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『絶対正義』の聖女は救われたい  作者: まな板のいわし
第1章 農業用フォークは槍へ
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第4話 死線を駆るアニュス・デイ【エルシー視点】

 エルシーがアルエットと出会うのは、今日が初めてではなかった。十年前の『グラキエス防衛戦』──聖女となって二年目の年、王都グラスブルグの北側の防護壁の上に、エルシーはいた。


 エルシーはこの世にただ一人、『聖属性』という癒やしと破邪の力に覚醒した。その力を継ぐ者を人々は『聖女』と呼び、崇める。エルシーはその期待に応えるために、隣国からこの地へと赴いた。


 吹き荒ぶ凍てついた雪原の風は、頬を裂くように吹き抜けていく。手で風を除けながら目を凝らすと、街道すらない雪原に多くの騎士が集結しているのが見えた。


 北壁には魔工学で作られた砲台がいくつも備えつけられ、エルシーはその一つ一つに聖属性を付与して回った。作戦は(おとり)を使って魔竜を誘き出し、砲撃で弱らせ、魔術で討伐するというごく単純なものだった。


「エルシー様、お下がりください」


 同行していた近衛騎士隊長のジェリノットが、片手で制しながらエルシーを背に庇う。ジェリノットの背中の向こう、雪原の遥か彼方の空に小さな黒い影が揺らめく。その瞬間、背筋が凍るような咆哮が空気を震わせた。


 即座に作戦開始の合図が響き、集団の中から一頭の馬が雪原の果てを目指すように駆け出していく。その馬上にはおおよそ騎士とは思えない、小柄な人影が一つだけ乗っていた。


 おそらくあの小さな人影と馬が囮なのだろうが、騎士でもなく大人でもなく、なぜ自分と同じ年頃の子供が選ばれたのだろうと胸が痛む。訓練された大人ならまだしも、子供ではまるで勝ち目がない。あれでは囮というより生贄だ、と叫びたくなる口を押さえる。


 大人たちが苦渋の決断をして決行した作戦、きっとこれ以外に方法がなかったのかもしれない。軽率な発言は許されない。聖女たる自分の一声は、作戦に影響を与える可能性がある。エルシーは子供ながら、自身の発言力の大きさと恐ろしさをよく理解していた。


 同時に、多くを守るために一人の人間を見殺しにする罪を負ったのだと自覚した。そしてこの先、数え切れないほどそういう選択をする場面があるかもしれないということも。


 凄まじい勢いで雪原を駆け、あっという間に小さくなっていく影に魔竜が気づく。小さな人影が馬を乗り捨てると、馬は一目散にこちらへ逃げ帰ってくる。逆に小さな人影は単身で魔竜へ向かって走り出した。恐れというものを知らないだけの無謀さが、胸の奥を抉った。


 魔竜は大きく背を反らしながら口に炎の塊を(たた)えていく。それは相当遠くにいるはずのエルシーですら震えそうになるほどの強烈な魔力を秘めていた。そしてその炎が囮である小さな人影に向かって吐かれる。


 あの人影が殺される瞬間から、反射的に目を逸らしてしまった。


 自身の靴と北壁のレンガの灰色、薄く積もった雪だけの視界。にわかにざわつき始めた周囲の人々の声だけが耳に届く。固く握りしめた拳は、震えていた。


「砲撃始めーっ!」


 魔術砲の轟音と地震のような揺れに、足が竦む。傍らにいたジェリノットが、転びそうになるエルシーを守るように無言で引き寄せた。大きな腕が、「大丈夫だ」と励ましてくれている。まだ自分はここで生きているのだと実感し、その温もりに心が奮い立つ。


 生ある限り、見届けなくては。


 それが自分の責務でもあるはずだ。傷ついた騎士たち、怯える人々、果敢に挑む者たち、そして皆のために犠牲になったあの人影。子供ということに甘んじず、聖女として直視すべき現実がある。あの勇気ある小柄な人影から目を逸らしたことを後悔しながら、エルシーは顔を上げた。


「……あ」


 思わず漏れた声と共に、目の前に広がる光景にエルシーは目を見開く。魔竜の吐く炎と、こちらの砲撃や魔術攻撃が激しく炸裂する中で、あの小さな人影は何事もなかったかのように平然と雪原に立っていた。


 魔竜の炎も砲撃も魔術も全てが脆く砕け散る。それが陽光を受けた霧雨のように煌めいて……小さな人影はキラキラと美しい虹色の光をまとっていた。


 エルシーは何が起きているのかわからなかったが、失われたと思っていた命が目の前で燦然と煌めいていることに胸が熱くなり、強く震える。一人果敢に立ち向かい、人々を救済する姿。あれこそがまさに、目標にすべき『聖女エルシー』としてあるべき姿なのだと、目が釘付けになる。


