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第41話 反逆者は罪と罰を手に、空虚を裂く

 視界を覆うような『無効化』の霧が、後方からの風術によって一気に吹き流されていく。アルエットに手を差し伸べた人物の姿が、煌めく陽光の下に照らし出される。


 淡い金の髪が泳ぐように風に靡く。凛と強い意思を秘めた夕闇色の瞳が、まっすぐにアルエットだけを見つめていた。


「シーニュ……」


 震えた唇が彼の名前を描いた瞬間、まるで一枚の絵画にでもなったかのように時間が止まった気がした。民衆のざわめきも、小鳥のさえずりや風の音も、自身の呼吸や鼓動さえも遠のいていく。


──どうして、ここに?


 死ぬしかないと思っていた。どうしようもなく無力で、神託一つでなす術なく世界を敵に回した。神の声に、そしてエルシーに敵うわけもなく、何も持たず何者でもない取るに足らない存在。


 そんなアルエットに差し伸べられた最後の……希望と呼んで良いのかもわからない──共に沈む覚悟さえした、シーニュの手。


「ボサっとすんな、アルエット! 乗らねぇなら置いてくからな!」


 姿は見えないが、シーニュの後ろからフィンチの声が聞こえ、再び景色が動き出す。よく見ると二人は大きめの絨毯(じゅうたん)に乗って浮遊し、処刑台に乗り付けていた。


「何をしている! 早く罪人を捕らえよ!!」


 コルモランの指示で執行人がアルエットの背後に迫る。振り返りそうになる気持ちをこらえ、アルエットはとっさに目の前のシーニュの手を取った。その手を強く引かれると同時に、執行人の手が追い縋るように背中に触れる。


「まだ味方はいるからね、アルエット」

「諦めてはなりませんわ、アルエット」


 執行人の手がアルエットの服を引っ掴んだように見せて、背を強く押す。勢いのままシーニュに引き込まれ、転がるように絨毯の上に乗った。


 執行人は勢いのまま止まりきれず、処刑台から落下する。それはどこか予定調和のようにも感じたが、その後は絨毯の下に隠れてどうなったかまでは見えなかった。


「全速力で飛ばす! 振り落とされんなよ!」


 乗った瞬間、絨毯が空中を滑り出す。フィンチが風術で操縦しているらしく、処刑を見物に来た民衆の真上……けれど決して手が届かないスレスレの高さを凄まじい勢いで疾走し始める。


 アルエットは振り返って処刑台を見る。二人の執行人は見たこともない人たちだ。声だって全く違う。けれど二人の口調は、確かにサイラスとロンディネのものだった。


 聖騎士がこちらを追跡しようとするが、民衆の壁に阻まれて思うように身動きが取れていない。魔術攻撃をしかけてくるが、やはり民衆を庇ってか、その勢いは弱く、(まば)らだ。


 フィンチは絨毯を操縦しながら立ち上がり、後ろを振り返る。その表情は嘲笑と憐れみに満ち、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「まさか僕に魔術で喧嘩売る気? 上等だよ、身の程知らず共め。この稀代の天才魔術士、フィンチ・アスター・ネーヴェ様が買ってやる! 僕の名をその身に刻む栄誉に震えるといいよ!」


 フィンチは高笑いしながら、不遜な態度で名乗り出る。さながら劇の強敵のような圧をまといながら颯爽と登場しつつも、どこか小悪党っぽさもあった。


「……アーヴェントロート辺境伯家が次男! 聖騎士団長、シーニュ・ピエリス・アーヴェントロート。故郷の英雄アルエットを救うため、ついでに喧嘩を買ってやろう」


 なぜかシーニュまで便乗しだす始末だ。こんなところで名乗っても悪名にしかならないというのに。


「なんで二人して名乗りを上げてるの? てか、英雄って何……私は罪人でしょ?」


 アルエットの問いかけに二人は答えなかった。余裕と不遜さを見せつつも、張り詰めた糸のように隙なく神経を尖らせている。


 フィンチは絨毯の操縦をシーニュと交代すると、絨毯の後方に進み出る。処刑台の方を見据えたままふんぞり返って立っていた。フィンチとアルエットの身長はほとんど変わらず、彼はあまり高い方ではない。けれどその背中が、とても大きく凛々しく見えた。


