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第48話 時は残酷に移ろえど灯火は絶えず【サイラス視点】

 手足の動かし方を忘れてしまったように、体が動かない。感覚はあるのに、それが体と結びつかない。ただ感情と感覚が、勝手に動く体にしがみついているだけの状態だった。


 まるで暴れ馬に振り回されてるみたいだ。


 身体が、もう自分のものではなくなってしまったかのように、意思とは関係なく動いている。勝手に動かされているだけの体なのに、その槍術がそっくりそのまま自分の動きなのが……気持ち悪い。


「サイラス……! 君が守りたかったエルシーの姿はアレなの!? 違うでしょ!!」


 アルエットの叱咤が、心の奥に残るサイラスの核を突き刺す。あんなものが守りたいエルシーの姿であってたまるかと思うのに、指先一つまともに制御できていない。


 迷いなく繰り出されるサイラスの槍を、アルエットはギリギリのところで槍で受け、矛先を逸らす。次から次へと襲う攻撃を彼女は冷静に一つずつ往なしていた。


 サイラスから槍術学んだ彼女は、サイラスの動きをよく知っている。それまでの知識や経験と、優れた動体視力を合わせることで攻撃に対応している。


 アルエット、強くなったね……


 戦いとは無縁の田舎暮らしから、いきなり近衛騎士として聖騎士団に放り込まれた不憫な人。最初はそんな印象だった。けれど、彼女の朗らかさは騎士たちの心をほぐし、あっという間に馴染んで慕われるようになっていった。


 自身が体得した槍術は、余すことなく叩き込んできたつもりだ。まだまだ未熟で洗練されていないが、この短期間で本当によく頑張ってついてきてくれた。筋も良く、食らいついてくる胆力もある。だからこそ、ここまで物にできたのだろう。


──反逆者は排除してください。


 頭の中で別の誰かが命令している。アルエットを殺せと言っている。努力がようやく芽を出したばかりの弟子を、よりにもよって師匠とも言える自分が摘み取るのか。


 加護の『感情視認』で視るアルエットは、いつも単純な構成だった。常にまとう彼女の瞳の色によく似た淡い色の諦念。そのときの感情。そしてその奥に──決して陰ることのない確かな光が視えていた。


 焦燥。苛立(いらだ)ち。疲弊。限界スレスレの命の応酬。攻撃の対応だけで必死なアルエットの精神が擦り減っていく。これまで陰りを見せなかった光が、鈍く霞んでいく。


 サイラスの槍がアルエットの腹部を刺し貫こうとしていた。そこへフィンチの魔術が炸裂する。小さな爆発が起き、防御すらしようとしない体が木の葉のように吹っ飛んで地面を転がった。


 フィンチの言葉を借りるなら、どうやらこの体を操っている何かは、サイラスより“脳筋”らしい。体は動かないくせに、全身を強打した痛みだけはしっかりと感じている。


 けど、今の痛みで頭が冴えた。


 再び動き出そうとする体を、神経を集中させて押さえつける。なんとか自分の制御下に置けないか、一つずつ感覚と体を繋ぐように取り戻していった。


 一度取り戻すだけでとてつもない精神力を使う。息は上がり、汗が頬を伝う。サイラスは半ば無意識に、玉座に座らされているエルシーを見た。


──エルシーが、泣いてる……?


 ここに来たときから、一切エルシーの感情が視えなくなっていた。けれど今は、それが視えている。心が死んでしまったわけではない。エルシーの心は、まだちゃんと……ここに残っている。


 視認できても読み取るのが難しいほど、エルシーは複雑な感情をまとっている人だった。そんな彼女が今は──悲しみ一色に染まっている。涙は流していなくても、その痛みと苦しみが、目を通して伝わってきた。


「エルシーを、泣かせるなっ……エルシーの心を踏みにじるな……!」


 エルシーを連れ帰るためには、メサンジュをどうにかする必要がある。本調子でない体を引きずるように起こし、槍を杖に立ち上がろうとした。


「泣いてなどいませんよ。痛みも苦悩もなく、エルシーは幸せの中にいるのですから」


 メサンジュ。

 あいつだけは、何があっても……


「そうでしょう、エルシー?」

『メサンジュは……始祖エーテルの言葉を下ろす、救世主です。彼を神とし崇め、信じなさい』


 エルシーが言葉を口にした瞬間、また全身が縛りつけられたように動かなくなる。無防備になったところに、頭の中に手を突っ込まれて、指先で脳を捏ねくり回されているような感覚が襲う。


 (おぞ)ましいほどの寒気と畏怖、そして心が溶けるような敬愛と多幸感。毎回毎回これが繰り返され、沈められていく。


 エルシー……どうしてメサンジュの手を取ってしまったんだ?


