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第39話 全てを託し、時計は針を止めた

 神命反逆罪。秩序転覆未遂罪。それらが具体的にどういう内容の罪状であるのか、アルエットはわからなかった。ただ何か犯罪を犯したという自覚はない、それだけは確かだった。


「待ってくれ、コルモラン大司教。一体アルエットが何をしたんだ?」


 聖騎士たちの壁の向こうから声を張り上げたのはサイラスだった。


「そうだぞ? 罪状だけ適当に並べてないで、納得いく説明をしてもらわないと。“俺ら”がアルエットを引き渡す気になれないからな」


 それを援護するように、ジェリノットが彼の隣へ並び立つ。人の壁の隙間から、彼らの姿が見える。サイラスは焦りを滲ませながら槍を握り、ジェリノットは朗らかに笑いながら軽く剣の柄に手を触れていた。


「神託が罪を暴いたのだ。エルシー様暗殺を企図しているとな」


 どうしてそれを?

 エルシーは誰にも話してなかったはずなのに……!


「アルエットは、暗殺など企てるような人間じゃない!」


 サイラスの訴えも虚しく、神託という単語に近衛騎士たちはざわつく。サイラスの味方をしていたジェリノットですら、明らかに狼狽(うろた)えていた。聖女であるエルシーですら神のように崇められている中で、彼女に下る神託の重さを目の前で見せつけられたような心地だった。


「おやめなさい!」


 凛とした声が、空気を裂くように冴え渡る。聖騎士の壁が割れ、コルモランの向こう側にエルシーと隣を歩くロンディネの姿が見える。騒ぎを聞きつけて、二人が駆けつけてくれたのは明白だった。


「アルエットへの狼藉は、わたくしが認めません」


 エルシーの凛とした声に、風が通り過ぎたあとのようにざわめきが静まる。騎士たちだけでなく、自然すらも彼女に道を譲るように引いていくような、厳かで神聖な雰囲気をまとっていた。


「コルモラン大司教、これはどういうことです」


 教会に所属する神官で最も権威のあるコルモランにすら一歩も引かない姿勢。騎士たちの壁をやすやすとすり抜け、コルモランの隣を通り過ぎ、アルエットの目の前まで来るとこちらに背中を向けた。明らかにアルエットを庇い立つような形で立っていた。


「何をしているのです。早く説明なさい!」

「エルシー様、彼女が暗殺を企てたという神託は本当なのかね? ここのところずっと神託が下り続けていたことは周知の事実だ。神託の内容を、あなた様自身のお言葉で……お聞かせ願えますかな?」

「何度も言っているはずです。上手く聞き取れなかったと」

「エルシー様。申し訳ございませんが、その嘘はもう通用しませんぞ。あなたたち、エルシー様へご説明を」


 コルモランに促され、高位神官三人がコルモランの傍へと近づく。その中には、彼の息子であるメサンジュも含まれていた。


「昨日、僕たちは祭典の件でエルシー様の執務室を訪ねたのですが、そこで聞いてしまったのです」

「間違いなく、アルエットがエルシー様を死に至らしめるという内容の神託を口にしておられました!」


 高位神官たちが深刻さと焦燥、そして興奮を滲ませて証言する。昨日の会話を聞かれていたなら、もう言い逃れはできない。けれど、胸の奥に微かな違和感が燻っている。こんな都合良く、偶然が起こり得るのか……と。