「あいつらを逃がすな!」

「聖騎士は何やってんだ、早く殺せ!」

「なんてやつだ……この裏切り者!」

「シーニュ様、あんな罪人を英雄だなんて、正気なの……?」


 殺意と怒りと混乱の熱気を帯びた叫びが下から噴き上がり、空気を震わせる。とうとうアルエットだけでなく、シーニュやフィンチまで罪人として見なされるようになっていた。


 民衆のどこまでも膨れ上がる負の感情と叫びを後方に置き去りにし、風を切っていく。投げつけられる小石などは全てフィンチが魔術で薙ぎ払っていた。


「聖騎士連中が殺すのを優先したら、あんたらは巻き添えで死ぬけどそれで良いんだ? 素晴らしい自己犠牲精神で泣けちゃうねぇ?」

「民衆を盾に使うのは褒められたことではないが、使えるものは使うのが戦場の常識だからな。今は利用させてもらおう」

「シーニュの案外話わかるとこ、僕は結構評価してるよ。サイラスはクソ真面目の綺麗事大好き人間だから、たまにイラッとするけど」


 いいのか!?

 聖女の隣に立つ聖職の人間がこれでいいのか……!?


 シーニュとフィンチには一つ、大きな共通点がある。それは二人とも子供の時点で騎士として戦場に身を置いているという点だ。


 戦場の厳しさを幼い頃から経験していれば、騎士の誇りや理想だけではいられないという価値観が土台として組み込まれていても不思議ではない。そしてそんな二人の厳しく現実的な価値観に、アルエットは助けられていた。


「大通りに出る。急激な方向転換に対応できるよう備えておくように」

「了解」

「わ、わかった……!」


 絨毯は無事広場を抜け、大通りに入ると、フィンチは片膝をついて姿勢を低くした。


 民衆の中を抜けたせいか、後方から追いかけてくる聖騎士が魔術や弓矢による攻撃をしかけてくる。フィンチは直撃しそうな魔術や矢だけを正確に狙い澄まし、迎撃していく。魔術が使えないアルエットでも、彼がどれほど制御力と命中精度に優れているのかが一目瞭然で理解できた。


 大通りから勢いを殺さず右へと曲がり、別の通りへと入る。振り落とされないよう足に力を入れて重心を動きに合わせる。


 直後、左側を凄まじい勢いで雷撃がすり抜ける。雷撃がまっすぐ建物に直撃すると、白いレンガの外壁が飛び散り、派手に粉砕された。


「下っ手くそ〜、損害出してやんの〜! 地形と敵の動きを読むのなんか初歩中の初歩だろ。アイツ後で始末書だな!」


 フィンチは片膝をついたまま、雷撃を放った聖騎士を指差して嘲笑いながら罵倒している。しかし次の瞬間、突然絨毯が失速すると、彼は鋭くシーニュのいる前方を睨みつけた。前方にも聖騎士たちが待ち構えており、こちらへ向けて魔術攻撃が炸裂する。


「挟撃された。上空へ逃げる、姿勢を低くしろ」


 シーニュは絨毯をぐっと失速させると、斜め上方向へ向けて一気に絨毯の高度を上げ、前方の聖騎士の集団を躱した。空に上がったことで盾にできるものもなくなり、下から魔術攻撃はより一層苛烈さを増していく。


「顔出すな、バカ! 田舎者はすっこんでろ!」


 下が気になって覗き込もうとすると、フィンチに首根っこを掴まれて絨毯の中央へと引き倒された。別に魔術攻撃なら当たっても無効化されるのでどうってことはないはずなのだが、矢を心配してくれたのだろうか。


「フィンチ、追いかけっこはそろそろ終わりにしよう」

「はいよ。んじゃ、生かさず殺さず、制御力で格の違いを見せつけてやるよ。オラオラ虫けら共、死ねぇ!」

「言ったことが秒で矛盾してるな」


 風術で上空まで追いかけてきた聖騎士が、火球の雨を浴びてふるい落とされて数を減らしていく。高度を下げざるを得なくなった聖騎士が、こちらと距離を保ち、下の方を飛んでいるのが見えた。


「あははは、悔しいねぇ〜? たった一人に、天下の聖騎士様たちがやり込められちゃってさ。でも仕方ないよね。だって僕、稀代の天才魔術士様だからね! ホント、強すぎるって罪〜!」

