第38話 仕組まれた舞台、演者は誰か
「神託の声が、消えた……?」
エルシーの戸惑いがまるで波紋のように広がり、全体に波及していく。アルエットが触れたことによって神託の声が聞こえなくなったということは、つまり神託が『無効化』によって遮断されたということだ。
「アルエットの『無効化』は、神の力にすら干渉できるんですの……?」
ぽつりと呟いたロンディネの言葉に、アルエットの胸は思わず高鳴った。神の力に干渉して無効化できるのなら、神と対峙したとき殴れる確率が一気に高まる。
「神の力が通じないなら、私、神の御下で四〜五発くらいはいけるかも……!? 気分上がってきた……!」
「わかる……エルシー様には悪いけど、めちゃくちゃ面白くなってきた……」
拳を突き上げて喜ぶアルエットの隣で、フィンチが呟く。手のひらで軽く覆った口元が、にまりと妖しげに口角を上げていた。
「考えられる可能性は二つだな。一つは、アルエットの力が神の力に干渉できるという可能性。もう一つは、何者かが神託を偽装している可能性だ。その場合、アルエットに敵意があるのが確定する」
シーニュの言葉に、神託が偽物であるという可能性が浮上する。今までそんなふうに考えたこともなく、内心かなり驚いていた。もし仮に偽物だとして、一体誰が、どんな方法で、神託のようにエルシーに語りかけたのか。
「あら、ではこの神託は案外私情まみれという可能性もありますわね」
「本当に神託の内容が現実になるのか、神が神に逆らえる存在を危険と捉えてこの神託を下したのか、それとも別の存在がアルエットを邪魔に感じて消そうとしたのか。ちょっと俺には判断つかないなぁ……」
「どっちにしてもさぁ、無効化で遮断できるってことは、少なくとも相手にとって不都合なことには違いないでしょ。ちなみに僕は、神託は偽物なんじゃないかって疑ってる。まだ状況証拠ばっかだけど、引っかかることがいくつかあるんだよねー」
ロンディネとサイラスの意見を受けつつ、フィンチは得意気に語る。彼の中には何かすでに仮説のようなものが立っているらしく、全員の視線がフィンチへと向けられた。それを待ってましたと言わんばかりに浴びながら、彼は朗々と語り始めた。
「第一に、ロートヴィル村の神託で炎の浄化でなくても解決できたこと。伝承からの推測だけど、神は“完璧な浄化”の方法を知ってた可能性がある。てか、そもそも神なのに、不完全な炎での浄化を勧めるってのも違和感あるでしょ」
ロートヴィル村の厄災の花は、アルエットが水に『無効化』を付与して魔力供給を遮断することで枯死させた。水が地中に染みることで、根ごと取り払うこともできた。それは炎では解決できなかったことであり、炎で浄化していた頃は、不毛の地と化していたのだ。
「第二に、神託を受けた聖女は歴代でエルシー様だけってこと。それも聖女に覚醒すると同時じゃなくて、何年か経ってからの発現。これ、そのあたりで誰か悪意のある人間がエルシー様を利用し始めたんじゃないかって気がするんだよね」
「た……確かに、神託が下りるようになったのは十五歳で、聖女になって三年くらいは経ってました……」
エルシーは不安そうに視線を下げ、二の腕あたりをぎゅっと握りしめては、さすっている。フィンチの口ぶりからすると、もし神託の主が人間なら、エルシーの傍にいる人物……内部犯ということになる。すぐ傍に悪意のある者が、それも何年も潜んでいたことになるのだから、恐怖を抱くのも当然のことだった。
「第三に、アルエットが神託を遮断したこと。神の力は“自然に宿る力”って考えられてるんだよね。アルエットの『無効化』は魔力や加護みたいな生物由来の力にしか干渉しない。だから人間の方が可能性として高いんじゃないかってさ」
「確かに、その辺の水とか草なら触っても無効化されないね」
フィンチが挙げた三つの根拠は決定打には欠ける。けれど、人間に疑いを向ける分には十分だった。
「ふむ……しかしそれだけでは根拠が薄いな。そこまで言うなら、神ではないことを決定づけるような証拠がほしいところだが……」
「ふふ、ではここはあたくしの出番ですわね? 華麗に罠に嵌めてご覧にいれましょう」
考え込むシーニュに対し、ロンディネは口元を隠してた扇子を閉じると、胸元に手を当て堂々と名乗り出た。満面の笑みからは、大人っぽい妖艶さと余裕が溢れ出ている。
「そうか、ロンディネの加護は『変身』だったね」
