第37話 紛れ込む異物
ロートヴィル村に異常は見られず、予定よりも早くシーニュとフィンチはトランチェレスティナへと帰還していた。なんでもエルシーとサイラスが緊急で戻るように書簡を送ったらしい。
そうして今、エルシーの執務室にアルエットは呼ばれていた。呼び戻されたシーニュとフィンチはもちろん、ロンディネとサイラスもいる。ここに集められたのは、今エルシーに下りている神託のことを相談したいからとのことだった。ずっと「よく聞き取れない」とエルシーは言っていたが、実はきちんと聞き取れていたのだと先ほど教えられたばかりだ。
エルシーが決意と不安を秘めたような表情で、一人ずつ目を合わせていく。神託を受けたばかりの頃は動揺しているような感じだったが、ここ一週間くらいは落ち着いている。それはこうして向けられたまっすぐで強い眼差しからも感じ取ることができた。
「神託の内容を伝えます。あくまでもわたくしは、この神託にどう対応すべきかを相談するために皆に集まってもらいました。どうか落ち着いて聞いてください」
エルシーは腹を括ったと言わんばかりに短く息を吐く。そして、アルエットを見て口を開いた。
『生命より出でし力を無に帰する者、人の形を成して人にあらず。罪深き災いの芽となりて、混沌を唄う。災いの唄、聖の声を告げる者を冥府へ誘い、光は閉ざされる。銀の刃にて断罪せしとき、その罪は洗われ、人々の安寧は守られるだろう』
神託の内容を告げ終えた瞬間、場の空気の一切が凍りついた。全員の視線が一斉にアルエットへと注がれる。少し怖いくらいの真剣な表情で、途端に居心地が悪く、そわそわと落ち着かなくなってくる。
「……力を無に帰する者って、私のこと? “人にあらず”って……てことは、私人間じゃなかったの!? いやぁ、そこを疑ったことはなかったなー……さすがに」
空気に耐えきれず笑い飛ばそうとしたが、頭痛がしそうなほど、しんと静まり返っている。ふざけてる場合か、と言いたげな視線がグサグサ刺さって痛い。
「ごめん。ちょっと、頭追いついてなくて……」
気まずすぎて、アルエットは頭の後ろを掻いて気を紛らわせる。そうして逃げるように明後日の方向へと視線を逸らした。
「これ考えるまでもないくらい直球な神託だけど、当事者じゃ頭追いつかないのも仕方ないか。意訳すると、アルエットがエルシー様を死なせて、結果的に秩序が乱れる。だからそうなる前にとっとと処刑しろってことだね」
「フィンチ先輩の罵倒がいつもより元気ない……怖い……」
「怖がるとこそこかよ! あんたはもっと動揺しろっての!」
いつもの調子に戻ったフィンチにジトッと睨まれ、額を小突かれた。おかげで少し空気も緩み、話しやすくなったように思う。
エルシーはこの神託に対する対応を相談したいとみんなを集めた。けれどフィンチが意訳してくれた内容に、まるで「生きていることすら罪」と言われているようだった。ならば、対応なんて一つしかないだろう。
「相談って言ったけど、これ……私が死ぬしかなくない?」
その瞬間、また空気が凍りついてしまった。せっかくフィンチのおかげで空気がほぐれたばかりだったのに。
こんなはずじゃなかった。本当にこんなはずじゃなかった。フィンチを無駄遣いしてしまった。
「あなた何を仰ってますの? それを回避したいからエルシー様はわざわざあたくしたちをここに集めていますのよ? 処刑してお終いで構わないのでしたら、あなたすでに処刑台の上ですわよ? 本当にそれでよろしくて?」
ずいずいとロンディネに詰め寄られ、壁際に追い詰められる。両手で彼女を制しながらも背中がひたりと壁に張り付き、めり込む勢いで縦に引き伸ばされていくような心地だ。
「よ、よろしくて……」
どこからともなく取り出した扇子を眉間に突きつけられる。その先端を見つめる目が、きゅーっと寄り目になったのが自分でもわかる。
「そこは“よろしくありません”と答えるところですわ、おバカさん」
とうとうフィンチ以外にも「バカ」の烙印を押されてしまった。ロンディネは扇子を引くと、パッと開いて口元を隠す。細められた赤い瞳は柔らかく、けれど奥に鋭い光が宿っていた。
「ロンディネの言う通りです。神託とはいえ、わたくしはアルエットがこのようなことをする人とは思えません。今、神託を回避する方法を探しています。シーニュとフィンチに急遽戻ってきていただいたのも、二人の知恵を借りたかったからです」
「エルシー……」
乞うような眼差しで、エルシーはみんなに訴えかける。神託を誰より信じているのは、直接声を聞いているエルシーのはずだ。
そんな彼女が、神託ではなくアルエットを信じて状況を変えようとしてくれている。そんなふうに思ってくれていることが嬉しく、じわりと心の奥に熱が滲んだ。
「けど、一つ頭においておかないといけないことがある。俺もアルエットのことは信じてるんだけど……神託は……今まで一度も外れたことがないんだ」
「あぁ。予言のような神託も、事後対応の神託も、全て当たっていたな」
「アルエットにエルシーへ危害を加える意思がなくても、事故とか意図しない形で現実になる可能性は十分ある」
