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第47話 救いの手なき戦場

 エルシーの頬に触れる寸前、メサンジュの指先がゆっくりと離れる。彼はその指で眉間を押さえながら、やれやれと言わんばかりに深いため息をついた。改めてアルエットに向けた眼差しは柔らかく見えるのに、ありありと憐れみと苛立(いらだ)ちを湛えていた。


「学のない民草に理解など求めません。説いたところで理解する頭もないでしょう。ただ羊のように導かれていれば良いのです」

「うん、説いてくれなくていいよ。興味ないし。それよりさ、神託が全部君の仕業ってことは、ロートヴィル村の厄災も私の処刑も、君が自作自演したってことだよね?」

「だとしたら、なんだというのです? 身の程を弁えない小汚い娘が高貴なエルシーの傍にいるのですから、追い払うのが愛というものでしょう? その過程で何があろうと、私の知ったことではありません」


 メサンジュは恍けたような顔で大仰に肩を竦める。平民で田舎者のアルエットに、どこまでも小馬鹿にした態度を貫いていた。それだけで根本的な人間性は十分に測れる。そして、明確な返事はなくとも答えは出たも同然だ。


「そっか、君のせいか……“高貴な聖職者様”とは思えない言葉で口汚く罵ってくれたけど、私のこと……そんなに怖かった?」


 メサンジュはなんとしてでも、アルエットをエルシーから引き離したかったのだろう。『絶対正義』を反射してしまうシーニュと違い、アルエットは純粋にただ影響を受けないだけの、エルシーにとって理想の存在だった。


 エルシーに恋情を抱き、自分のものにしようとしているメサンジュにとって、その“唯一”の“特別”が目障りで仕方ないに違いない。


「だって私の『無効化』、エルシーにとって、世界でたった一人の特別だもんねぇ〜?」


 アルエットは、メサンジュに向けて勝ち誇ったように笑ってみせた。君が私に敵うところなんかない、というくらいの自信を乗せて。


 メサンジュは穏やかで落ち着いた微笑みを崩さないものの、瞳に宿る光が明確に殺意のあるものへと変わる。それを見て、アルエットは思わず小さくほくそ笑んだ。


 喧嘩売ったのは、ロートヴィルに手を出したそっちが先だよ。

 田舎娘ってナメてるんだろうけど、私は屠殺(とさつ)で慣れてるから。

 一度殺ると決めたら殺れる方の人間なんだよね……こう見えて。


 今まで生きてきて、初めて人に対して殺意が芽生えた。みんなの平穏を奪い、アルエットから家族と居場所、そして命までもを奪おうとした人間。許せるわけがない。許す気もない。


 話してても時間の無駄。

 エルシーに現実叩きつけてもらった方が効くでしょ。


「エルシー、聞いたー? こんなキッショい選民思想ヤバい男の話、いつまで信じるの? そんなとこ座ってボケーッとしてないでさ、私と帰ろうよ」


 呼びかけても、エルシーは(まばた)き一つ返してくれない。じっと焦点の定まらない空洞のような眼差しで、人形のように虚空を見つめている。


 その瞳は彼女の朝日のような黄金色ではなく、メサンジュの瞳と同じ色に染まったままだ。あの瞳の色が戻らない限り、完全に彼の支配下に置かれていると考えて良さそうだ。


「ねぇ、エルシーってば、またお茶会で恋愛話しようよ! そしたらさ、『エルシーって、男の趣味悪すぎ』って笑い飛ばしてあげるから!」

「エルシーは私を愛しているのですから、君の声になど耳を傾けるはずもないでしょう。真に彼女のためを思うなら立ち去りなさい」

「ねぇ。私がいつ、君に話しかけた? 恋人気取り、本気で不気味だよ?」


 アルエットは槍を握り直し、エルシーに近づこうと前に出る。壁のように並んでいた神官と聖騎士が、メサンジュの命令で動き出す。正直神官の魔術は『無効化』があるから無視でいい。聖騎士の近距離物理攻撃だけは受けないようにしなくては。


