第40話 懸命に生きた私の罪状
地下牢に入ったその日の夜、看守に処刑執行日は三日後だと告げられた。三日──たった三日では、あまりにも時間が足りない。神託の違和感の真相も、アルエットに本当に聖女暗殺の意思がないことも、生きているうちに証明されることはないだろう。
日の入らない牢獄では、日に三度与えられる食事だけが唯一時間を大まかに知る方法だった。出てくるのは、固くてパサついたパン一切れと味の薄いクズ野菜の入ったスープが小さな器に一杯。長く放置されてガチガチになったパンよりはマシなそれをスープに浸して食べる。
神に見放されたって言われることもあったけど、まさか本当にそうだとは思わなかったな。
いや、神に嫌われてたのかも。
まぁ、私も大嫌いだったから、ある意味相思相愛か。
あと一回……明日の朝、この微妙なパンとスープを食べたら処刑される。
始祖エーテル、もうすぐ会えるね。
泣くまで殴るから覚悟しといてよ。
スープにパンを沈ませ、怒りを発散するようにスプーンでつついてふやかしたものを、腹へと流し込んだ。
* * *
処刑日当日、アルエットは教会前の広場に立っていた。両脇には執行人が一人ずつ立ち、処刑台まで先導する聖騎士たちの背中が見える。後方にはコルモラン大司教と高位神官、そして彼らを警護する大勢の聖騎士が控えていた。
アルエットは処刑用のボロに着替えさせられ、靴すら支給されなかった。余計なものを全て廃し、そのまま棺に死体を詰めて処理するのに便利な服装、そんな印象だった。
「早く歩け」
執行人に促され、アルエットは裸足のまま一歩を踏み出した。沿道には大勢の人が、『聖女を暗殺しようとした逆賊』の顔を一目見ようと詰めかけている。睨みつけて怒りを叫ぶ者、目を見開いて怯える者、軽蔑と嫌悪の眼差しで静観する者……様々な種類の敵意に八つ裂きにされていた。
そっと視線を空へと向けると、穏やかな青が広がっているのが見える。じゃれ合うように飛び去る小鳥たちが、まるで“災い”の終焉を祝福するようにさえずる。暑くも寒くもなく、抜けるように冴えた青空と柔らかな日差しの中で死なせてもらえるらしい。
星誕祭のパレードのときに笑い合って進んだ道を……今は、罪人として歩かされている。足枷とそれを繋ぐ長めの鎖が石畳に擦れる耳障りな音も、罵声の中に掻き消えた。
裸足の足裏に、石畳のざらついた冷たい感触が伝わってくる。今が冬でなくて良かったと、どこか他人事のように思った。
「聖騎士団に潜り込んだ薄汚いドブネズミ! 恥を知れ!」
「お前を罪から解放してくださる神に感謝しろ!」
固いものが投げつけられ、こめかみに鋭い痛みが走る。地面に落ちて転がったものを視線で追いかけ、小石を投げつけられたのだと理解した。パレードのときに見たのは、美しく舞い散る色とりどりの花びらだったのに。
前方に、処刑台がゆっくりと見えてくる。処刑器具に取り付けられた首を落とすための大きな刃が、舌舐めずりするように怪しくギラリと閃いた。
『銀の刃』
神託になぞらえて『罪深き災いの芽アルエット』として断罪される。グラキエス防衛戦で囮を務め、ロートヴィルの厄災の花の件の解決に協力し、領主のスーヴァや村のみんなに感謝されたあの日が、遥か遠い過去のように感じられた。
当たり前の日常なんてものは、この世に存在しない。苦境はいつだって、向こうからやって来る。だから今日という今を後悔なく、明るく笑って生きる……生きてきた。
それも、今日で終わる。
処刑台に上がると、通りを歩いているだけでは見えなかった遠くまでが見渡せる。より一層どれだけ多くの人が集まっているのかがわかる。広場はすっかり人で埋め尽くされ、下の石畳が見えないほどだ。それほどまでに、罪人の頭が落ちるところが見たいのだろうか。
コルモランが処刑台の前方へと歩み寄り、巻物のような紙を開く。その紙の内容に視線を落とし、口を開いた。
「罪人名、アルエット・カルミア・スティーリア。罪状──神命反逆罪、秩序転覆未遂罪、神使侮辱罪。聖女暗殺を企図し、教会や聖騎士団の秩序を乱すだけでなく、世界の平穏を脅かした。そして慈悲深き聖女の御心を欺き、御身を従わせんと謀った大罪人である」
仰々しく、相変わらず身に覚えのない罪状が並ぶ。全部やってない。やる予定もない。けれど、神託ではやることになっている……罪。エルシーと築いてきた友情も、あの罪状を記した巻物の中では「欺き」と「従属」という言葉に書き換えられていた。
「これら全ての罪は、神の眼差しによって白日のもとに晒された。よってここに宣言す。神託より賜りし神の御意思に従い、罪人アルエットに断罪の刃を下す。その身に刻まれし罪の数々は、その命を以って贖われたのち、神の御下で裁かれ、魂の穢れは濯がれるであろう」
民衆はどよめき、怒号と罵声が飛び交う。心無い言葉が容赦なく浴びせられる。あまりにも的外れで、何も心に響かなかった。
父さん、母さん……私、今日まで頑張れたかな?
