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『絶対正義』の聖女は救われたい  作者: まな板のいわし
第2章 救われたい聖女と守る者たち
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第6話 それは人々を歪ませる

 水球を無効化して霧散した虹色の霧が、部屋の空気に溶けて消える。室内がしん……と静まり返っていた。


 なぜシーニュを攻撃したのかはわからない。彼なら最悪直撃しても『攻撃反射』で怪我をしないと考えたのか。試すのなら、直接こちらに水球を向ければよかっただけの話だというのに。アルエットは魔術を使った犯人であるフィンチを、ぐっと睨みつけた。


「へぇ……思ったよりはやるじゃん。田舎者のくせに。ま、その反応速度なら、及第点ってとこかな」


 そうして初めて、フィンチは笑った。嘲笑ではないけど意地悪く、どこか面白いものを見つけた子供ようなイタズラっぽい笑みで。どうやら『無効化』だけでなく、攻撃に対する反応速度まで試されていたらしい。


「フィンチ・アスター・ネーヴェ。ネブラクシア王国代表。他の二人は脳筋だけど、僕はネブラクシアでも指折りの天才魔術士様だ。敬えよ」

「ごめんなさいね、アルエット。フィンチはエルシー様以外に対しては、大抵“こう”なんですの」

「あーあ、まーたロンディネが、モツ煮みたいにぐにゃぐにゃ歯切れの悪い言い方してる。ウザ……」


 ロンディネの口ぶりからして、フィンチはエルシー以外には、全方位で態度が悪いようだ。それは騎士団長であるシーニュや年上のロンディネへの対応を見ていれば自ずと見えてくることでもあった。


「アルエットは今日初めて会うんだ。もうちょっとまともな空気保ってくれないか? ほら、シーニュも団長としてなんとかしてくれ」

「なんとかしてどうする。どうせ“こう”なんだから、アルエットにも早く慣れてもらった方がいい」

「段階ってものがあるだろ……段階ってものが……」


 部屋に入ってきたときの緊張感はもうすでになく、砕けた空気になっている。シーニュはこうしたやり取りの雰囲気に慣れきって諦めていて、サイラスは呆れて頭を抱えている。二人とも真面目な人柄だったが、明らかな考え方の違いがここによく表れていた。


 三人の自然体な雰囲気に、アルエットはふっと心をほどかれたような気持ちになった。フィンチもロンディネも言葉は厳しかったが、どちらも組織やエルシーを思っていたし、それは巡り巡って『ただの田舎者には厳しい環境じゃないか?』という、アルエットへの配慮でもあったことにも気づけた。


「あの……名前教えてくれてありがとう。よろしく、フィンチ先輩」

「口の利き方はイマイチだけど、まぁ善処した方か。僕は身の程を弁えるヤツは、嫌いじゃない。田舎者から、新人に格上げしてやってもいい」


 アルエットなりに“敬意”の形を考えて呼んでみたが、フィンチもひとまず納得してくれたようだ。一番否定的だった彼の中で、田舎者という“よそ者”ではなく、新人という“騎士の一員”としてギリギリ認識され、ホッと胸を撫で下ろした。


「顔合わせも済んだところで、本題に入りたいと思う」

「確かエルシー様の件でしたわね。どうぞ、いつでもお話しになって?」


 ロンディネに促されると、シーニュは一人ずつ順繰り顔を見た。自然と室内に沈黙が下り、彼は静かに口を開いた。


「今まで誰にも話してこなかったが……エルシー様の加護、『絶対正義』について話しておきたい」


 重く、低い声だった。その重さに、昨日エルシーと話した内容をアルエットは思い出していた。


 端から聞くと違和感を感じるほどのこじつけに近い感情を、疑いもなく当然だと信じ込む強制力。何をしても“正しい”、“間違ったことはしない”と盲目的に信奉される……不気味で奇妙な力のことを。


「何、そのダッセェ名前の加護」

「おわー! 私が思っても言わなかったことを……!」


 近衛騎士隊長が集まる中で、まさか第一声がこれだとは思わず、率直な感想が反射的に口をついて零れてしまった。この真剣な空気でよくそれを言う気になれたな、とアルエットは目をひん剥いてフィンチを見た。


 確かに同じことを思った。なんだか“子供のごっこ遊び”にでも出てきそうなセンスの名前だなと。あえて言わなかったのに、空気を読まずに言えてしまう神経の図太さに恐れ入る。


「そんなふうに考えていたのか。失礼だな」

「シーニュ……そのセンスは子供っぽいにもほどがあるような気がするが……」

「いや、考えたのはエルシー様だが」

「は? エルシー様がこんな“痛い”名前考えつくわけないし。恥ずかしくなって、なすりつけるとか正気? 不敬だ、不敬。斬首な」


 毒舌なフィンチはともかく、サイラスまでシーニュと決めつけつつ同意を口に出してくるとは思いもしなかった。おまけに冗談とはいえ、フィンチは「斬首」なんていう過激な単語を口にしている。妙なほど極端にエルシーを庇う様子に、アルエットはほんの僅かな違和感を感じ、ふと思ったことを口にしてみることにした。


