第7話 近衛騎士に容赦の二文字はない
翌日から騎士としての仕事が始まったものの、戦闘とはほぼ無縁の生活だったアルエットに課せられたのは「加護の訓練」と「戦闘訓練」だった。
それに加えてもう一つ、エルシーとのお茶会も職務の一つとして与えられている。エルシーの職務が全て終わった夜……就寝前の一時間だけではあるが。
お茶会が仕事って、やっぱ変な感じするなぁ。
お茶と聞くと、どうしても農作業の合間の休憩を連想してしまう。とはいえ、気を抜くわけにはいかない。これは休憩ではなく、あくまでも仕事なのだ。そわそわと落ち着かない気持ちを、紅茶の淹れ方を教えてくれているエルシーの手元を眺めながら紛らわせた。
エルシーが手に取った乳白色のティーカップは厚みが薄く、持ち手の部分も細く繊細な造りになっている。実家で使っていたカップが使い古しのタオルなら、このティーカップはレースのハンカチのような印象だ。
熱いお湯がティーポットへと注がれると、中で茶葉が踊りながら水色を柔らかく染めていく。
「そんなに難しくないでしょう?」
「そうだね。手順さえ覚えちゃえばできそう。次からは私がやるね」
「気を使わなくていいんですよ。こうして誰かのために淹れるなんて、滅多にできることでもないですから」
エルシーの蜂蜜のような黄金色の瞳が静かに落ちる。見逃してしまいそうな小さな寂しさは、諦念の色をしていた。
「座りましょう? わたくし、アルエットとお話するのをすごく楽しみにしていたんです」
エルシーに促され、ローテーブルの前にあるソファへと座る。アルエットの部屋に備えつけられていた椅子も質が良くてふかふかだったが、このソファも例に漏れず柔らかい。家で使っていた木製の椅子とは比べものにならない座り心地だった。
エルシーがティーカップに紅茶を注ぐと、ふわりと白い湯気が立ち昇る。湿り気を帯びた柔らかな熱気が頬に触れ、茶葉の深い香りが鼻先をくすぐった。
「今日は初日だったんですよね。どうでしたか?」
湯気の向こうの笑みは面白い話への期待が膨らんでいるが、今日のことは思い出すだけで笑顔が引きつりそうになることばかりだった。
加護の訓練を担当したフィンチ、戦闘訓練を担当したサイラス。どちらも本当に全く容赦がなかった。想像するだけで唇が疲労で重くなったような気がしたが、エルシーの要望に応えて話すことにした。
* * *
朝、アルエットはシーニュに連れられて屋外訓練場へ来ていた。具体的なことは何もわからず、アルエットの加護である『無効化』に関する訓練としか聞かされていない。
だだっ広い訓練場のど真ん中に、ポツンとふかふかのクッションに座って浮いている人物が一人。退屈そうに足をぷらぷらとさせながら懐中時計の蓋をパチンッと閉じると、怜悧さを秘めたエメラルドブルーが静かにこちらを向く。
「やっと来た。とっとと始めるよ。ほら、あんたはそこ」
フィンチがクッションごとふよふよとこちらへ近づきながら、指をさして場所を指定してくる。アルエットはとりあえず指示に従って、指定の場所へと立った。
「アルエットには習得してほしいことが二つある。その一つ、加護の“付与”の訓練をフィンチに頼んだ」
「……えっと、私以外のものに『無効化』を付与するってことで、あってる?」
「そう。僕の時間をあんたのために割くんだから、ありがたく思えよな」
「う、うん……」
フィンチはクッションの上でふんぞり返り、アルエットをじろりと見下ろした。誰にも見下ろされない絶妙な高さに浮いているところに、彼の意地と性格が滲み出ている。
「よし。フィンチ、早速アルエットを燃やしてくれ」
「へ? シーニュ……?」
「はいはい」
「いや、ちょっと待ってフィンチ先ぱ──」
二人がサッと距離を取るとピリッと空気が変わり、アルエットはとっさに飛び退った。次の瞬間、元いた場所が轟々と音を立てて燃え盛り、炎は旋風のように高く巻き上がる。
「おいっ、避けてどうすんだよ!」
「ホントに燃やそうとしたの!? 酷い! 私は薪じゃないんだけど!」