 『絶対正義』に蝕まれ、自分が塗り替えられていく。エルシーの姿が塗り替えられていく。あれがエルシー自身が望んだ姿。エルシーが選んだ相手。彼女が幸せなら、自分の気持ちのやり場なんかどうだって良かった。


 だから、彼女が望んだこの世界の形をあるがまま受け入れて──


『大丈夫、サイラスが泣いてるときは、わたしが励ますからね』


 幼い頃の、まだ聖女として覚醒する前のエルシー声が聞こえる。サイラスは幼い頃は気弱でおとなしく、同年代の活発な子にからかわれたり、いじめられていた。


 言い返したり、やり返してやりたい気持ちがなかったわけじゃない。それでも行動に移さなかったのは、抵抗することで、相手の“憎悪”や“怒り”が膨れ上がっていくのが『感情視認』のせいで視えてしまうのが怖かったからだ。


 黙っていれば、感情が満たされて落ち着いて、去っていく。耐えきれず、めそめそと泣くことしかできない意気地なしを、エルシーは見捨てなかった。小さな町の誰より正義感が強くて、思いやりがあって、けれど繊細で傷つきやすい人でもあった。


『見てよ、サイラス。髪の毛真っ白になっちゃった……なんかわたし、聖女に選ばれちゃったみたいで……』

『白じゃなくて、銀じゃない? 俺はそれも、雪みたいで綺麗だと思うけど』

『……ありがとう! やっぱり一番にサイラスに会いに来て良かった! あのね……わたし、王都に行くことになったんだ。だから……お別れになっちゃうみたい。あっ、出発は一週間後だから、ちゃんと忘れず見送りに来てね。絶対だからね』


 そのときになってようやくサイラスは自覚した。エルシーと一緒にいる日々が当たり前のものではないことに。そして、彼女に淡い想いを抱いていたことに。サイラスはこの日に、エルシーを支えるために聖騎士を目指すことを決めた。


『近衛騎士隊長に就任したんですね。おめでとう、サイラス』


 エルシーは、サイラスが近衛騎士隊長になることをあまり嬉しくは感じていなかった。感情が視えてしまうからこそ、何か陰りがあることは感じていた。その正体がなんだったのか、いまだに掴めていない。


 近衛騎士になって、幼い日の姿からは想像もできないほどに聖女らしくなったエルシーに、彼女の努力を感じていた。変わってしまった部分に寂しさを覚えることもあった。けれど、本質は何も変わっていない。そこは『絶対正義』に惑わされていない感覚だと信じている。


 今もエルシーは、正義感が強くて、思いやりがあって、繊細で傷つきやすい人のまま……変わっていない。


──吐きそうだ。


 この世界を受け入れる……冗談じゃない。こんな世界、エルシーが一番望んでいないことくらいわかる。自分だけ幸せになって、他の人たちを従えて導こうなどという傲慢さなんか欠片もない人だったはずだ。


 俺が、俺が好きなエルシーは──


 それでも体が言うことを聞かず、アルエットを殺そうとして疼いている。いっそまだ体が制御ができているうちに槍を投げ捨てようか、そう思ったときだった。


 淡い薄緑の光が、閃光のように眩く弾ける。なんとか顔を動かすと、アルエットの目の前に薄緑の光の玉が浮いて、まるで鼓動のように明滅していた。目を凝らすと、それが世界樹の葉であることに気づく。


 呼吸するように光の明滅は力強さを増し、柔らかく波のように光の波紋を広げた。その光が体に触れた途端、自分の中に蠢いていた得体の知れない異物が……体に染みついた呪いが、まるで浄化されたように消えていく。


 そこでようやく必死に抵抗して全身に入れていた力が、スッとほぐれて緩み、心の奥から解放されていった。

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