サイラスは眉尻を下げ、申し訳なさそうにアルエットを見た。それでも神託に対応するためには、確認しておかなければいけない重要な話だった。シーニュも淡々と、サイラスの言葉に同意していた。
外れたことのない神託。故意ではなく、事故などの可能性。アルエットが生きることで、エルシーの死が確定する未来。ならもう、どんなに顔を突き合わせて頭を捻ったって答えは一つしかない。
私のせいでエルシーが死ぬくらいなら、私は私にできることを尽くすだけ。
「神託は今までずっと正確だったんでしょ? なら、本当にそうなるかもしれない。だから……私はいいよ。それでエルシーが守られるなら、死んだって構わない」
「な、何を言ってるのかわかってるんですか!? あなたは死ぬのが怖くはないのですか? なぜもっと命を大切にしようとしないんですか!」
いつも穏やかに笑っていて、静かなエルシーが、怒りを露わにしている。ぎゅっと握りしめた拳は震え、歯を食いしばって……こちらを睨みつける瞳は潤んでいた。
「だって余生だから。私は、本当はオヴィス村と一緒に死んでた人間だし、いつ死んでもいいって思って生きてきてるから」
「これが強がりじゃないから、俺は怖いんだよ……」
以前、サイラスに「死ぬのが怖くないのか」と尋ねられ、同じようなことを答えた。彼の加護が『感情視認』であることを知っているからか、アルエットとサイラスを除く全員に、静かな緊張が走ったのがひりつく空気から伝わってきた。
「ねぇ、そういえば死んだ人の魂ってさ、神の御下に送られるんだっけ? 会えたら一発殴ってもいいかな? エルシーを殺すようなクズだと思われてるの、最高に屈辱なんだけど?」
空気を重くしないよう笑顔を貼り付けながら、怒りに震えそうになる指先を握り締めて拳を作る。
本当に、忌々しい。どこまでもこの人生をめちゃくちゃにしてくれた存在──神。どんな性悪な顔をしてるのか、この目に焼きつけてやる。そしてオヴィス村とロートヴィル村の分を込めて一発……いや、二発は顔面に入れてやる。
「アルエット、勝手に死ぬ覚悟を決めるな。処刑されて死ぬということは、君の名は大罪人として歴史に刻まれることになる。その重さを理解しているのか?」
「あー……それは困るね。モーガンおじさんたちに迷惑はかけたくないなぁ……」
これまで愛情をかけて育ててきてくれた伯父家族に『聖女殺し未遂犯の家族』とかいう、とんでもない肩書きを作りたくない。聖女の存在は世界で崇めに崇め奉られている。下手をすれば義憤に駆られた何者かに虐殺されるような事態にもなりかねない。
「あ、“銀の刃”って処刑じゃないとダメなのかな? シーニュのその短剣、それで殺してよ。刃は銀色だし、聖騎士団長の剣なら『断罪!』って感じだし、内密に処理してよ」
軽く尋ねると、無表情に定評のあるあのシーニュの表情が一気に引きつる。当然だ。以前自身がやった「殺してくれ」が、同じ形で返ってきたのだから。アルエットはちょっとした仕返しのつもりで、あのときのシーニュの言葉を口にする。
「エルシーだけじゃない、私も家族もそれで救われる。できるできないじゃない。与えられた役目を果たして、シーニュ」
『エルシー様だけじゃない、俺もそれで救われる。できるできないではない。与えられた役目を果たせ、アルエット』
「これは秩序を守るため。君は聖女を救い、世界を守った英雄になれるね」
『これは暴走を止めるため……そして君は、暴走を止めて皆を救った英雄になれる』
シーニュは眉間に深々とシワを刻み、耐えきれないと言わんばかりに目を伏せる。やがて目元を押さえ、静かにため息をついた。
「……そんな不名誉な英雄なら、こちらから願い下げだ」
『そんな不名誉な英雄、こっちから願い下げだよ!』
シーニュもまた、あのときアルエットが口にした言葉を借りて返答した。自分が言われて困るようなことを人に言うんじゃない、そんな教訓を得られる苦悩の表情をしている。少しだけ胸がスカッとした。
「シーニュがやるかはともかく、アルエットの身内のことを考慮すんなら、内々で済ませた方がいいってのは同意かな。“神託が本当に神託なら”だけどね」
「フィンチ、それはどういう──っ……うぅ……」
エルシーは突然胸元を押さえ、片手を執務机について支えにする。前屈みに俯き、薄く開いた目から、神託が下りたときにだけ見られる空色が覗いていた。
「違う……アルエットは、そんな……」
「エルシー、私の声を聞いて! 私は、エルシーを殺そうとか、みんなを不幸にしたいなんて一欠片も思ってない。それだけは信じて。友達に誤解されたまま死ぬのだけは嫌だよ、エルシー……!」
アルエットは机についている方の手に手を重ねる。以前彼女の力が流れ込んで倒れてしまったが、そんなことはどうでも良かった。むしろこんな神託が下ったのだから、このまま倒れて死んでもいいという覚悟だった。
手に触れた瞬間、まるで青い空の果てに太陽が傾くように、彼女の瞳が空色から黄金色へと移ろう。エルシーは目を見開き、アルエットを凝視する。そっと手を離すと、エルシーはアルエットが触れていた方の手をまじまじと見つめた。
「神託の声が、消えた……?」