 迎撃に備えて槍を構えたアルエットの真横を軽やかに誰かが追い越していく。淡い金の髪が流星のように駆け抜け、銀の剣が陽光を跳ね返して閃いた。


 シーニュは重心は低くし、潜り込むように相手の懐に飛び込むと、目にも留まらぬ速さで剣の柄による打撃攻撃を浴びせていた。シーニュと聖騎士たちでは一つ一つの動作の速さが全く違う。複数を相手にしても全く怯むことなく、むしろまだ余裕を感じるくらいの身のこなしだ。


 シーニュが薙ぎ倒していく聖騎士や神官を、アルエットは『無効化』を付与した槍の柄でつついて回った。気休めかもしれないが、少しでも加護の影響を減らし、不利な状況を覆したかった。


「さすがは聖騎士団長。『攻撃反射』まで持っていて、本当に厄介な方ですね。エルシー、新しい駒を補充してください」

『反逆者を排除してください。幸福と安寧を脅かす者は、何人たりとも許してはなりません』

「新しい駒……?」


 後方で呻き声が聞こえ、とっさに振り返る。その声は胸元を掻き毟るようにきつく握りしめて(うずくま)るサイラスのものだった。フィンチとロンディネに至っては無言で、明らかに様子がおかしい。先ほど使われていた聖騎士たちの雰囲気によく似ていて……嫌な予感しかなかった。


 次の瞬間、放たれた矢のような速度で双剣を抜いたロンディネがアルエットに迫る。対応できそうな速度に見えるのに、体はそれ以上に遅くしか動かない。風術を機動力に変えたロンディネの近距離戦闘術の恐ろしさが、文字通り体に刻まれようとしている。


 あ、これ……間に合わない──


 槍の柄で防ぐよりも(はや)く、ロンディネの双剣の刀身が眼前に迫る。その直前、アルエットを大きな影が包み込み、横方向へと転がった。回転する視界の中、ロンディネの双剣が空を斬るのが見えた。


 すぐに立ち上がったものの、一拍も置かないうちにロンディネが迫り、シーニュが剣で受け止める。その二の腕のあたりの袖が裂け、切り傷から血が滲んでいる。庇ったときにアルエットに触れていたせいで『攻撃反射』が無効化されたことが原因だった。


「シーニュ、怪我……!」

「言っただろう……君を守ると」


 魔物討伐で怪我をしたアルエットに、シーニュは「二度と君が負傷しないよう、守ると約束する」と言っていた。こんなふうに守られるしかない自身の無力さと弱さに腹が立つ。


 こんなんじゃ、メサンジュに届かない……!


「ロンディネは俺が相手をする。フィンチを無力化してくれ。下手したら君と俺以外全滅する」

「わかった!」


 指示がもらえるなら、やれることをやって少しでも戦力になりたい。その一心で、アルエットはすぐにフィンチを視界に捉え、駆け出す。


 フィンチは生成された法陣の光の中で(うつむ)き、腕に爪を立てている。固く目を閉じ、喘ぐような呼吸を繰り返して必死に魔力を押し留めようとしていた。今にも意識が擦り切れそうになっているのが、遠目から見てもわかる。


