


「ああ、うんとやっておくれ。五郎、あとで坊やにコードを教えてあげな」


「はい、マダム」


「じゃあしっかり頼んだよ、坊や」


 スルスルと着物の裾が床を滑る音が遠ざかっていった。

 ようしやるぞ! と勇んで五郎さんを見た。

 五郎さんはうつむいたまま垂らした前髪に顔を隠し、もう僕のほうを見ようとしなかった。


~・~・~


昨日の朝まちがえて古い草稿の第10話を投稿しました。

その後修正した第10話「子踊の豆伊」を投稿しました。

些細な修正ですが、こちらをお読みいただければ幸いです。

森新児


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