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第42話 誰かの心に息づくということ【シーニュ視点】

 風術で気配を消し、シーニュとフィンチは処刑台がよく見える建物と建物の隙間で作戦決行のときを待っていた。執行直前、ここから低空飛行で飛び立ち一気に処刑台まで距離を詰める予定だ。


 受刑者用のボロを着せられたアルエットが、黒く重い足枷をつけ、裸足で広場へと入ってくる。怯えや悲しみはなく、怒りや憎しみもない。ただそこに咲き続ける野花のように風に吹かれるまま、凛と凪いでいた。


 そして刑の執行寸前、彼女の『無効化』が生み出す虹色の霧を利用して煙幕を作り、姿を紛れさせた。


「アルエット、来い……!」


 虹色の霧の中で、アルエットへと手を伸ばす。聖騎士から放たれた風術が霧を払い、彼女の姿が鮮明にシーニュの瞳に映る。


──雨上がりの空を映す水たまりのような淡い青の瞳には、何もかもを手放してしまった静かな空虚だけが浮かんでいた。



 『攻撃反射』……絶対防御とも呼べるこの加護は、シーニュの身に降りかかる“災い”を全て外側へと跳ね返す。その力は自身の身を堅固に守りながらも、跳ね返した力は他者を傷つけた。


 物理攻撃、魔術攻撃や加護による加害行為はもちろん、それらを介した精神攻撃すらも受け付けない。投身は接地の衝撃を跳ね返して地面の方が大きく砕け、なんの冗談かと思った。服毒は、毒を排出しきるまで嘔吐が止まらず地獄を見た。入水はなぜか呼吸できてしまい……そこで自力で死ぬことを諦めた。


 人に害しか与えられない自身の存在を、自死すらできない性質のこの命を、彼女の『無効化』で終わらせてもらうつもりだった。シーニュは「殺してほしい」とアルエットに願い、縋った。


 苦しいときも、つらいときも、冗談で笑い飛ばして明るく振る舞っていた彼女なら、大丈夫だと勝手に信じて。


『君はもう、心が先に死んじゃったんだ……!』


 そう言われたとき、確かにそうかもしれないと思った。部下を死なせてしまったあの一件で、国からは兵器としての価値しか見出されなくなった。感謝の声は無力感と自己嫌悪を煽り、非難の声は罪悪感と後悔を深めた。


 魔力の暴走を抑えるために感情ごと抑えるようになった。けれど本当は、抑えていたのではなく、心が折れたまま瀕死になっていただけなのかもしれない。


 渡した短剣は地面に叩きつけられて足蹴にされ、「殺してくれ」という願いは拒まれた。そうして今も、生かされている。


 けれど、シーニュの願いは一度叶っている。あの夢とも現実ともつかない世界で、身が竦んだように動けなくなっているアルエットの手を取り、短剣を胸に沈めた。


 彼女は呆然と短剣を握りしめたまま、大粒の涙を零しながら、絶望を瞳に映して泣いていた。あのアルエットが本物のアルエットと同じなのかはわからない。ただあの瞬間までは自分のことばかりに必死で、彼女の心や痛みに目を向けようとしていなかった。


 彼女の明るさと笑顔は、決して強さの証ではない。


 『オヴィス村の悲劇』と『グラキエス防衛戦』を、十歳で経験したアルエット。喪失を知り、孤独を抱え、痛みに耐えてなお、一日一日を生きていくための、彼女なりの覚悟と矜持の形。


 光が強いほどに、その裏側には深く濃い影が落ちる。陽光のような彼女の影を知り、死ねなくなった。こんなふうに傷つけるまで彼女の脆さに気づけなかった自身を恥じ、なぜか心の奥に彼女を守らなければという思いが生まれていた。


 アルエット・カルミア・スティーリア──この心と体に、痛みを取り戻してくれた人。


『……怒ってるよ。怒ってる。でも君の気持ちも、多少なら……わかる。だからこそ私は、全部放棄して逃げようとしたことを怒ってる』


 それは裏を返せば、アルエットは逃げずに生きることを選んできたということでもあった。戦闘能力もなければ、シーニュのような貴族の生まれでもない。ごく普通の“無力”な、田舎で暮らしている人だ。けれど、それでもアルエットは笑って生きることを諦めない。


 あれ以来、自身の命の使い道を──ずっと考えている。



 * * *



 フィンチに絨毯(じゅうたん)の操縦を任せ、低空で移動していく。今は慎重に慎重を重ね、一度追手の目を完全に断つ目的で森を目指している。そこがロンディネと合流する予定地でもあった。