「本当に、そんな神託は下りていません!」

「では、なぜ(かたく)なに私たちに神託の内容を教えてくださらないのですか?」


 純粋に疑問に思うようなメサンジュの優しげな声音が、エルシーを静かに追い詰める。彼女は一瞬言葉を詰まらせたあと、ギュッと拳を握りしめ、語気を強めた。


「だからそれは……聞き取れなかったからだと何度も言っているではありませんか……!」

「君が嘘をつくのは、親しくしておられるアルエット殿を、庇いたかったからではないのですか?」

「エルシー様はお優しすぎます! 自分が殺される予言だというのに、罪人すら救おうとするなんて」


 明らかに『絶対正義』が色濃く滲み始めた言葉に、エルシーは怯み、呑まれかけている。もう言っても無駄だと理解し始めているのか、反論を口にできなくなっていた。


「神はエルシー様を救おうとしてくださっているのです。君がアルエット殿に殺されてからでは、何もかも手遅れになってしまうのですよ」

「これほどエルシー様を籠絡(ろうらく)しているとは……神使侮辱罪も追加せねばなるまいな……」

「籠絡だなんて……そんな言い方……」


 コルモランに罪状を追加され、この場に“アルエットは聖女暗殺を企てた逆賊”という空気が出来上がりつつあった。もう逃げ場はない……腹を括るしかないのかもしれない、そう思ったときだった。


「ふーん、つまりあんたたち盗み聞きしてたってわけ? すげぇ……良い趣味してんなぁ。高位神官のくせに品性の欠片もなくってさぁ?」


 上空から降る声に顔を上げると、ふかふかのクッションに座ったフィンチは足を組み、不満気にしながら頬杖をついてこちらを見下ろしていた。クッションごとふわふわと降りてくると、ちょうど騎士たちの頭上くらいまで高度を下げて停滞した。


「貴様っ、神官を侮辱するか!」

「盗み聞きしてたんならわかるだろ……その神託、本当に信用できるわけ?」

「申し訳ありません。盗み聞きではなく、偶然聞いただけなのです。フィンチ殿の(おっしゃ)る意味はわかりかねます」

「都合の良いとこしか聞いてねぇのかよ、ドブネズミが。マジ使えねぇな」


 申し訳なさそうにするメサンジュに対し、フィンチは忌々しげに舌打ちし、悪態をつく。フィンチは不都合に感じているようだったが、冷静に考えればこれはむしろ好都合だとアルエットは考えていた。


「フィンチ殿は、エルシー様の神託を疑っていると?」

「そうだよ。今、神託には──」

「フィンチ先輩、信じてくれてたのにごめん! 私さ、一発エルシーに取って代わって聖女になってやろうかなーって狙ってたんだよね。聖女の力を無効化して、私が真の聖女だー! ってね!」


 フィンチはギョッとしたように目を丸くし、姿勢を崩しながら慌ただしくアルエットを凝視した。予定を狂わされて戸惑うフィンチの顔なんて滅多に拝めない。これまで散々バカバカ言ってきた仕返しだ。


「は、はぁ? あんた、いきなり何言ってんの!?」

「けど敵わないなぁ……神様にはぜーんぶお見通しってわけか。やっぱ悪いことってできないねー」

「アルエット、撤回してください。あなたが嘘をついていることくらい、わたくしにはわかります!」


 こちらを振り返ったエルシーは、縋るような必死な眼差しでアルエットを説得にかかる。アルエット本人の口から自白しているのに、神託がその自白を補強しているはずなのに、彼女がまっすぐな瞳で疑いなく信じてくれていることが嬉しい。あと一つなんとか意思を伝えることができれば、心置きなく逝けそうだ。


「そう思うなら証明してよ。神託が間違いで、私は冤罪だって」


 フィンチの話していた“神託の疑わしい点”を神官たちが聞いていないなら、ロンディネの『変身』による炙り出し作戦のことも知られていない。まだ、あの作戦は使えるはずだ。だから言葉を遮って、嘘の自白をすることにしたのだ。


 とはいえ、神託の違和感の解明は難しいだろう。そもそもこの作戦は、神託の主が人間か神かを試すものでしかない。


 仮に人間だと判明しても、その犯人が誰かを特定するのは厳しい。さらに言えば、それだけを理由にこれまで全て神託の通りになってきたという実績を覆すこともできない。ましてや人間か神か判別できない、もしくは神だと判明する場合だってあり得る。