『オヴィス村の悲劇』から一人生き残って、今日までそれなりに頑張ってきたつもりだ。犯罪に手を染めず真面目に、明るく楽しく。余生だと思って生きてきたアルエットの人生の最期……それが罪人としての処刑という形だなんて、想像もしていなかった。それも冤罪で。
「慈悲深き始祖エーテルの名の下、罪人アルエットに言葉を残すことを許そう。最期に言い残したいことはあるか」
夏の暑さを微かに残した爽やかな秋風が、幼子をあやすようにそっと髪を梳いた。優しい風が、過ぎ去った過去を連れて吹き抜けていく。
『アルエット、撤回してください。あなたが嘘をついていることくらいわかっています!』
エルシー……神託の声を聞いてる本人なのに、最後まで私のこと信じてくれてたね。お人好しすぎて、ちょっと心配だよ。
『アルエットは、暗殺など企てるような人間じゃない!』
サイラス……あんなふうに怒鳴って庇ってくれるなんて思わなかった。結局最後までお世話になりっぱなしだったな。
『は、はぁ? あんた、いきなり何言ってんの!?』
フィンチ先輩……なんとか止めようとしてくれてたんだよね。訳わかんないこと言って、悪いことしちゃったかな。
『お待ちになって。その判断、必ずや後悔いたしますわよ?』
ロンディネ……根拠もないのに、どうしてハッキリ言い切れたんだろう。けど、必ず神託の真相を見つけ出すって、励まされたみたいだった。
『アルエット、勝手に死ぬ覚悟を決めるな』
シーニュ……それは私の台詞だよ。もう死ねないんだから、ちゃんと生きてよね。
聖騎士団に入団して、短い期間だったけど、いろんな経験をして任務を乗り越えてきた。彼らの姿が、くれた言葉が雨のように降り注ぎ、アルエットの心の中に小さな波紋をいくつも広げていった。
「言い残したいこと……」
エルシーの暗殺を計画していたと信じ、アルエットの死を望む民衆の熱。この場には、アルエットの無罪を信じて抵抗してくれた人は誰もいない──誰も。
「ないよ、何も」
隣に立つ執行人が、微かに息を呑む声が聞こえた。何か一つくらい残した方が良かったのだろうか。処刑なんて初めてだし、さすがに何もわからないので、多少の無作法は許してほしいところだ。
不思議と後悔や未練は一つも浮かばなかった。今日という今を後悔なく、明るく楽しく生きる。その信条で毎日生きてきたことが、間違いではなかったのだと証明された瞬間だった。
アルエットは指示されるまま膝をつき、処刑器具に首を差し出すと、器具で抜けないように固定される。重く冷たい鉄の感触が、肌に沈み込んだ。
「神の裁きを!」
「エルシー様を殺そうとした罪人なんか、とっとと死んじまえ!」
「神に……エルシー様に死んで詫びろ!」
アルエットは、目を閉じなかった。正義の執行に熱狂した民衆の姿を、光景を、目に焼きつける。エルシーと同じ舞台のど真ん中で、エルシーのように熱狂の中心地で。誰もその真実を知らず、誰も本当のアルエットを見ようともしない。その中で、無数の「断罪」を願う声を聞いた。
『絶対正義』の影響で、本当の自分を見てもらえないと嘆いていたエルシー。彼女も舞台の中心に立つたびに、こんな気持ちになったのだろうか。
「執行せよ」
コルモランの、雪風のように冷たい声が処刑を命じる。彼の気配が、背後へと遠ざかっていった。
もうすぐ、刃が落ちる。アルエットはそのときを、静かに待っていた。
──が、その瞬間……魔力の膨れ上がる感覚がピリッと小さく肌を刺した。
強い冷気を上に感じると同時に氷の魔術が炸裂し、周囲に張られていた結界が破壊される。氷と結界が砕け散り、破片が降り注ぐ中、強烈な炎の一撃がアルエットの首と手首を固定していた拘束具を一気に焼き落とす。その魔術は明らかに加減がされておらず、アルエットの『無効化』の加護を前提にしたような威力だった。
魔術を無効化したときに発生する虹色の霧が、アルエットを包みこむ。突然何が起きたのかわからず、アルエットはとっさに周囲を見回した。相当量の魔力を無効化したせいか霧は深く、視界が白く淡い虹色に霞んでいる。その向こうに、ぼんやりと人影が見えた。
「アルエット、来い……!」
その影が、アルエットに手を差し伸べてくる。魔術の風が後方から吹き、虹色の霧は一気に押し流され──その人物の姿を露わにした。