「すごい……なんて綺麗なの……」


 魔竜との死闘を繰り広げる戦場には似つかわしくない、あまりにも気の抜けた言葉が口をついて零れる。その小さな声は、雷鳴のように轟く砲撃の音にかき消える。


 あのとき瞳の奥に焼きついた憧憬は、十年経った今でも覚えている。


 絶望が芽吹いたのが『聖女』として覚醒した日だとしたら、希望の種が宿ったのは──アルエットと出会った……この日だったのかもしれない。



 * * *



「ったく、どうせ拒否権ないし、やってやりゃいいんでしょ!? フォークでも槍でも、大砲でも! 君の好きなもの、なんでも担いでやるーっ!」


 アルエットは拳を震わせて、破れかぶれに叫んでいた。あのとき憧憬を抱いた少女は、想像していたよりも等身大で、素直で、素朴な人だった。


 彼女の力がどういうものかは知らなかった。けれどシーニュが突然「騎士として傍に置きたい人材がいる」と教えてくれたのがアルエットで、あの虹の光の源が『無効化』の加護によるものだと知った。


 シーニュは自身の力を抑えてくれる存在として、エルシーは『絶対正義』の影響を受けない存在として期待を寄せ、聖騎士団へ迎え入れることを決定した。彼女にとっては迷惑な話だっただろうが、それでも「依頼を抜きにして友達になろう」と言ってくれたアルエットにすでに好感を抱き始めていた。


「そういえばさ、『絶対正義』って名付けたのは、“何をしても正しいって思い込まれる”からなんだよね? でもエルシー様は聖女として善い行いをしてるんでしょ? なら別に何もおかしくないと思うけど……」

「間違ってはいない。が、必ずしもそうではない」


 腕を組んで首を傾げているアルエットに、シーニュは静かに首を振った。こればかりは言葉で説明されても実感が湧かないだろう。エルシー自身ですら、力が働いていることに気づくまでに数年はかかったのだから。


「わたくしが初めて違和感を感じたのは、聖女に覚醒して間もなくのことでした」


 あまり率先して話したいことではなかったが、突然強要されて連れてこられたアルエットに誠意は尽くしたい。快く協力してくれようとしている彼女に、エルシーは聖女に覚醒したばかりの頃の話をすることにした。



 * * *



──(さかのぼ)ること十二年前。


 エルシーが聖女に覚醒したのは先代聖女が亡くなった年、彼女が十二歳のときだった。


 彼女と近衛騎士隊長の一人──サイラスは幼馴染で、まだ王都の教会へ移る前、いつものように彼と遊んでいた。エルシーは庭にある木に登り、危ないから降りた方がいいとサイラスが忠告する。そんないつもと何も変わらない日常……そのはずだった。


 エルシーはうっかり、足を滑らせて木から落ちた。


 サイラスはエルシーを助けようとし、下敷きになってしまった。幸い二人に大きな怪我はなかったが、そのときの大人の対応が今までと丸っきり変わってしまっていたのだ。


「サイラス、お前がもっとしっかりしていれば! エルシー様の手が擦りむけているじゃないか!」


 これまで木登りをしたら、エルシー自身が『危ないからやめなさい』と叱られていた。危険なことに巻き込み、非があるのはエルシーのはずなのに、なぜか異様なまでにサイラスが責め立てられた。


「待ってよ! 木に登ったわたしが悪かったの……サイラスは助けようとしてくれただけで……!」

「まぁ、なんて慈悲深くて優しい子。サイラスの罪を被ろうとしたのね……」


 え……何、言ってるの……?


 外側だけを残し、中身を丸ごと入れ替えたのではと思うほど別人になってしまったように思えた。まるで手のひらを返すような大人たちの対応が、不気味で……怖かった。


「ごめんね。俺……いつかちゃんと、エルシーを守れるようになるから」


 そしてサイラスまで、少し変わってしまった。気が弱くて、からかわれても言い返せなかった泣き虫の彼をいつもエルシーが守っていた。


 守れるように、なんて言われたのはそれが初めてで……小さく灯る炎のような眼差しに音もなく焼かれて、苦しくなる。嬉しいはずの言葉なのに、遠くへ離れていってしまうような寂しさが心の中に住み着いた瞬間だった。


 その当時は『聖女』という存在になってしまったから、必要以上に持てはやされたり、(おだ)てられているだけだと思っていた。だが聖女として過ごしていくうちに、“それだけではない”のだと確信した。



 * * *



「うーん……ピンとまではこないけど、エルシーを思うからこそ厳しい言葉をかけてくれる人がいてもいいのに、一人もいないってのは引っかかるよね。みんなに褒められるばっかなのは、確かに薄気味悪さはあるかも?」


 エルシーの話を聞いたアルエットは考え込む。やはり言葉だけでは伝わりきらなかったが、彼女なりに落とし込んで共感してくれたことが嬉しい。


 そもそもこの件に関しては、共感してもらえるということ自体、ほぼ経験がない。自分に厳しすぎるだけだと、やんわり否定されてきた。


 これからアルエットには共に公務に参加してもらう機会が出てくる。シーニュも言っていたが、きっとそのときに嫌でもわかることになる。いや、思い知らされることになるのだろう。


 ごめんなさい、アルエット。

 でも……それでも、あなたはわたくしにとっての希望なんです。


 こちらの一存で巻き込んでおきながら、それでも異様な……狂気すら感じるあの光景に立ち会わせることが……心苦しかった。

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