 私を庇うために情報を明かすべきじゃない……どうせ処刑までには間に合わないし。

 だから、神託の解明を最優先にしなきゃ。

 答えが出れば、エルシーも少しは救われるはずなんだから。


 あの短い言葉で伝わりきるかはわからなかったが、真意が伝わっていると信じるしかない。今はこの可能性にかけるしかないと判断した。


「コルモラン大司教、もう行こう。ほら、手枷とかつけるの?」


 エルシーの隣をすり抜け、コルモランへと近づく。両手首を合わせて差し出しながら彼を見つめると、コルモランは僅かに気圧されたように喉を鳴らした。


「速やかにこの者を捕らえよ。おとなしくしている以上、武力で制圧するような真似をしてはならぬ」


 近くにいた聖騎士から手枷をはめられ、コルモランに促されてアルエットは歩き出す。


「お待ちになって。その判断、必ずや後悔いたしますわよ?」


 背後から静止を呼びかけたのはロンディネだった。振り返ると、扇子で口元を隠し、どこか含みのある余裕たっぷりな眼差しをこちらへと向けていた。彼女の問いに答えたのはコルモランだった。


「これまで神託が当たらなかったことなど、ただの一度もない。エルシー様が亡くなり、世界を混迷に陥れたあとで、あなたはどのように責任を取るつもりでいるのかね?」

「ふふ……そのままお言葉を返させていただきますわ。もしあたくしたちが神託の間違いに気づいたとき、アルエットを処刑したあとだったら……大司教様はどのように責任を取るおつもりでいらっしゃるのかしら?」


 両者の間で一瞬静かに火花が散り、静寂が戻ると共に、アルエットたちは再び歩き始めた。大司教に高位神官、聖騎士までぞろぞろと連れ歩き、手首には手枷までついている。ジロジロと好奇の視線を浴びながらしばらく歩いていると、一人分の足音が駆け寄ってくる。


「アルエット……アルエット……!」

「シーニュ騎士団長、それ以上は近づかないでいただきたい」


 コルモランに牽制され、シーニュは少し離れた位置で立ち止まる。コルモラン自身も足を止めたことから、少しだけ会話する猶予を与えてくれているのだとわかった。


「何があった、アルエット」

「銀の刃が何か決まったみたい。君の出番はなくなったし、もう心配いらないね。よかった、よかった」


 意味が伝わったのか、瞳に影が差す。シーニュは小さく口を開きかけて、何かを噛み潰すように唇を引き結んだ。


「あとさ、できたらでいいんだけど、君の家の力でモーガンおじさんたちを守ってくれないかな? たぶん迷惑かけちゃうからさぁ……」

「……父に伝えておこう」

「ありがとう。詳しいことはみんなから聞いて。じゃあね、シーニュ」


 シーニュにも、ちゃんと会えて良かった。きっとみんなと直接会って話せるのは、今日が最後になるだろう。


 アルエットはそのまま教会の深くにある地下牢に投獄された。ベッド代わりの粗末な木の板と掛布代わりのボロ布以外は何もない。敷き詰められた灰色の石は固くて冷たい。音はほとんどなく、通路側にある微かな明かりが、一筋の陽光も入らない牢獄の中に差し込んでいた。


 神託の内容を話していたとき『処刑』という言葉が出ていた。近いうちに確実にそうなるのだろう。自分がどんなふうに処刑されるのか、あまり知識がなく想像がつかなかった。


 けれどそれで良かったのかもしれない。もし事細かに想像できていたら、受ける痛みを想像してしまいそうだったから。


 ごめん、モーガンおじさん、リタおばさん、ベルジュとロネットも。

 きっとみんなが真実を解き明かすから、どうかそれまで無事でいて……


 アルエットの中にある不安はただ一つ、聖女暗殺を企てた罪人として裁かれたあとの伯父たち家族のことだけだった。

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