「えぇ。あたくしがエルシー様に、エルシー様があたくしに扮してしばらく生活し、相手の目を欺くのですわ。まさか、神ともあろうお方が見た目ごときに惑わされ、神託を与える相手を間違える……なんてことはありませんわよね?」
納得したサイラスの声に、ロンディネは軽く頷く。ロンディネの熟れたりんごのように紅い瞳が、挑発的な光を宿して眇められる。それはどこか、獲物に狙いを定めるような鋭さを伴っていた。
「神託は……神より与えられるものでは、ないんですか? もし偽物だと証明されたら……わたくしは今まで……何を、信じていたんでしょうか……? もし今回アルエットを神託通り死なせてしまっていたら、わたくしは……!」
エルシーの顔はすっかり青ざめ、唇が戦慄いている。瞳はまるで風に揺れる蝋燭の火のように不安定に揺れ、今にもその灯火が消えてしまいそうなほど淡く、弱々しく見えた。
「そんな顔しないで。エルシーが悪いんじゃなくて、神託が悪いだけでしょ」
「ですが、神託をわたくしが伝えたせいで苦しんだ人もいるはずです……」
エルシーは震えの止まらない指先を丸め、両手を胸元へと押し当てる。痛みをこらえるように俯いた彼女からは、強い迷いと苦悩が滲んでいた。
「今までの神託に外れはなかった。全員で最善を尽くして対処してきている。君だけが悪いわけではない」
厄災の花に関する『滅びの神託』は、確かに過去二回は炎による浄化を行い、不毛の地にしてしまったのかもしれない。けれどそれは“神託を伝えたせいで”起きたことではない。
むしろ炎で浄化しなければ、今頃世界中が厄災の花で埋め尽くされていた可能性だってある。シーニュの言う通り、そのときわかる最善を常に尽くしてきた。あとから結果だけを見て責めるのは、責める方があまりにも無責任だ。
「言ったよね、エルシー。神託の重荷はみんなで背負えばいいって。仮に悪いところがあったとしても、それはあなただけの責任じゃない」
「サイラス……そうでしたね」
「エルシー様、今後のためにも、神託の正体は今ここでハッキリさせてしまった方が良いですわ」
「僕も今回ばかりはロンディネに同意。エルシー様を良いように使ってるヤツがいるならムカつくし、そいつを処刑台送りにしてやるよ」
エルシーが一人一人みんなの顔を見て、泣きそうな顔で微笑んだ。少し掠れた涙声の「ありがとう」を噛み締め、胸の中にしまった。
* * *
翌日には作戦決行に向けて動き出していた。入れ替わっても疑われないよう、職務の引き継ぎのためにロンディネがエルシーの傍についている。
アルエットがいつも通りサイラス隊に混ざって鍛錬に励んでいると、遠巻きに大勢の聖騎士たちの姿が見える。その中には神官も数人おり、服装から大司教のコルモランと高位神官たちだとわかる。エルシーの住む屋敷の敷地内で、あれだけの規模の近衛騎士ではない聖騎士の集団を見るのは初めてだった。
聖騎士の集団は、なぜか足早にまっすぐにこちらへと向かってくる。近づくにつれ、大司教のコルモランとその異様に物々しい雰囲気から、サイラス隊の騎士たちも鍛錬の手を止めて集団の方へと視線を向けていた。
聖騎士たちは、なぜかアルエットをぐるりと取り囲み、剣や槍の切っ先を向けてくる。その厚い人壁の向こうから、大司教のコルモランと高位神官が現れた。その高位神官の内、一人は彼の息子であるメサンジュだった。
コルモランは、落胆とも軽蔑とも憐れみともつかない眼差しをアルエットへ向ける。そして深く長く……ため息をついた。
その重さが周囲の空気すら飲み込み、静けさを伴ってアルエットを押し潰そうとしている。
「アルエット・カルミア・スティーリア……神命反逆罪、秩序転覆未遂罪で、あなたを連行する」
コルモランの声が、小難しい罪状を告げる。それが、アルエットの犯した罪であると。
「おとなしく従うのなら、手荒な真似はしないと約束しよう」
これがあなたにかけられる最後の慈悲だ、と言わんばかりに、冷たく重々しい声色だった。身に覚えのない罪に、アルエットは黙り込む。
突然のことだったが、意外と冷静に受け止めている。権力を前に、田舎者はあまりにも無力だ。偉い人に罪人だと言われてしまえば、それが冤罪であろうと覆ることはない。
冬の早朝の澄んだ空気のように、思考は冴えている。正義の名の下、罪を高らかに宣告するコルモランたちを静観していた。