「燃えない薪とか、無能の極みじゃん。ほら、炎の中に立てってば。団長命令に逆らう気?」
「ぬー……本人に許可なく燃やしてぇ……」
「知らなーい。文句ならシーニュに言いなよ」
渋々炎に手をかざすと、その触れた部分から霧のような虹色の光が微かに散る。きちんと無効化されていることを確認してから、アルエットは指定された場所──炎の中心に立った。
めらめらと静かに揺らめく炎の音が耳を舐めるが、その熱や痛みは届かない。アルエットは自身に触れる炎を無効化していた。
炎の朱と無効化の微かな虹色の光の向こうで、二人は興味深そうにこちらを観察している。炎を全部消してやろうと手をサカサカと芝刈りのように動かしてみたが、消える気配はない。消えた傍から燃え上がる様子に、フィンチが継続的に魔力を使って維持しているのだとわかる。
「思ったより効果範囲が狭いな……」
「あー、思った。狭いっていうか、アルエットに“触れないと”無効化しないって感じ?」
「勝手に燃やして、勝手に期待して、勝手に落胆するなーっ!」
なんて失礼な人たちなんだ。半ば強引に協力要請されて、遠路遥々やって来てこの仕打ち。部屋は豪華で必要以上に厚遇のはずなのに扱いは雑で、そのちぐはぐさに滅多に痛まない頭が痛むような気がした。
「アルエット。今君は魔術を無効化しているが、体に変化はないか? 加護を使うときの力の流れを読み取ってみてほしい」
「力の流れ?」
燃やされているだけだが、どうやらこれも訓練の一環らしい。アルエットは仕方なく感覚に集中してみることにした。力の流れというものは正直よくわからないが、少しずつ体の中から何かが抜けていくような感覚はあった。
「君は触れた対象の力を際限なく無効化しようとする。付与ができれば、生命力の使いすぎを防げるはずだ。使い方の幅を広げることも、君自身の力の可能性を広げることに繋がる」
シーニュの狙いは大体理解した。付与できるようになったところでエルシーの力を無効化しきることはできないだろうが、触れることなく干渉は可能になる。無理のない量の力を切り出して使えるようになれば、触れるというリスクを冒さずに済む。昨日のように倒れることも防げるだろう。
それから魔術の攻撃と停止を繰り返すことで、心臓の奥から熱く湧き上がるような、力の巡る感覚を掴んだ。
午前中ぶっ通しで加護の力を消費したせいか、アルエットはその時点ですでにへろへろになっていた。しかし昼食後、休む間もなくサイラスによる戦闘訓練が始まった。始まった……のだが。
「戦闘能力の基本は、体力、筋力、持久力。土台もないのに戦えると思わないことだね。ほら、アルエット! 速度落ちてる! あなたはもう一周追加!」
「ほぁぁーっ! 君だけは優しい人だって信じてたのにー!」
サイラスの隊に混ざって基礎訓練というものが始まったが、開始早々とんでもない回数の腕立て伏せを命じられた。そして瞬発力を鍛えるための短距離の走り込みへと移り、今は持久力を鍛えるために屋外訓練場内をぐるぐると走らされ続けていた。
畜産農家として力仕事をしていただけに体力には自信があったが、こんな全ての力をすっからかんにされるような動きを求められたのは人生で初めてのことだった。
「はい、一旦休憩!」
その張りのあるサイラスの一声が、天啓のように聞こえる。アルエットはよろよろと地面に手をつき、べしゃりと崩れるようにへたり込んだ。呼吸はなかなか整わず、ぜぇぜぇと音を立てて息が上がっている。
「み、みんな……毎日、こんにゃ訓練……聖、騎士って、しゅごい、ねぇ……」
サイラスの隊の騎士たちは、肩を上下させながらもどこか余裕があるような……清々しい表情で座って休憩している。その様子を見て、アルエットは尊敬の念を抱いていた。こうした日々があって聖女のエルシーは守られているのだと、食べ残しの干し草のようにくたばりながら噛み締めていた。
「あんた初めてなのに、サイラス隊長の訓練についてこれるなんてなかなか骨があるな」
「オレは最初、もっとバテバテだったっけなぁ。頑張れよ、新人」