「フィンチ先輩、生き生きしてるね……」

「まぁね」


 フィンチは得意気にほくそ笑みながら迎撃を続ける。すると下を見たまま、アルエットに向けて隣に来るよう手招きした。


「アルエット、下見てみなよ。ほら、“虫けら”が“苦虫”を噛み潰したみたいな顔してる。あれを共喰いって言うんだ」

「違うが」

「うるっさいな、似たようなもんだろ」


 フィンチに言われるままにそっと覗くと、こちらを見上げた聖騎士たちが忌々しげにこちらを睨んでいる。それは純粋な嫌悪や憎悪ではなく、確かに悔しそうだった。


「死ぬまで忘れないよう目に焼きつけとけよな。寝る前に思い出すと良い夢が見られる」

「悪夢の間違いでは?」

「はー……高潔なシーニュサマは、この愉快さを嗜めないってワケか。かわいそ〜」


 シーニュがこちらに背を向けたまま軽く首を傾げると、フィンチは肩を竦める。心底同情するような、ジトッとした視線をシーニュへ投げかけていた。


「はは……本当に悪い人になったみたい……」

「はぁ? 悪いヤツだろ? あんたは神託の大罪人、僕らは大罪人を逃がした逆賊さ! だーかーら、逆賊なら逆賊らしく派手にやらないと、だろ?」


 トランチェレスティナの上空を抜け、人々や街が豆粒のように小さくなり、遠ざかっていく。けれど、一部の聖騎士はまだ魔術を使って追ってくる。


「まだ払えないか。我が聖騎士団もなかなか良い人材が揃っている証拠だな。実に喜ばしいことだが……フィンチ、交替だ」

「ちゃんと加減はしろよ。殺ったら全部終わったあと、マジで帰るとこなくなるからな」

「もちろんだ」


 シーニュとフィンチが絨毯の操縦を交代する。それまではなんとも感じていなかったが、フィンチに変わった途端絨毯がまるで床に設置しているように安定感が増した。こういうところにも制御力の高さが表れるのか、と妙に感心してしまった。


 シーニュは片膝をついて下をのぞき込むと、手のひらを上に向けながら右手を軽く横へと伸ばす。その手に淡く青白い光が灯ると、周囲に氷柱(つらら)のような氷の刃が無数に生成されていく。そしてそれを聖騎士たちに向けて一斉に放った。


 風と氷が混じり合い、まるで冬を引き連れてきたかのように氷の刃が降り注ぎ、吹き荒れている。シーニュは破格の魔力を持っていると聞いていたが、フィンチのようにきちんと加減ができているのかは……正直よくわからない。


 すごい……下に大きな雲があるみたい……


 魔術は広範囲に展開され、ひたすらに途切れることなく氷の刃を降らせ続けている。それはまるで、一つの天候を操っているようにすら見えるほどの規模の大きさだった。


「……うわー、エグいなー。バカみたいな魔力量に任せてさぁ。死人出ても僕、知ーらねっ」

「一般市民ではないからな。引き際を見誤るようなら、遅かれ早かれ任地で死ぬだろう。騎士団長からの愛ある訓練だとでも思ってほしい」

「えげつな……あんたたまに僕より酷ぇよ」

「まぁ、俺の魔術は君が師匠だからな。えげつなさも師匠譲りということでここは一つ」

「おい、何かあっても僕のせいにするなよ? 絶っ対、僕のせいにするなよ!?」


 軽口を叩きながらも、シーニュの眼差しは過去へと向いているようだった。引き際に迷い、部下を死なせてしまった……あの日に。


 追手を完全に撒き、絨毯は高度を下げて森へと向けて飛び始める。落ち着いてきた頃合いを見計らって、アルエットはシーニュとフィンチを見た。


「二人とも、助けに来てくれてありがとう」


 お礼を口にすると、フィンチは照れ臭さを隠すように鼻を鳴らし、シーニュは静かに目を伏せて首を横に振った。


「処刑されたらエルシー様が苦しむし、職務を全うしただけ。それに、あんたの『無効化』は面白いもんをいろいろ見せてくれたからね」

「君を守ると約束したからな。当然だ」


 高貴な生まれでもなければ、聖女のような力も持たない。かつて囮にされ、死んでも構わないと見なされた存在。そんな取るに足らない人間を、危険を顧みず助けに来てくれた。


 良い友人に恵まれたな……私……


 聖騎士になって、みんなに出会えて良かった。最初巻き込まれたときは、理不尽で、勝手で、不満もあったのに。


 人の優しさに触れ、信頼されることの温かさを知り、小さく胸に灯った光を抱きしめるように目を伏せた。

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