「これってまさか、エルシー様は間違ったことをしない……みたいな、『絶対正義』の影響だったりするのかな?」

「若干しょうもない気はするが……多かれ少なかれあるかもしれないな」

「おい、二人だけで勝手に納得すんな」

「ちょっと、落ち着いてくださいまし。これでは進む話も進みませんわよ」


 ざわざわと混迷した場に、アルエットはもう一つ言葉を落とすことにした。これが、『絶対正義』を理解するための一歩になるかもしれない。


「一つ聞いていい? もしエルシー様がここにいて、『わたくしが名づけました』って認めたら、どう思う?」


 アルエットの質問に対し、三人は顔を見合わせた。それはまるで「なぜそんな当たり前のことを聞くのか」と、不思議に思っているような顔つきだった。


「それは、シーニュを庇おうとしてるだけなんじゃないか?」

「えぇ、エルシー様はお優しい方ですもの。シーニュが笑われていることを見過ごせないと思っても、何ら不思議はありませんわ」

「えっ、でもエルシー様本人が……」

「さすが新人。エルシー様のこと、なーんにも知らないんだね」


 背筋にゾクッと寒いものが走り、アルエットは思わず息を呑んだ。こんな些細なことでさえ、都合の悪いことはエルシーのこととして認められない。穏やかに笑って、当然のように言葉を交わす三人の様子に、心の奥が冷えていくような心地がした。


 伝わらない。エルシーが直接発した言葉と仮定しているのに、なぜエルシーの言葉をそのまま受け止めないのか。冷静に考えなくてもエルシーが発案した可能性があるはずなのに、どうして欠片もそこに言及しないのか。


 それまで話が通じていたのに、エルシーのことだけは別のものを見ているようにズレる……そんな感覚に近い。


「そっか、わかった。教えてくれてありがとう」


 不意にシーニュへ視線を向けると、ずっとこちらを見ていたのか目が合った。それは『絶対正義』の片鱗を掴みかけたアルエットに、「君もそろそろわかってきたんじゃないか?」と問いかけるような、静かな深刻さの滲む眼差しだった。



 その後、『絶対正義』に関して、昨日アルエットが聞いたものに近い内容が三人へと共有された。同時に、なぜ『無効化』の力を持つアルエットが未経験の田舎者にも変わらず抜擢されたのかも察したようだった。


 そしてこの話は、当事者のエルシー、騎士団長のシーニュ、近衛騎士隊長の三人とアルエットのみが知る事実として、緘口令(かんこうれい)が敷かれた。


 三人は『絶対正義』のことに、にわかには信じられない……といった反応を示していた。自分の心から湧き立つ感情が加護によって“歪められている”と言われたところで、確かめようもない。確証もないのに、すんなりと受け入れることが難しいことくらい、アルエットにもわかる。


 それでも、誰一人として、頭ごなしに否定するような言葉を口にしなかった。先程までのように感情的に物を言うことはできたはずだった。なのにそうしないのは、『絶対正義』というものの本質を、たったこれだけのやり取りの中で飲み込んだからかもしれない。


『エルシー様の力が、そんなもののはずがない』


 その一言がどれだけ盲目的で、『絶対正義』によって思考を停止させられた考えであるのかを、きっと三人は理解した。『絶対正義』がどのようなものかを提示されたことで、感情を切り離して論理で咀嚼する。それができるからこそ、彼らが近衛騎士隊長という立場にいられる人間なのだと伝わってくる。


 もし自分に『無効化』の力がなく、「あなたが伯父夫婦に抱く感謝は加護で歪められている」と言われ、それを丁寧に説明されたところで、冷静に考えて対応できる自信はない。それこそ「そんなわけない」と感情的に反論していただろう。


「『絶対正義』の影響力がどれほどのものかはわからない。けどエルシー様の周りに、たまに澱みが視える理由が……なんとなくわかったよ」


 少し腑に落ちたような顔で、静かにサイラスは呟いた。その瞬間、空気が微かに変わる。フィンチとロンディネの瞳に、戸惑い以上の真剣さが宿っていた。けれど、アルエットにはその理由がわからず、小さな疑問が湧き上がっていた。


「澱みが視えるって、どういうこと?」

「俺の加護は『感情視認』なんだ」

「『感情視認』ってことは、感情が視えるの?」

「ハッキリとわかるわけじゃないけどね。施しに感謝する信者と微笑み合っているのに、なぜかモヤモヤと陰ることが多くて……陰るってことは、本人はあまり良い感情じゃないってことはなんとなくわかるから、前々から気になってたってだけだよ」


 サイラスがエルシーに“澱みを視た”と伝えたことが、空気が変わった契機だった。フィンチとロンディネはサイラスの加護が何であるかを知っていたからこその反応だったのだろう。