 夕方、日が暮れかけた頃、ロンディネが合流予定地へと到着した。このまま今晩は森の中で夜を凌ぐ。明日からロンディネの加護である『変身』の力を使い、予定通りトランチェレスティナへ戻って潜伏することを決めた。


 ただし、アルエットは『無効化』の関係で『変身』の加護を使うことができない。ロンディネに変装のための買い出しを頼むことにした。


 野営の準備を済ませ、今はトランチェレスティナを離れたあとの教会側の動きや街の様子などをロンディネに報告してもらっている。


「大司教様は臨時の捜索部隊を組んだようですわ。ですが、街の様子を見る限り、大半の神官や聖騎士は民衆の混乱を鎮火させるのに必死で、それどころではないようにも見受けられましたわね」


 アルエットの処刑に失敗したことで、神託内容が現実に降りかかる災いの予言となってしまった。エルシーが命を落とせば、世界の安寧が揺らぐ。民衆だけでなく、神官や聖騎士ですら内心気が気ではない状態だろう。


「そんな気がしたよ。何かあったとき手を打てば良いだけなのに、右往左往しちゃってさ。自分たちが混乱を作ってるってわかってないの、バカだよねー」


 フィンチはロンディネが調達してくれたパンを手に取る。薄切りにしたハムを一枚挟んでから、口いっぱいに頬張った。


 エルシーの『絶対正義』に影響され、神託もそれなりに信じていたであろう彼が冷静なのは、事が起きてからでも対応できるという自信と図太い精神力があるからこそだ。なかなか彼のようにはいかないのが現実というものだ。


「それと、あなた方三人の指名手配も各国へ向けて発信したと小耳に挟みましたわ」

「え……じゃあモーガンおじさんたちに、もう迷惑かけてるってことかぁ……」


 アルエットは力無い笑みを浮かべながら、視線を焚き火の方へと落とした。三日間投獄されていた疲労もあるのか、少し(やつ)れたようなくたびれた印象を抱く。


 投獄され、一度は処刑台の首枷に固定されるところまでいったというのに、それでももうこんなふうに気丈に振る舞っている。普通ならもっと心に傷を負って、恐怖で立ち直れない状態でもおかしくない。


 しかしそうならないところが彼女の純然たる強さであり、弱さを覆う仮面でもあった。たった一人生き残ったアルエットは、(うずくま)って立ち止まる猶予すら与えられてこなかったのかもしれない。“今”はあっという間に過ぎ去り、強引に明日はやって来て、それでも生きていかなければならないのだから。


「君の伯父上たちのことは父に保護するよう連絡してある。三人揃って指名手配されてしまったが、君への恩義に嘘はない。必ず力になってくれているはずだ」

「私の頼み、聞いてくれてたんだ。ありがとう……よかった……」

「今は食べて、体力を回復させた方がいい。俺のハムを一枚持っていくといい」


 パンを軽く焚き火で炙り、アルエットの分のハムを一枚と、シーニュ自身の分のハムも一枚追加して挟む。アルエットは遠慮がちにしながらも差し出したパンを受け取り、かじった。


 アルエットの瞳が潤んで見えるのは、焚き火の光に炙られて揺らいで見えるからだろうか。彼女はもう一口かじると、小さく鼻をすすっていた。


「ロンディネ、執行人の後処理の方は」

「抜かりないですわよ。今日の出来事をサイラスが、記憶に扮して幻術で植え付けておきましたもの。すぐに入れ替わりが起きていたと露見することはないと思いますわ」


 サイラスは地属性と光属性を扱い、彼は治癒や守護術だけでなく幻術も得意としている。フィンチはよくサイラスを“脳筋”と酷評するが、それは思考回路の傾向の話で、サイラス自身の能力は補助や偽装の適性が高い。決して全てが脳筋ではなく、戦闘スタイルの話だけで言うならフィンチやロンディネの方が……いや、シーニュ自身が加護も含めて最も“脳筋”だった。


「そういえば、なんであんなギリギリで助けに来たの? こっそり脱獄させるとか、もっと早くても良かったのになー……なんて。私、死ぬぞ……って結構覚悟決めてたんだけど……」

「はー……コイツもサイラスと一緒。なんも考えず脱獄とか言えちゃう脳筋」


 アルエットの問いに、フィンチは心底がっかりしたようにため息をつく。脳筋という言葉に、アルエットの救出作戦を立てていたときのことを思い出す。


「君が捕らえられてすぐ、エルシー様の願いに応えて救出計画を立てた。この形を取ったのにもきちんと理由がある」


 シーニュは彼女の問いに答えるべく、あのときのことを思い出しながら話すことにした。アルエットも興味があるのか、じっと真剣な眼差しで言葉を待っている。その期待に応えるように、シーニュは口を開いた。

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