「エルシー様、ごめん……恩は返すって決めてたけど……その命令だけは、絶対、聞かない……から、な……」


 フィンチは自身に言い聞かせるように、掠れた声でうわ言のように呟いている。彼の肩に触れると、法陣が光の粒子となって空気に淡く溶け消えた。


 魔力の流れが無効化で止まり、同時に『絶対正義』の影響まで消えたのか、フィンチは安堵したように膝をつく。肩を大きく上下させ、額には冷や汗が滲んでいた。


「はぁ、きっつ……サイラスはギリ、ロンディネは……ダメみたいだな」


 フィンチは目線だけで状況を確認したあと、一度深く息を吸いこんだ。少しだけ呼吸を落ち着けると、アルエットの耳に顔を寄せる。


「サイラスを『無効化』でなんとかしてこい。神官相手には望み薄だけど、幻術でメサンジュを無力化しろって伝えて」

「行ってくる!」


 フィンチに耳打ちされ、アルエットはサイラスの方へと向かう。サイラスは膝をついた状態で蹲ったままほとんど動いていない。


『サイラス、フィンチ、反逆者を排除してください』


 エルシーの無感情な声が神殿の空気に溶けて広がる。背後から苦しげな声が聞こえ、思わず振り返った。


「フィンチ先輩……!」

「バカ!! 僕は……いいから、サイラスを早──アルエット、後ろ!!」


 とっさにふり返ると、サイラスが槍をアルエットに向けて薙ぐ態勢に入っていた。薙ぎ払いに対応しようと槍を構えようとする直前、二人の間にフィンチの魔術である炎術の小爆発が起きる。『無効化』で無傷だったアルエットに対し、サイラスは衝撃に怯んで数歩後退した。


「シーニュ! 早く……ロンディネを制圧しろ! アルエットとサイラスじゃ、アルエットが死ぬ!」

「わかっている……!」


 シーニュ自身がロンディネを“近衛騎士で最も近距離戦闘向き”と評価しただけあって、かなり苦戦している。もちろん反射すれば自動的に反撃できるのだろうが、反射された斬撃にロンディネの体は耐えられない。


──それはシーニュにとって過去の悲劇の再演であり……ロンディネの死を意味する。


 絶対に攻撃を受けるわけにはいかず、決定打になるような攻撃をしかけることもできない。むしろシーニュがここまで持ちこたえている方が不思議に思えるほどだった。


「エルシー……俺は……!」

「サイラスしっかりして! そんなショボい姿、エルシーに見られたら幻滅だよ!」


 サイラスは無意識の状態と意識のある状態を行ったり来たりしている。駆け出そうとしては立ち止まり、立ち止まっては槍を構えてアルエットを見据える。危なすぎて近づくに近づけず、アルエットは投げナイフに手をかけた。


「ごめんサイラス! 許して!」


 アルエットは意を決し、投げナイフに『無効化』を付与してから彼の利き手ではない方の腕を狙って投げた。投げナイフは僅かに狙った軌道から逸れ、サイラスの左肩あたりを掠める。刃がサイラスに当たったおかげで、彼は操り人形の糸が切れたように崩れて座り込んだ。


「エルシーの力を拒む愚かな二匹の仔羊よ。この世界に君たちの味方はもう誰もいない」

「テキトーなこと言わないで。三人とも力でねじ伏せてるだけで、心はちゃんと味方なんだから、黙ってて!」

「下民は粗野で口も悪い。だから嫌なのですよ」


 アルエットもシーニュも魔術が効かないからか、メサンジュは自身が手を下そうとはせず、高みの見物を決め込んでいる。


「エルシー、もう一度。あの頭の悪い仔羊に状況を理解させてあげなさい」

『サイラス、フィンチ、反逆者を排除してください』

「う……ぐぅ……エルシー……もう、こんなことはやめてくれないか……」

『サイラス、受け入れなさい』

「あぁぁ……もうやめろぉぉッ……!!」


 悲痛なサイラスの叫びが空気を震わせ、アルエットの感情ごと揺さぶる。何度も繰り返されるエルシーの声が、彼らの中で呪いのように降り積もっていく。何度抗っても、抗っても、抗っても……また引き戻されてしまう。


 悔しい……悔しい……!

 エルシーのことも、みんなのことも、バカにしやがって……!


 アルエットはサイラスがなんとか持ちこたえている隙に(きびす)を返し、全速力でフィンチの元へ走り、飛び込む。彼の魔力が使われることが最も危ないと判断し、優先して無効化した。


「……助かったけど、邪魔!」


 フィンチに乱暴に押し退けられると、彼は再度サイラスへ向けて足止め用の魔術を放つ。勢いに一瞬怯んだものの、痛みを知らない人形のようにこちらへと迫る速度はほとんど衰えない。


 とうとう意識を手放したサイラスの……冷たく虚ろな目がアルエットに狙いを定めていた。

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