「まぁ実際、エルシー様からは常に微弱な加護っぽい気配はいつもしてるしな」

「そうでしたの? サイラスが視た澱みにフィンチの感じた気配……エルシー様の心を曇らせている“何かの力”はある、ということですわね」

「なんか対策とか問題解決に向けて手を打った方がいいんじゃない?」

「フィンチの言う通りだ。だから俺は、君たちの力を借りるために話をした。最もエルシー様に近く、関わりも多い。少しでも心労を取り除けるよう、意識して接し、尽力してもらえないだろうか」


 シーニュの言葉に、躊躇うことなく三人は同意した。聖女近衛騎士としての務めであるということはもちろんだが、それ以上にエルシーの助けになりたいという純粋な思いが、凛と瞳に宿っていた。


「俺は『感情視認』で、どういうときにエルシー様が『絶対正義』の歪みを感じるのか、しばらく観察しながら対応してみるか……」

「じゃ、僕が過去の聖女の文献とか漁ってみるよ。『絶対正義』がなんなのか、多少記述が残ってるかもしんないし」

「あたくしはあまりお役に立てそうなことがありませんわね。ひとまずあたくしの中に湧く感情と事実とを分けて、客観的な視点で分析するよう意識してみますわ。これで歪みへの対応策が見出だせれば良いのですけれど」


 それぞれが、今自分にできそうなことを模索し、方針を共有している。些細な……小さな一歩かもしれない。それがエルシーの『絶対正義』の苦悩を解決するきっかけに繋がるのかもわからない。


 彼女はこれだけ大切にされている。決して加護の力だけがそうさせているわけじゃない。それでも、簡単に覆らない現実がある。


──それは、これだけ思われていても、“本当のエルシー”の姿は、彼らには届かないということだ。


「“絶対正義”と、そんな極端な名を選んだこと自体に、エルシー様の絶望が詰まっている。そのことを忘れないでくれ」


 自分から発した言葉や思いがまっすぐに届いてくれないからこそ、エルシーは孤独に苛まれている。彼女の環境を思うと、まるで自分という存在そのものが何か別の物に上書きされていくような……自分自身ですら本当の自分がどんなものであったのかを見失っていくような、そんな心地にさせられる。


 周りにどれだけ温かな感情や思いがあっても、紛い物となっていく。目の前にある現実があまりにも切なく、残酷に見えた。


 けれど『絶対正義』に歪められていたとしても、その奥には本物の思いがあると信じている。そしていつかそれが、エルシーの心に届きますようにと、アルエットは心密かに祈った。



 * * *



 会議での話し合いが終わってからは、騎士団長であるシーニュ直々に屋敷周辺の敷地内を案内してもらった。


 エルシーが住む屋敷は全部で七つの棟に分かれている。彼女が住む棟を取り囲むように、食堂や宿舎、訓練場などが建てられており、聖女近衛騎士は主にここで生活をしている。


 アルエットは最後に、専用の個室として用意された部屋へと案内された。宿舎として使われている棟とは別の、近衛騎士隊長クラスにしか許可されない騎士棟の一室を貸し与えられるらしい。


 個室は入ってすぐのところが執務室としての役割を果たし、扉を隔てたもう一部屋が寝室のようになっている。各部屋同じ造りになっているのだから、この棟も例に漏れず贅沢にお金をかけて造られた建物であることが垣間見える。


「こ、こんな高待遇でいいの……? 妬まれない? なんか怖いんだけど……」

「君は俺の補佐だからな。近くにいなければ意味がない。だから問題ないだろう」

「いや、そうだけどそうじゃなくて」


 なんかこの人、話が通じないんだよなぁ……


 シーニュには、これまでもなんとなくズレた答えを度々返されている気がする。こんな調子で騎士団長が務まっているのだろうか。そんな疑問に首を傾げていると、シーニュからくすっと微かに笑った気配がした。


「仮にアルエットを妬む者がいたとしよう。そんな者は即刻辞任してもらう」

「じにっ、辞任!?」


 ぽっと出で隊長クラス扱いされる“狡い”田舎者を妬んだだけで聖女近衛騎士を辞任させられるなんて、あまりにも対応が過激すぎる。聖騎士になるだけでもかなりの鍛錬が必要だというのに、聖女近衛騎士ともなれば選りすぐりの隊員だ。そんな努力が一瞬で泡になるなんて、気の毒すぎて言葉も出ない。


「大げさだと思うか? 聖騎士も一応は聖職の一つ、それも聖女の隣に立つ模範たるべき騎士。程度の低い感情で足を引っ張る人間など不要だ」

「理屈が通ってるような、通ってないような……なんかもう、なんでもいいや……」


 シーニュの極端な方針も、聖騎士団の“騎士団長様”の価値観も、田舎者のアルエットでは想像もできない境地にあるのだろう。ならば、理解できないのは仕方ない。冗談なのか本気なのかすらも、もうわからない。そんなふうに考えながら、乾いた笑いしか出なかった。

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