こんなどこの馬の骨とも知れない人間がいきなり団長補佐という立場を掻っ攫ったというのに、かけられる言葉はあまりにも優しく明るい。和やかに笑ってこちらを見る目の温かさに、アルエットは少しだけ救われたような気がした。
『聖騎士も一応は聖職の一つ、それも聖女の隣に立つ模範たるべき騎士。程度の低い感情で足を引っ張る人間など不要だ』
アルエットは、昨日シーニュに言われた言葉を思い出していた。嫉妬という感情がないとは言わない。けれどそれに足を取られるほど彼らは落ちぶれていないし、近衛騎士という立場に誇りを持ってここにいる。自分の価値感で彼らを侮ったことを、アルエットは反省した。
アルエットはその激励のひとつひとつを宝物のように胸にしまいながら、深く息を吸い込む。ゆっくりと吐き出すと、少しだけ疲れが飛んだような気がした。
「次は槍術の手解きをするよ」
「ひぇぇ〜……もぉ……休憩、終わり、らって……?」
「はい、これがアルエットの槍ね。体格に合わせて短槍にさせてもらったから」
まだ息も整わないうちに休憩時間の終わりを告げられ、アルエットはがっくりと肩を落とす。サイラスから押しつけられるように差し出された短槍を渋々受け取り、杖代わりにしながら震えそうな足に力を入れて立ち上がった。
「新品の槍をいきなり杖代わりにするとは……君の感覚には恐れ入るな」
「シーニュの言葉を意訳すると、武器は大切にしようって意味だね」
「ひゃい……」
確かに伯父のモーガンも、農具は大切にと常々口にしては、大切に磨いていた。あまりにもへろへろすぎて、そこまで頭が回っていなかった。けれど、これから使い続ける短槍だ。相棒として大切しなければ。
渡された短槍を見上げると、普段農作業に使っていた農業用フォークよりもやや短いのがわかる。柄は心なしか細く、しっかりと握りしめられるが、農業用フォークのどっしりした握り心地に慣れているアルエットにとって不安定に感じられた。
「まずは基本の構えから」
サイラスが構えを取り、それを真似ようと両手で持ち上げた瞬間、前のめりによろめく。農業用フォークよりもやや軽いが、重心の位置が違う。穂先にぐっと重さを感じ、腕立て伏せで疲労が蓄積した腕がぷるぷると情けなく震えていた。
「もっと無駄な力は抜いて、自然体で」
「そ、そんなこと言われたって……」
確かにサイラスの構えは、槍が体の一部のように自然体だ。余計な力もなく、まるで槍に身を任せているようにすら見える。とりあえず短槍の重心を意識し、構えてみた。いつも使っていたものより少し軽いとはいえ、この重さのものを武器として振らなければならないのだから、農業用フォークより確実に腕力を試される。
「俺と会ったとき農業用フォークを振り回していたはずだが、まさか構えてるだけで限界とは……」
「違うっ! 確かにいつも使ってたけど……! 今日は、腕立て伏せのせいでぷるぷるなんだよーっ!」
「よしよし、わかった。明日からは走り込みを減らして腕立てを増やそうか。筋力に余裕が出ることは、継戦能力に直結するからね」
「ははは……もう、どうにでもして……」
全く訓練内容を緩める様子もなく、サイラスは楽しそうに笑っている。初めて会ったときと同じ、穏やかで温かみのある笑顔で。走り込みを減らしてくれただけ温情かもしれない。この悲惨な現状に、アルエットはただ……天を仰ぐしかなかった。
「一週間後の『祈赦の日』が君の初任務だ。それまでに騎士としての振る舞いも叩き込む。黄昏れてる場合じゃない」
「えっと、『祈赦の日』? 何する日なの?」
「神に祈り、祝福と赦しを得るという定期祭祀の一つだが──」
そこまで口にしてシーニュは言葉を切った。するとこちらへと距離を縮め、彼は口元をアルエットの耳元へと寄せる。
「──恐らく『絶対正義』の洗礼を浴びる機会になる。心構えはしておいた方がいい」
低く潜められた、さり気ない囁き。告げられた言葉が、隙間風のようにそっと入り込み、胸の奥が麦の穂のようにざらりと波打つ。すぐ背後にまで、ざわざわと嫌な気配が迫っているような感覚に、微かに息が詰まった。




